第160話 ……僕、好きなんだよ、本当に

 じっとエリカを見ていたブレアが、数度目を瞬いた。

 なんでもない風を装って、自分の腕をぎゅっと握る。


「……どういうこと?」


「私なら、ブレアくんを不安にさせたりしません。私が傍にいますから、悩みなんて忘れるくらい、楽しませますから……!ルークさんのことを気にするの、やめませんか?」


 真剣な瞳に見つめられ、ブレアはひゅっと息を呑んだ。

 傍にいてほしい。なんて言ってもないのに、言われた。


「ブレアくんに寂しい思いなんてさせませんし、ブレアくんに辛いことを強要させたりはしません。」


 エリカは真面目な顔で、淡々と言葉を繋げる。

 どうして簡単に、ぴったりと重ねるように、ブレアの欲しい言葉をくれるのだろう。

 何故か泣いてしまいそうになって――抑えるように、手に力を込めた。


「魔法だって、ブレアくんが満足できるくらいもっと勉強しますし、ブレアくんのしたいことなら、何でも付き合います。」


「だから――」と言葉を続けようとしたエリカが、一旦呼吸を置く。

 再びこちらを見た表情は、一層真剣なように見えた。


「私は、ルークさんよりずっと、ブレアくんのことをお慕いしております。なので――お付き合い、していただけませんか?」


 エリカはそれきり黙って、ブレアの答えを待った。

 エリカなら、ブレアをこんな風に放っておかない。

 ルークよりブレアのことを考えられる自信がある。

 そう、目が強く訴えてくる。


「……ごめん。」


 ブレアは、困ったような顔をした。

 整った眉を下げて、きっぱりと短く告げる。


「……どうして、ですか?」


 エリカが震える声で問うと、ブレアは小さく首を振った。

 少し迷うように動かした視線を、エリカに合わせる。


「秘密。」


「教えてください!聞きたいんです、お願いします。」


 ぐいと詰め寄られ、ブレアはまたしても困ったように眉を下げる。

 呆れたように、少し怖がるようにエリカを見るだけで、何も言ってくれなかった。


「……ルークさんのことが、好きだからですか?」


 ブレアは気まずそうに目を逸らして、はぐらかそうとする。

 少し語気を強めたエリカに、「答えてください。」と止められた。

 ゆっくりと目を閉じたブレアは、小さく頷く。


「……うん、そうだね。君や彼が、どれくらい僕を好きかなんて関係ない。もう……僕の気持ちが、どうしようもないんだ。」


 声に出すと、漠然とした不安が一気に形になった気がした。

 やっぱり、エリカとルークの言葉は違っていた。

 少し心地良いと感じ始めた言葉に、急に、突き放された気がした。


「……僕、好きなんだよ、本当に。」


 ならば、ブレアの言葉はどうなのだろうか。

 どう聞こえている?ちゃんと伝わっている?それは――本当に好き?


 そんな不安なんて、気にならなくなってしまうくらいに。

 ぐるぐると頭を回っていた想いが、溢れてしまった。


「……僕、彼が好き。こうやって悩んだり、落ち込んだり、変になったりするくらい……ルークが好きになっちゃったの……!」


 アメシストの瞳がキラッと輝いたのを見て、エリカは目を丸くした。


 ブレアはあの日、“何も好きになれない”と言った。

 絶対に消えない魔法以外、何も。


 だからエリカは、消えないようになろうと思ったのに。

 ブレアの好きなものを沢山抱えて、ずっとブレアと一緒にいたいと思ったのに。

 どうして……そんなにブレアを不安にさせる人を選ぶ?

