第161話 僕に言いたいこと、あるんじゃないの?

 転がるように部屋に入ってきた人――ルークが、ブレアを庇うように2人の間に割り込んだ。


「――ルーク!?」


「え、先輩俺の名前……!じゃなくて!勝手に聞いてました、すみません!」


 目を丸くしたルークは、ブレアに深々と頭を下げた。

 話の流れ的に、エリカは魔法を使ってブレアの記憶を消そうとしていたのだろう。

 ブレアが何も覚えていなかったあの日や、少し様子のおかしかったこの間も、エリカの魔法の影響だったのだろうか。


「先輩、大丈夫ですか!?無効化魔法使いましょうか!?」


「大丈夫……君が割り込んできたからね。」


 ブレアの無事を確認し、ルークはほっとしたように息を吐いた。

 それから、警戒するようにエリカを見る。


「先輩に変なことしないでください!」


 流石に言い返せず、エリカはぐっと押し黙った。

 完全に自分が悪い。ルークが正しい。わかっている。


「ごめんなさい……でも、貴方だってわかりませんか!?そんなにブレアくんのことが好きなら……諦められなくて、やり直したいって、思いません?」


「思いません!確かに俺、何回も振られてますし、いっぱい先輩に駄目なとこ見せましたけど……思いません。」


 切羽詰まったようなエリカに聞かれ、ルークはきっぱりと答えた。

 やってしまった、と思ったことは何度もある。

 しなければよかった、と後悔することだって、よくある。


「失敗したり、振られた経験も、それで先輩に呆れられたり、全力で謝ったりしたことも……消えてほしくないです。少しでも多く俺のこと、先輩に覚えていてもらいたいです!」


