第168話 ルーくんダメダメだねぇ……

 欠伸を噛み殺して、ブレアはぐっと身体を伸ばした。

 ルークが来るまで寝ていようかと考えていると、横から勢いよく抱き着かれた。


「ひゃっ、危ないでしょ!?」


 全く受け身も何も取れなかったブレアは、机に手をついて倒れるのを阻止した。

 ほっと息を吐いて、ぎゅっとくっついてきている者を見下ろす。


「やめてくれる?驚いたんだけど。」


「ゆりゆり、体幹なーい!」


 顔を上げてブレアを見たアリサは、心底愉快そうに笑った。


「急にぶつかってくる方が悪い。」


「いやー、ゆりゆりが男の子なの珍しいなって思ってぇ?もっと鍛えた方がいんじゃないー?」


「煩い。」


 にまーっと笑ってくるアリサから、ブレアは静かに目を逸らす。

 無理矢理アリサを引きはがして、そっと目を閉じた。

 すーっと身体が縮んでいく感覚がして、目を開けるとアリサの顔がほぼ正面にあった。


「……それで、何か用?」


「おおー、ちっちゃくなった!可愛い~!」


 手を伸ばしたアリサが、楽しそうにブレアの頭を撫でてきた。

 小さいといっても、アリサよりは背が高いのだが。


「……それで、何か用?」


「そーそー、ゆりゆりハピバー!」


 ブレアがもう一度聞き直すと、アリサがパチパチと手を叩く。

 少しして手を叩くのをやめたかと思えば、またぎゅっと抱きついてきた。


「ゆりゆり誕生日だって聞いたから、お祝いしに来たよぉ?」


「……ありがと。」


 大方予想通りだったが、わざわざそれを言うためだけに来たのだろうか。

 この距離感はどうにかならないのかと思っていると、アリサが耳元で囁いてくる。


「それでー、ルーくんに何してもらったの?」


 びくっと肩を跳ねさせたブレアは、すぐにアリサから距離を取った。

 祝いたかったのではなくて、これを聞くのが目的だったのか。

 手で耳を抑えながら、なるべく平静を装って答える。


「おめでとうって言ってもらった。」


 朝目覚めるとすぐに、大きな声で『おめでとうございます先輩!』と言われたのだ。

 寝起きに大声を出されてかなり驚いたが、素直に嬉しかった。


「うんうん、よかったねー!それで?」


「……それだけ。」


 弾んだ声で聞いてくるアリサだが、特に何もない。

 おめでとうはウザいほど聞かされたが、それだけだ。

 どことなく落ち着きがない――というか、よそよそしかった気がするが。


「本当に?彼ピなのにぃ?」


「考えてるとは言ってたけどね。」


 ルークのことだ、どうせ自身がないとか言って渡せないのだろう。

 わかっているから、特に不満はない。


「うっそ、ルーくんダメダメだねぇ……。」


「そう?普通だよ。」


 大袈裟に頬を膨らませたアリサが、くるりとブレアの後ろに回り込んだ。

 ブレアが振り返る前にぐいと背中を押してくる。


「ちょっと、何?」


 再びバランスを崩しかけたブレアは、呆れたように聞く。

 にこっと笑ったアリサが、更に強くブレアを押した。


「ルーくんのとこ行こー!」


「は?待ってれば来るでしょ。」


 わざわざこちらから出向かなくても、そろそろルークが来る頃だ。

 いつもならSHRが終わるなり走ってくることを考えると、むしろ遅いくらいかもしれない。


「ここで自分から行くのがいんじゃーん!」


「意味わかんない……。」


 アリサの主張が全く理解できず、ブレアは困ったように眉を下げた。

「ノリ悪いー!」と不満そうに言ったアリサが、ようやくブレアから手を離す。


「……じゃーあ、ゆりゆりはここで待ってて!リサが連れてったげるから!」


「だから彼は勝手に来るって……聞いてる?」


 腰に手を当てて言ったアリサは、ブレアの声を聞かずに出て行ってしまった。

 アリサが行くと、余計遅くなりそうな気がする。

 のんびり待つことになりそうだが、眠気はすっかり消えていた。





 教室を出たアリサは、1年の教室があるフロアを目指そうとして――すぐにルークの姿を見つけた。

