第141話 君――今時間ある?
ブレアが行きたいと言った建物は、図書館だった。
中々大きめの施設で、背の高い本棚がいくつも並んでいる。
「わざわざ修学旅行で図書館って……お前らしいな。」
「嫌なら断ってよ。」
本の量に圧倒されたアーロンとは対照的に、ブレアは迷いなく進んでいく。
どうせ魔法関連のコーナーに行くのだろう。
予想が付きすぎて笑えてくる。
「嫌ではねぇが、そこまで面白ぇモンなくね?」
「ここだと商業系の本が多いだろうけど、魔法の本だって0じゃないから。ここは国境寄りだし、隣国との交易も盛んだから、見たことない本があるかも。」
棚横の表示を見ながら、目当ての場所に辿り着く。
壁一面に分厚い魔導書や本が並んでいて、アーロンからすれば、あまり見る気は起きない。
「ほら、異国の本が結構あるよ。言葉が違う。」
「うわぁ、微妙に読めねぇな。」
アーロンは適当に取った1冊に目を通して、怪訝そうに眉を寄せた。
恐らく隣国の言葉なのだろう。
文字自体は似ているようだが、微妙に違っていて全然わからない。
「んで、どうだ?いいのあったか?」
諦めて本を棚に戻したアーロンは、ブレアの方に目を向ける。
ざっと背表紙を眺めたブレアは、迷うようにゆっくりと指を差した。
「例えば……あれとか。」
ブレアが指を差したのは、かなり高いところにある魔導書だった。
アーロンならギリギリ届くが、ブレアでは届かないだろう。
「違いがわかんねぇな……。」
取ってあげようと手を伸ばすと、その手を押さえられる。
白い、けれどもアーロンより少し小さいくらいの骨張った手だった。
「自分で取れるよ。」
ブレアは少し背伸びをして本を取ると、少し得意気に胸を張った。
かなり見下ろしていたのに、目線の高さがあまり変わらなくなっている。
「……しょうもないことで性別切り替えんな。」
「いいでしょ別に。」
ブレアはアーロンから手を離して、短くなった髪を耳に掛ける。
そのままパラパラと本を捲って読み始めた。
「読めてんの?」
男体になっても、白い肌や長い睫毛は変わらず、整った容姿をしている。
やっぱりイケメンでムカつくな、等と思いながら聞いてみた。
「うん。近隣国の言葉は、大体わかるよ。」
真剣な顔で内容を流し読みしながら、ブレアはなんてことのないように答える。
「スゲーな……。」
「子供の時に習わされたの。みんなわかるんだと思ってた。」
さらりと言うブレアだが、普通そんなもの習わない。
普通に生きていたら、他言語を使うことなどまずないだろう。
「学校でか?」
「ううん。僕学校行ってなかったから。」
通ってなかったからわからないが、初等学校の教育課程はどこも同じだと思う。
対して実用性があるわけでもないのに、わざわざ習ったりはしないだろう。
「習い事?カテキョ的な?お前でもできんだな……。」
「できなかったよ。だって興味ないんだもん。」
アーロンの想像通り、全く駄目だった。
魔法のことならいくらでも学べるのだが、言語は一切興味がない。
「そのわりには読めてんじゃん。」
「
あの頃のリアムは、学校から帰ってくるなり、ちゃんとできたかと、心配そうに聞いてきた。
ブレアを説得しながら、その日習ったことを代わりに教えてくれていた。
「へぇ、偉いな。」
「でしょ。頑張ってみれば、内容自体は簡単だったしね。」
いざちゃんとやってみると、ブレアの頭ならすぐに理解できた。
『色々な言葉がわかると、他の国で使われている魔法もわかるかもしれませんよ。』
ブレアをなんとかやる気にさせようと、リアムが優しく笑って言ったのをよく覚えている。
半信半疑だったが、まさか本当だとは。
暫く読んでいたブレアは、本を閉じて棚に戻す。
すぐ近くから別の本を取り出し、また開いた。
「面白ぇの?」
「期待以上。というより、不思議かな。」
アーロンはちらりと、ブレアの見ているページを覗き見た。
言語もさることながら、内容も難しそうな雰囲気の論文だ。
「よくわかんねえな……どんな感じなの?」
「さっきの魔導書、内容的にはそんなに難しくないんだ。多分初級?……でも、僕にはさっぱりわからないんだ。」
「はぁ?」
ブレアが全くわからない魔導書など、あるわけがないだろう。
あったとすれば、それは初級ではないのではないか。
アーロンが眉を寄せると、ブレアは小さく首を振った。
「そもそも従えないんだ。何か、根本的なものが違う気がする。聞いたことない固有名詞は……魔導具かな。」
「へぇ。お前でも知らないことあんだな。」
感心したように言われ、ブレアは「当たり前でしょ。」と返す。
魔法が好きで、人より得意なだけで、ブレアだってただの高校生だ。
知らないことだっていくらでもある。
「なんだろうねこれ……。
「――おおー。少年、賢いね。」
横から声をかけられ、驚いたように肩が跳ねた。
アーロンではない。女の人の声。
ブレアはすぐに顔をあげて、声のした方を見る。
いつの間にか、すぐ隣に女性が立っていた。
大人っぽい印象の、アクアマリンのような水色の瞳。
カールした赤い長髪を、後ろで1つに纏めている。
タイトスカートのスーツを着ていて、大きく開いた胸元に眼鏡を引っ掛けている。
ブレアの頭に浮かんだのは、背高いな、というどうでもいい感想だった。
女の人なのに、男体時のブレアと殆ど目が合う。
ヒールを履いているからだろうが、それ抜きでもかなり背が高そうだ。
かなり美人な、大人っぽい雰囲気の人だった。
「何……?」
戸惑ったブレアが聞くと、女性はブレアの首筋に手を触れた。
動揺が魔力に表れたのか、アメシストの奥で光の粒子が揺らぐ。
じっとブレアを見ていた女性は、一瞬驚いたように目を見開き――それから、満足そうにうなずいた。
「君――今時間ある?ちょっと話さない?」
ブレアが目を丸くしているのを見て、女性は水色の目を細め、含みのある笑みを浮かべた。
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