 けれど、やり直したい、なかったことにしたいとは思わない。

 むしろ全部大切で、少しだって忘れたくない。忘れられたくない。


「何の問題もなく、とんとん拍子に付き合えて、結婚できたら……多分、物足りません。先輩相手に全部上手くいこうなんて、絶対無理ですから。」


 ルークはちらりとブレアの方を見て、ふっと笑った。

 そういう、簡単じゃないところも好きなのだ。


「この先も俺は、絶対失敗すると思います。でも――」


 初めてブレアを見た時、一瞬で好きになった。

 そのまま何も考えずに、衝動で告白をした。

 今考えてみると、馬鹿だと思う。


「そういう思い出を1つずつ、2人で共有していって。相手を知って、もっと好きになる。恋って、そういうものじゃないんですか?」


 ブレアと一緒に過ごしていて――離れることが増えて、気づいた。

 初めて見た時からあんなに好きだったブレアのことを、更に好きになっていることに。

 ブレア自身のことだけじゃない。

 ブレアと過ごした日常自体が、好きになっている。


 そんなかけがえのない“好き”をなかったことにしてしまうエリカのことが、ルークにはあまり理解できなかった。


「……こういうところ、ですか。」


 黙って言葉を聞いていたエリカが、ルークをすり抜けてブレアの方を見た。

 意外そうにルークを見ていたブレアは、それに気づいてこくりと小さく頷く。

 エリカは視線を戻して――くしゃっと、悲しそうに笑った。


「……はぁー……私、心から好きだったんですよ。少なくとも、好きだったつもりでした。」


 全てが始まった日。恋に落ちた日。

 何もかも見透かしているかのような、大人びた少女に、『嘘』だと断定された。

 ルークのようなまっすぐな目を、あの時から『本当』だとしていたのだろうか。


 心を落ち着かせたエリカは丁寧に、深々と頭を下げた。


「ごめんなさい。ありがとうございました。」


「失礼します。」と付け足して、エリカはそのまま部屋を出て行った。

 まだ少し警戒していたルークは、ほっと安堵の息を吐く。


「……先輩、本当に大丈夫です――かっ!?」


 ルークが振り返ると、突然ブレアが抱き着いてきた。

 驚いて語尾が跳ねてしまったが、ブレアは何も指摘しない。


「……だいじょぶじゃない……。」


「ええぇ!?どこか怪我……無効化魔法しますか?」


 甘えるような声で言ってくるブレアに、ルークはおろおろと慌てている。

 頼りないと思ったのか、ブレアは「……へーき。」と訂正した。

 訂正したわりには、ルークの服をぎゅっと掴んでいる。


 ドキドキしているのがバレないかと心配していると、ブレアはすぐに離れてしまった。

 ベッドに腰かけて、ふっと疲れたように息を吐く。


「……なるべく、傷つけたくなかったんだ。悪い子じゃないって、わかってるから。」


 ブレアは自分の腕を擦って、震えが収まったことを確かめる。

 はっきり拒絶できない分、苦しいと言うことができない分――余計、苦しかった。

 深く深呼吸をしていたブレアは、まっすぐにルークを見上げた。


「もう大丈夫。そんなことよりさっきの話……ううん。その前に。」


 小さく首を振ったブレアが、言い辛そうに、小さな声で続けた。


「――ごめん。君が、嫌がることして。」


「えっ、いいんですよ!?気にしないでください!」


 予想外の言葉に、ルークは慌てたように目を丸くした。

 ルークはかなり気にしたが、ブレアは全く、気にも留めていないと思っていたのに。


「俺の方こそ、すみませんでした。そんな、気分悪いとかは思ってないんですけど……嫌だったんですよ。先輩が、他の人に恋人っぽいことするの。」


「ごめん。気づかなかった。」


 悲しそうな顔で謝られ、ルークは競うように深々と頭を下げた。

 自分がカッとなってしまっただけなのに、ブレアに謝らせてしまった。


「謝らないでください。俺の器が狭かっただけです。」


「本当に嫌だったから怒ったんでしょ。なら僕が悪いよね。」


「先輩は悪くないです!」


 頑なに否定され、少しむきになりかけていたブレアはくすりと笑った。

 本当にブレアが悪いとは思っていないのか、気を遣われているのか。

 考える前に、どっちでもいいやと思えた。


「……なら、許して貰えた、ってことでいいかな。」


「はい、許します。めちゃくちゃ許します!全て許してます!」


 相変わらず真面目な顔で、大袈裟なことを言う。

 そんなところが――自分と違っていて、面白い。


「じゃあ、聞くけど……。さっきの話、どこから聞いてたの?」


 一度目を閉じたブレアが、本題に移す。

 エリカは、どうしてもブレアが諦めきれないと言っていた。

 それは、ブレアだって同じこと。

 少々恥ずかしいが多分――エリカよりも、ルークよりも、自分は欲が深い。


「え、えぇーとー……先輩が、エリカ先輩に秘密、とかいう辺りから……?」


 気まずそうに言ったルークは、床に正座して「すみません!」と勢いよく謝った。

 怒られると思ったが、意外にもブレアは嬉しそうに微笑んだ。


 殆ど最初から聞いていたようだ。

 となると、ブレアにも都合がいい。

 ようやく――手が届きそうだ。


「いいよ別に。聞いてたなら……僕に言いたいこと、あるんじゃないの?」


「えっ――!?」


 ブレアは試すように、誘うように言って、小さく首を傾げた。

 無意識に、ルークを怒らせてしまうし、全然謝れない。

 面倒な人間だが、そういうところも知った上で――まだ想ってくれているのなら。

 何度も聞かせてきた言葉を、もう1度言ってほしい。


 期待するように見られ、ルークは戸惑っている。

 言いたいこと――は、ある。勿論あるが、それは……。


「ないの?聞きたいこととか、言わなきゃいけないこと。、聞いた癖に?」


 不敵に笑ったブレアを綺麗だな、なんて思う暇もなく、ルークはおろおろと視線を彷徨わせている。

 ようやく決心がついたのか、恐る恐る口を開いた。


「え、あ、えぇぇ、聞いてもいいなら、あのー……その、先輩が、俺を――す、好きっていうのは……本当、ですか?」


 決心がついたわけではなかったらしい。

 かっこつかないな、と呆れつつ、ブレアははぐらかすように笑った。


「さぁ?気になるなら、確かめてみたら?」


「えぇー、確かめるって……。」


 困ったように眉を下げたルークはふと、ブレアに『好きな人ができた。』と言われた時のことを思い出す。

 確かめる、とはつまり……。

 ちらりとブレアを見ると、少し目を細めてルークを見下ろしていた。


「……と……先輩、いいですか。」


「いいよ?」


 何が、とツッコみたくなりながら、ブレアはすぐに頷く。

 視線の定まらなかったルークが、ようやく――まっすぐとブレアを見た。

 シトリンの瞳に見つめられ、ブレアは唇を引き結ぶ。


「……初めて先輩を見た時、美人だなって思いました。」


「うん。」


「はっきり物を言えるのかっこいいなって思いましたし、魔法使ってるとこを見た時は、怖いくらいに、綺麗だと思いました。」


「……うん。」


 何だか、思ってたのと違うな、と思いながら、ブレアは小さく相槌を打つ。

 いい作戦だと思ったのだが、駄目だっただろうか。


「大人っぽい人ってイメージだったんですけど、関わっていくうちに、子供っぽいとこも沢山あるってわかって……ますます可愛いなって思いました。勿論大人っぽいところもあって、でもイケメンで……そんなところも、いいなって思いました。」


「…………うん?」


 改めて言われると照れる――というか恥ずかしい。

 ブレアは目を逸らしそうになって、慌ててルークの方を見た。


「最初に振られた時も、諦めきれませんでしたけど……今はあの時の何倍も、先輩のことが好きになってます。おかしくなるくらい、他に何も考えられないくらい――どうしようもないくらい、先輩が好きです。」


「……うん……。」


 少し口角を上げたブレアに、ルークは控えめに手を伸ばす。

 溢れるばかりの好きなところをせき止めて、ようやく一番伝えたいことを、口に出す。


「――好きです。俺と……付き合ってください……!」


 ルークの言葉を聞き終えたブレアは、そっと、静かに目を閉じた。


 芯のある言葉が真っ直ぐに、心の奥に入り込んで……抜けなくなる。

 痛くて、熱くて、けれど何故だか心地よい感覚に、酔いそうだ。


 じっと、自分だけの感情を味わっていたブレアが、ゆっくりと目を開く。

 黄色い瞳が、その光が、ブレアの目を覚まして――現実までもを、温めていく気がした。


 真剣な顔のまま、不安そうに見てくるルークを見て、ブレアは微笑む。

 子供のように無邪気で、それでいて花のように綺麗な顔で、ゆっくりと、口を開いた。

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