第170話 世話したそうだから甘えてあげてるだけ

 授業が終わり、教室の空気がふっと軽くなる。

 案外寝ていたりちゃんと聞いていなかったりする生徒が多くて、ブレアは小さく首を傾げた。


「何ボーッとしてんだよ。授業終わったぞ?」


「わかってる。」


 一向に教科書を閉じないからか、隣のアーロンが怪訝そうに話しかけてきた。

 少し前までは隣でも1言も話さないことも珍しくなかったのに、最近は必ず話しかけてくる気がする。

 ブレアが小声で返すと、アーロンは唇を笑みの形に歪めた。


「ルークのことでも考えてたのかー?」


「は?そんなわけないでしょ。何で皆授業ちゃんと受けないのかなって思っただけ。」


 ふいと顔を逸らしたブレアは、誤魔化すように教科書を閉じた。

 何でもルークの名前を出すのは鬱陶しいからやめてほしい。

 すぐにルーク、ルークと言って、ルークの事が好きなのだろうか。


「お前も基本ちゃんとしてねぇじゃん。」


「退屈だからね。先生の授業は面白いのに。」


 ブレアは教卓の傍にいるリアムを見て、更に首を傾げた。

 ノートに何か書き込んでいるようで、ブレアの視線には気づいていない。

 放課後もよく自分の授業の振り返りをしているし、皆がちゃんと聞かないと今日も悩むに違いない。


「それはお前の主観だろ。」


「まあそうだね。皆見る目ないなぁ。」


 ブレアはリアムから視線を外すと、今度はアーロンに冷やかな目を向けた。


「君はどの授業も聞いてるのか聞いてないのかわからない感じだよね。ちゃんと勉強できてるの?」


 不思議そうに聞かれ、アーロンは呆れたように溜息を吐いた。


「できてるに決まってんだろ。お前とは違って授業もちゃんと受けてんだよ」


 魔法に関する物以外は全く聞いていないブレアと違って、アーロンは真面目にやっている。

 絶対アーロンのことなど気にしていないのに、何を根拠に心配してきたのだろう。


「そうなんだ。頭悪そうな顔してるのに。」


「はぁ?黙れよ貧乳。」


 皮肉でも何でもないように言われ、反射で煽り返してしまった。

 ブレアはむっとしたような顔で何か言い返そうとして、小さく咳払いをした。


「あーあ、下らない悪口言われたー。お兄ちゃんに言いつけようかな。」


「ブラコンきっしょ。高3の癖に甘えてんなよ。」


 アーロンの返しが気に障ったようで、ブレアは今度こそむっと眉を寄せた。


「ブラコンはそっちでしょ。登下校昼休み全部弟さんと一緒とかキモすぎ。弟離れしたらー?」


 先程は思ったことを言っただけだったが、今度は挑発しているつもりのようだ。

 まだ通話してるの?等と嘲笑うように言っている。


「弟はいんだよ可愛いから!いつまでも甘えてねぇで自立しろって言ってんだ。」


「その発想がキモいんだよ。大体僕はブラコンじゃない、リアムがシスコンなの!世話したそうだから甘えてあげてるだけ。」


 ブレアは腕を組んで、ぷいとアーロンから顔を背ける。

 分が悪くなる前に会話を終わらせようとすると、「ブレア。」と柔らかく呼びかけられた。

 声の主がアーロンではないことくらい、すぐにわかる。


「あ……リアム……。」


「騒がしいですよ。何の話をしていたんですか?」


 落ち着いた声色のリアムに聞かれ、ブレアは困ったように視線を彷徨わせる。


「え……色々……?」


 気の利いた嘘も出ず適当に答えると、リアムはにこりと笑った。


「聞こえてましたが。」


「ごめん……。」


 自覚はないのだろうが、ブレアはアーロンと話していると声が大きくなりがちだ。

 それくらい楽しいのだろうが、後半は殆ど全部聞こえていた。


「甘えてあげてるだけなら、長期休みは1人で帰れますよね?」


「無理……。」


「準備室の資料、全部自分で片付けられますよね?」


「無理……。」


 笑顔の裏に圧を感じて、ブレアは消え入りそうな声で答える。

 前者は無理だとわかっていたが、片付けは頑張ってほしい。


「わざわざ甘えてあげてるだけなんですよね?」


「ごめんなさいお兄様いつもありがとうございます。」


 しおらしく謝るブレアを見て、アーロンがぷっと吹き出す。

 素直に謝っているだけでも面白いが、“お兄様”という呼び方がツボに入った。

 くすくすと笑っていると、ブレアが不満そうな目を向けてきた。


「煩いんだけど。何が面白いの?」


「めちゃくちゃ面白ぇだろ。撮りてぇ。」


 アーロンが慣れた動作で記録用魔道具を取り出すと、ブレアが慌ててその手を抑え込む。

 じっと鋭い目で睨まれて、アーロンはますます笑いが堪えられなかった。


「……試したい魔法があるんだけどいい?それが壊れるかどうか。」


「間違いなく壊れるからやめろ魔法馬鹿。」


 ブレアの手を振り払いつつ、ひそひそと小声で返す。

 リアムに聞こえないように言っているのだろうか。


「研究熱心なんだよ、僕真面目だから。女の子と弟のことしか考えてない馬鹿は黙っててくれる?」


「煩せぇな!お前だって大体一緒だろうが。」


「否定しなよ。」


 敵意を込めて言ったはずのブレアは、呆れたように眉を下げた。

 多趣味なのだからその1つでも挙げればいいのに、そういうところが馬鹿だと思う。


「ブレア、騒ぐのは教室に帰ってからにしてください?いい加減、施錠したいのですが。」


 次の授業もありますし。とリアムは疲れたように息を吐く。

 仲がいいのはいいことだが、時と場合を考えてほしい。


「何で僕だけ……コレにも何か言ってよ先生。」


「人を物のように呼んではいけません。何か……あまりうちの義妹に変なことを言わないでいただきたいです。」


 不満そうに訴えられ、リアムは困ったような顔で言う。

 騒ぐな、でいいのに牽制が出る辺り、シスコンは否定できなさそうだ。


「先に言ったのはコイツなんだが……。」


 腑に落ちなかったようで、アーロンは探るようにブレアを見た。

 注意されるのはあまり好きではなく、何かブレアに仕返しがしたいと思ったらしい。

 何か閃いたようで、大きな声でリアムに言った。


「先生ー、コイツ彼氏できたって聞きましたかー?」


「聞いていません。」


 どうせ話していないだろうと思って言うと、予想は当たっていたようだ。

 不思議そうなリアムが視線を向けるとブレアがぎこちなく頷いた。

 言わなかったことの後ろめたさはあるようで、静かに俯いている。


「そうですか……。」


 ブレアの動きを肯定とみなし、リアムは目を閉じてにっこりと笑った。

 相手が誰かなど、聞かなくても当然わかっている。


「ブレア、別れなさい。」


 ここ最近で一番深い笑みを浮かべたリアムは、ぞっとするほど冷めた声で言った。

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