第166話 僕……すごく嫌だったんだけど

 ――自分の好きな人は、猫のような人だ。


 と、ルークは時々――いや、常々思っている。

 特に今日は、一層猫っぽいなと思った。

 何を考えているのかわからないところが。


「……先輩。」


 その猫のような人は、ベッドに寝転んで、いつも通りきままに過ごしている。

 付き合ったというのに何ら変わらず、ルークがいるかいないかなんて微塵も気に留めていなさそうだ。

 残念ながら、全くお家デートなんて雰囲気ではない。


「何。」


 声をかけて初めてルークを認識したかのように、ブレアがこちらを見た。

 その端正な顔は、少し不機嫌そうに見える。


「……俺、何か先輩をご不快にさせることをしましたでしょうか?」


「……はぁ。」


 意を決して聞くと、ブレアは適当に、間延びした声を出した。

 肯定なのか否定なのか、いまいち判断できない。

 続きを待っていると、ブレアはそのままふいと顔を背けてしまった。


「終わりですか!?」


「何が。」


 こちらを向かないまま、抑揚の乏しい声で聞き返される。

 肯定はしていないが、間違いなくブレアの機嫌が悪いことはわかる。

 そして、ルークが原因であることもよくわかる。


「すみませんでした!」


 ブレアは全くルークを見る気がなさそうだが、深々と頭を下げて謝った。

 ちらりとルークの方を見たブレアが、疑うような目を向けてくる。


「……何が。」


「へっ?えーと、先輩に嫌な思いをさせたこと……?」


 ブレアは不機嫌そうな顔のまま、暫く無言でルークを見つめる。

 むっと頬を膨らませて、枕に顔を埋めてしまった。


「ええぇぇ、すみませんごめんなさい申し訳ありません!?」


 慌てて謝るが、返事は帰ってこない。

 かなり怒っている、どうすればいいんだろうか。


「先輩、本当にすみません。先輩が何で怒ってるのかわからなくて……頑張って直すので、教えてほしいです。」


「……嫌だ。」


 ブレアのベッドの前で正座をして、丁寧に尋ねるが駄目だった。

 全く動かないまま、ブレアは小さな声で言った。


「……わかりました、自分で考えます。頑張って探します。でもせめて――」


 真剣な顔でブレアを見つめたルークには、切実に頼みがあった。

 怒っているのはわかったが、これだけは言うことを聞いてほしい。


「せめてご飯は食べてくださいっ!」


 怒ってしまったブレアは、全くルークに見向きもしてくれず……勿論そんな状態で、食事など応じてくれなかった。

 もう夜の9時を回っていて、ブレアがいつ寝ようとしてもおかしくない。

 だから流石にそろそろ、食事だけでも摂ってほしい。


「……嫌だ。」


 というルークの思いも虚しく、あっさりと拒否された。

 我儘な子供のようで、どうすればいいかさっぱりわからない。


「うぅぅ、お願いします先輩ー!俺なんかの言う事なんて聞けないかもしれませんが、先輩のために言ってるんですよ?」


「……知らない。何で君に気にされなくちゃいけないの?」


 ブレアは少しだけ顔を動かして、ちらりとルークを見てきた。

 何で、と聞かれても、理由など1つしかない。


「恋人の心配くらいさせてください!生活習慣も防犯面も、先輩の全てが心配です!」


 勿論、好きだからである。


「何それ。」


 横目でルークを見たまま、ブレアが短く言った。

 ルークは少し思考をまとめてから、まっすぐにブレアを見る。


「そのままですよ!先輩の健康が心配ですし、一緒にいない時は知らない人についていってないかなとか、危ない人に誘拐されてないかなとか、めちゃくちゃ心配してるんです!」