 ブレアの言う通りだったが、少しいつもと様子が違う。


「……ルーくん、何してるの?」


「日和ってます。情けないですよね。」


 いつもは1人で走ってくるルークが、ヘンリーと一緒だった。

 ――のはいいのだが、ヘンリーに引きずるように手を引かれていた。


「何で日和ってるのー?」


「……だって、冷静に考えたら俺キモくないですか!?」


 アリサが小さく首を傾げると、ルークが大きな声で言った。

 元気がなさそうに見えたが、声量は健在だったようだ。


「ルーくんは最初から……ね?」


「むしろキモいを取ったら何が残るの?」


 顔を見合わせる2人に、ルークは「酷すぎる!」と悲しそうな顔をした。

 最初からそうだったのに、今更気にしなくてもいいのではないだろうか。

 むしろ、始めよりはマシになっている気がする。


「大丈夫だよ、ユーリー先輩はキモいとこも受け入れてくれてるって。」


「そうじゃない!あと憐れまないでくれ。」


「不安なら別れたらいんじゃないー?」


 ヘンリーは微笑を浮かべているが、目が全く笑っていない。

 軽い調子で言うアリサに、ルークはビシッと大きな声で返す。


「先輩に絶交宣言されるまでは別れませんー!……って、だからそうじゃないんですって!」


 ルークが困ったような顔をしているが、それ以外に何があるというのか。

 アリサが首を傾げると、ルークは迷うように視線を彷徨わせた。


「じゃあ何?」


「……先輩にプレゼントを用意したんですよ。」


 ぽつりと言うと、2人とも当然のように頷く。

 ルークがエマと出かけたのは2人とも知っているし、その目的がブレアの誕生日プレゼントを買うためだということも、予想がついている。


「その、プレゼントのセンスが……キモい気がしてきたんです……!」


 深刻な顔で言ったルークに、アリサは困ったような顔をする。


「エマちと一緒に選んだんでしょ?じゃあ大丈夫なんじゃないー?」


 ルークが1人で選んだなら不安になるのもわかるが、エマがついていたなら大丈夫だろう。

 そんな気持ち悪がられる物なら、買う前にエマが止めるはずだ。


「そーですけど、エマ先輩、完全に女友達のノリで考えてたので……エマ先輩ならよくても、男からはキモくないか!?って今更……。」


「本当に今更すぎる。それでプレゼント渡せなかったの?」


 ルークが頷いたのを見て、ヘンリーは大きく溜息を吐いた。

 ついこの間まで張り切っていたのに、直前で自信喪失とは情けない。


「そんなこと言っても、買っちゃったなら渡すしかなくない?」


「わかってる!でもまだ心の準備が……。」


「心の準備は前日までにするものじゃないのぉ?」


 アリサは軽い調子で言うが、正論が刺さる。

 ルークだってわかってはいるのだが、不安なものは不安なのだ。仕方ない。


「俺、ただでさえキモいじゃないですか?だから不安なんですよ……。」


「大丈夫だって。不安なら日頃の行い治しなよ。」


 ヘンリーに厳しく言われ、ルークはしゅんと項垂れた。

 ルークだって、治せるものなら治したい。

 ただ気を付けようと思っていても、ブレアを見たら全部忘れるのだ。


「とりあえずユーリー先輩迎えに行ってあげなよ。待ってるんじゃない?」


「だよなぁー……行ってくる……。」


 苦笑したヘンリーに言われ、ルークはようやく教室に向かう。

 気持ちを切り替えようと顔を上げると――丁度教室からブレアが顔を覗かせた。

 目が合った途端、ルークがぴたりと動きを止める。


「あ……やっぱりいた。」


 独り言を漏らしたブレアは、そのまま何事もなかったように引っ込んでいった。


「先輩……やっぱりってどういうことですかー!?」


 目を丸くして見ていたルークが、大きな声で叫んだ。

 一気に周囲の視線を集めるも、ルークには全く気にならないようだ。

 さっきまでの躊躇い等嘘のように、3-Sの教室へ走っていった。

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