第146話 あ゛ー……好きだ、めちゃくちゃ好き……

 時刻は午後8時過ぎ。

 もうすぐブレアが帰ってくるはずだ。


「……8時くらいって、いつなんだ……!?」


 待ちきれないルークは、誰もいない寮室で呟いた。

 もう大丈夫だろう、とヘンリーは少し前に自室に戻っている。

 ルークは1人になってから、ずっとドアの前で正座をしてブレアを待っている。


「先輩と話したい!いやでも先輩ならもう寝るか?その前に無効化魔法……?」


 ブレアは8時くらいに帰ってくると言っていた。

 既に8時を過ぎているため、いつ帰ってきてもおかしくないはずだ。


 8時とは、駅への到着予定時間なのか、学校への到着予定時間、どっちだろうか。

 そもそもブレアのことだ、時間自体間違っている可能性もある。

 と考え始めた時、コンコンコン……と控えめなノックが聞こえていた。


「はい!先輩!?」


 すぐに立ち上がってドアを開けると、そこにはブレア、それからエマとアリサだった。

 疲れたような顔のブレアは、いつもよりかなり背が高い。

 行くときは女体だったが、男体に切り替えたようだ。


「ルークくんってば、そんなにブレアに会いたかったの?」


「めちゃくちゃ会いたかったです!大丈夫ですか!?」


 ルークの弾んだ声を聞いて、エマはくすりと笑った。

 ブレアが心配になったルークは、急いで手を掴み、術式を唱える。


「ゆりゆり、魔力酔い?でこんなになっちゃったからぁ、エマちと送って来たの。」


「はい、ありがとうございます!」


 心配そうな表情とは裏腹に、いつもの調子でアリサが言う。

 ルークはブレアの手を離してから、アリサとエマに丁寧に礼を言った。


「僕は大丈夫って言ったのに……。」


 ある程度楽になったようで、ブレアが不満そうに眉を下げた。

 女体の方が影響を受けやすいため、こちらの姿なら大丈夫かと思ったが……ある程度ましでも、完全には克服できなかった。


「駄目よ!ふらふらしてるのに、1人にはできないわ。」


 エマがきっぱりというと、ますます困ったような顔をする。


「エマは……寮生じゃないでしょ。女の子1人で帰る方が、危ないよ。」


「そんなに時間変わらないじゃない。そんなに心配なら、今すぐ帰るから!ね?」


 一瞬片目を瞑ったエマは、ブレアが頷く前にルークの方を見る。


「ルークくんもまたね!リサ、行きましょ。」


「はーい。ゆりゆり、ルーくん、バイバーイ!」


 軽く手を振ったエマは、アリサの手を引いて2人に背を向けた。

 エマとアリサを見ていたブレアが、ようやく視線を外す。

 ルークの方を見ると、ばっちりと黄色いシトリンと目が合った。


「……退いてくれないと、入れないんだけど。」


「あっ、すみませんっ!」


 じっと見つめてくるルークに、ブレアが小さく首を傾げる。

 慌てたルークは、急いで部屋の中に入った。

 ブレアは続くように部屋に入り、キャリーケースを部屋の隅に置く。


「お帰りなさい先輩!楽しかったですか?」


 ルークが声をかけると、ブレアは長くなった髪を指で梳きながら答える。

 男体のまま過ごすのかと思っていたが、女体になったようだ。

 可愛いブレアも久しぶりに見れて、ルークはかなり喜んでいる。


「まあ、それなりには。……面白い話も聞けたしね。」


「どんな話……あ、疲れてますよね、もう寝ますか?ベッド整えますね!」


 ブレアが急いで出て行った後そのままにしていたため、少しシーツに皺が寄っている。

 しゃがんだルークがベッドに手を伸ばすと、後ろから腕を回された。


「えっ!?……と、先輩!?い、やでしたか?すみません!」


 ドキッと高鳴った胸を抑え、ルークは震える声で聞いた。

 振り返りたいのだが、動くに動けない。


「んーん。別に。」


 引き留められたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 さらにぎゅっとくっついたブレアが、背にもたれかかってくる。

 ルークは顔まで熱くなっているのだが、ブレアは全く気にしていないようだ。


「な、ならどうしました……!?お疲れですか?」


「……そ。疲れたぁ。」


 ブレアは額をルークの首元に当て、「ん……。」と小さく唸った。

 可愛いっ!という思いが口から漏れそうで、ルークは慌てて口を塞ぐ。


「それなら、もう休んだ方が……。」


「ぅん、もうちょっとだけ……ダメ?」


「いくらでも構いませんよ!是非!」


 甘えるような声色で言われ、つい大きな声を出してしまった。

 可愛すぎる。後ろにいるせいで、姿が見えないのだけが残念だ。


 ブレアが何をしているのか全くわからないルークは、じっと動きを止めて口を噤む。

 大きな身動きがとれないのは勿論だが、少しも動かない方がいいのだろうか。


(鼓動って背中側でも伝わるのか……?もしかして、息も止めてた方がいい……?)


 両手で心臓を押さえたルークは、ぐるぐると必死に思考を巡らせていた。

 ちゃんと考えているつもりでも全く集中できない。

 鼓動が煩く、顔が熱い。気が狂いそうだ。


「……ルーク。」


「ひゃいっ!何ですか!?」


 長い沈黙の中、突然名前を呼ばれた。

 この状況やら名前を呼ばれたことやらで嬉しくて、盛大に噛んでしまった。

 羞恥で更に顔を赤くしたルークは、心を落ち着かせようと深呼吸をする。


 まさか“ルーク”と言われるとは。

 すぐ近くで聞こえた甘い声が、耳に残る。

 そわそわしながら続きを待っても、ブレアは一向に何も言わない。


「せ、先輩……?」


 そろりと声をかけてみても同じだ。

 いくらまっても、返事は返ってこない。

 耳を澄ますと、微かに寝息が聞こえてきた。


「え、先輩?……寝ました?この状況で……?」


 確認するように言っても、やっぱり何も言わない。

 本当に寝てしまったのか。

 ルークはドキドキしてとても寝れそうにないが、ブレアは落ち着いているようだ。


(……落ち着きすぎでは!?背中で寝――普通他人の背中にもたれて寝れるか!?)


 微かに聞こえてくる呼吸音。

 背中に触れる柔らかい感触と、体温。

 首に回された細い腕。

 静かになると、ますます意識してドキドキしてしまう。


 寝てしまうほど信頼してくれている――と、都合よく考えてもいいだろうか。


「あ゛ー……好きだ、めちゃくちゃ好き……。」


 未だ大きく音を立てている胸から手を離し、両手で顔を覆った。

 全身が、特に顔が熱い気がする。ブレアに暑苦しいと思われないだろうか。


 下手に動いて起こしたくない。かといってこのままの姿勢でというのも――。

 等と考える余裕もなく、ルークはひたすら悶絶していた。

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