「ふーん。」


 何だか心配の仕方が彼女に向けて――というより幼児に向けてのそれで、全く納得がいかない。

 ブレアは興味を失くしたように、再び顔を伏せてしまった。


 そんなことを言ったら、ブレアだって心配した。

 出かけるならブレアと一緒に行けばいいじゃないか。

 せめて理由くらい話してほしかった。


「……そういえば月末の土曜日、出掛けるからお留守番しててね。」


 かなり嫌だったので、ブレアは同じことをすることにした。


「え、どこか行かれるんですか?」


 お留守番、って言い方可愛いな、等と思いながら、ルークは詳細を聞こうとする。

 心配だ、と言ったから報告してくれるのだろうか。


「そー。リアムと遠く行くの。泊まるから日曜の夜まで帰ってこないから。」


「また先輩と離れ離れですか!?何しにどこへ行くんですか?」


 ただ留守番をするだけでも寂しいのに、2日近くもなんて寂しすぎる。


「秘密。リアムと2出かけるから。」


「それが嫌なんですー!」


 何故か強調するように言うのは、『リアムがいるから心配いらない。』という意味だろうか。

 確かに安心ではあるが、義兄妹だし、仲いいし……兎に角嫌なものは嫌だ。

 ルークの言葉を聞いて、ブレアがばっと顔を上げた。


「知らない、リアムと泊まる。一緒の部屋にしてもらうし、なんなら一緒に寝るから!」


「絶対駄目ですやめてください!」


 ルークはついベッドに手を付けて迫ってしまい、すぐに顔を赤くして遠ざかった。

 不満そうに見ていたブレアが、ぷいと顔を背けてしまう。


「やめない!」


 絶対リアムに却下されて別々の部屋になるとわかっているが、そんなこと今はどうでもいい。

 少し強く言ってしまったため、引き下がれなかった。 


「本当にやめてほしいです!」


「やめない。君のせいでストレス溜まってるから、いっぱい甘やかしてもらう!」


「謝りますからぁー!リアム先生に甘えなくても、俺がいくらでも甘やかしますよ!?」


 懇願すると、ブレアがちらりと横目でルークを見る。

 むっと頬を膨らませたブレアに、ルークは一層真剣に言った。


「せめて理由を教えてください。」


「何で。」


「先輩と長時間会えない、しかも他の男と2人きりとかメンタルもつわけないじゃないですか!納得できる理由が欲しいです。」


 ブレアとまる1日以上会えないだけでも辛いのに、遠くに行くなんて心配だ。

 それに相手が義兄であろうと、2人きりは気になる。

 じっとルークを見ていたブレアは、呆れたように大きく溜息をついた。


「……君は教えてくれないのに?」


「えっ。」


 ルークが、驚いたように目を丸くする。

 寂しそうな顔でルークを見たブレアが、控えめにルークの袖を掴んだ。


「エマと2人で出かけたでしょ。僕……すごく嫌だったんだけど。」


「えええ、嫌だったんですか!?」


 仕草、表情、言葉――その全てがきゅんと来てしまい、ルークはすぐに心臓の辺りを抑えた。


 ブレアのことなので、何とも思っていない――というか気にしていないと思っていた。


「……もしかして、俺が他の人と出かけたから拗ねてた、んですか?」


「……。」


 ブレアが無言のまま、こくりと小さく頷いた。

 顔を上げて、じっとルークを見つめてくる。


 寂しそうな顔で見つめられ、ルークは手で口元を覆って俯いた。

 ブレアは寂しかっているのに、ついニヤけてしまった。


「……何してるの。」


「すみません、ちょっと嬉しくて……。」


 あまり気に掛けられていないと思っていたのに、がっつり嫉妬されていた。

 自分ばっかり気にしていると思っていたので、かなり嬉しくなってしまう。

 暫く楽しんでいたルークは、気を取り直して表情を引き締めた。


「すみませんでした。理由は……あー……。」


「言えないの?」


 ちゃんと理由を説明しようとしたルークは、気まずそうに視線を彷徨わせた。

 言った方がいいのはわかっているのだが……いやでも今言うのは……と、考え込んでいる。


「あの、来週まで待っててください!来週必ず説明しますから!」


「何で。」


 来週まで待てないようで、ブレアがむっとした顔で聞いてきた。

 今教えてくれればいいのに、何故来週なのだろう。


「ほら、来週って――あー、今日は来週の準備でして……ここまで言ったらバレるじゃないですか!」


「来週?」


 何かあったっけな、と、ブレアはカレンダーに目を向けた。

 3月の半ば。学校行事は特にない。

 他に何かありそうな日といえば――14日?


「あー、そういえばそうだっけ。」


「あああ、バレた!サプライズにしたかったんですけど!」


 納得したように頷かれ、ルークは少し残念そうにしている。

 バレるから秘密にしていたのに、当てられてしまったようだ。


「内容はわかってないからいいでしょ。」


「それはそうですけど……お楽しみですから、探らないでくださいよ!?」


 念を押され、ブレアは素直に頷いた。

 サプライズとは、そんなに重要なことだろうか。

 よくわからないが、特に探るつもりはない。


「僕も、何か用意しないとな……。」


 と、ブレアが小さな声で呟いた。


「え、先輩も……?」


 ブレアの小さな声を聞いて、ルークはきょとんとして聞き返す。

 来週15日はブレアの誕生日――つまり、ブレアは祝われる側のはずだが。

 何か用意することなどあるのだろうか。

 やっぱり何を考えているかわからず、ルークは困ったように首を傾げた。

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