 たった数ヶ月一緒にいただけで、ずっといてくれるかもわからない人を選ぶのだろう。


「……私に、何が足りなかったんですか?私のどこが、ルークさんに劣っているんですか?私はどうすれば……貴女に好いてもらえますか!?」


 必死なエリカを見て、ブレアは呆れたように、小さく笑った。

 ブレアの一挙一動を見る度に、どんどん何を考えているのかわからなくなる。

 いつもそうだ。何をしていても、ブレアの本心を覗き見たことはなかった気がする。


 だから今、心の奥の熱い部分に触れていることが嬉しくて――同じくらい、悲しかった。


「足りないとか、劣ってるとかじゃないよ。」


「どうすれば私は、ルークさんに勝てたんですか?どうすれば、私の方を向いてくれたんですか?」


 下らない話では、興味を示してはくれない。

 魔法の話を振ると、魔法を見る。

 ならばどうすれば、ブレアは振り向いてくれたのだろうか。

 エリカはずっと見ているのに、目が合わないのは何故だろうか。


「君は――初めから僕を見てなかったでしょ。僕は、僕をちゃんと見てくれる人が好きなの。」


「見てました!ずっと、ずっとブレアくんのことだけ――!」


 ――やっと、目が合ったのに。

 やっと、好きな人の本音が聞けたのに。


「見てない。……あんまり、言いたくないんだけどさ、僕……君のことちょっと苦手だったんだ。」


 耳に入る言葉は、否定ばかりだった。

 それでも、嫌にならない。

 それでも大好きなのに、ブレアはあの時と同じように、この気持ちを嘘だと言うのだろうか。


「ずっと傍にはいてくれなかった。僕の意思を、何度も。それが、嫌だったの。」


「……気づいていたんですか?」


 エリカは驚いたように、ラピスラズリの目を見開いた。

 絶対にバレていないと思っていた。絶対バレないはずだったのに。

 ブレアは全て見透かしたような目で、エリカを見ていた。


「気づいてたよ。僕、魔法を見たり教えて貰うのは好きだけど……勝手にのは、あまり好きじゃないんだよね。……知ってた?」


「貴女は、どこまで知っていたんですか?いつから?」


 エリカはブレアの問いには答えずに、同じように聞いた。

 焦ったような声を聞いて、ブレアは小さく微笑む。


「結構最近。そうじゃないかなって思っただけ。」


 軽い調子で言う割には、確信めいている。

 少し思っただけで、そんな風には言えないだろう。


「言っておくけど、上手くいってなかったわけじゃないよ?僕だって、彼に指摘されるまで気が付かなかった。」


「ルークさんが気づいたんですか!?」


 エリカが驚いて聞くと、ブレアはどっちつかずな反応をした。

 はっきりしない態度が珍しく、もやっとしてしまう。


「魔法を使った痕跡なんて残らないのに、気づけないでしょ。ただ、彼のお陰で――僕のことに気づけたの。」


 ブレアがわざとらしく肩を竦めると、エリカは気まずそうに俯いた。

 答えないと思ったのか、ブレアは追い打ちをかけるように言葉を続ける。


「当てるね。記憶操作……1日分を丸ごと消すとか、そういう魔法、使えるでしょ?」


「……はい。」


 エリカが肯定すると、「やっぱり。」とブレアは嬉しそうに口角を上げた。


「面白いね。僕に言い寄ったのも、これが初めてじゃないんだろう?失敗する度に、なかったことにしてやり直してたんでしょ。」


「……はい。」


 何回やったかは、自分でも覚えていない。


 好意が感じられない。と言われたことがあった。

 だから好き好きと何度も伝えてみると、あまり言われたくない。と言われた。

 顔しか見てないでしょ。と言われたこともあれば、人形だと思わないで。と言われたこともある。

 その度になかったことにして、気が付かなかったことを自覚して、反省して、やり直した。


「ごめんなさい。……だって、それくらい――」


 エリカが手を伸ばして、ブレアの腕を掴んだ。

 ようやく顔を上げたエリカは――痛そうな顔をしていた。


「――諦められないんです……!」


 困ったように眉を下げたブレアは、エリカを見て首を傾げた。


「……あれ、おかしいな。このまま魔法を教えてもらう流れになる予定だったのに。」


 ちょっと強がった言葉に、エリカは顔を曇らせる。

 エリカの手に、強く力が籠った。


「ブレアくんは、魔法のことばっかり。……こうまでしても、こんな状況でも、私だけを見てはくれないんですか!?」


「……ごめん。」


 エリカがブレアの額に触れると、ブレアはきゅっと唇を引き結んだ。

 悲しそうな顔に心が痛むが、ようやく自分を見てくれた気がして――嬉しくなってしまう。


 本当は、わかっている。

 今ブレアが言った通り、エリカはずっと昔に、方法を間違えたのだと。

 もうどうがんばっても、ブレアに好かれはしないと。


「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」


 それでも、やっぱり諦めきれない。

 もう何をしても、どんな手を使ってでも、ブレアが欲しいと、思ってしまった。


 小さく息をついて、エリカが術式を唱え始める。

 ブレアは抵抗するわけでもなく、無言でエリカの声に耳を傾けている。


 諦めているのかな、などと思っていると――エリカの声に被せるように、ばんっと大きな音を立ててドアが開いた。

 転がるように部屋に入ってきた人が、ブレアを庇うように2人の間に割り込んできた。

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