第120話 普通だと思ってる相手を、ブレアはあんな目で見ないじゃない

 無事――とは言えないかもしれないが、それ以降は特に問題もなく6時間目が終わった。

 遊んでいてああなったらしい男子達は、戻ってきたリアムにかなり怒られていた。


 確かに悪いのは彼らかもしれないが、エマが考えた授業内容がよくなかったからこうなったと考えると、責任を感じてしまう。

 次回の反省に生かす。次の授業内容は、もっとよく、安全なものにする。


「ルークくん、今日はブレアを待たずに、先に部屋に帰っててくれない?」


 そのためにも、ブレアとよく話し合いたい。


「わかりました。」


 授業内容の相談だと察し、ルークは素直に頷いた。

 本当はブレアと一緒にいたい。さっきの授業で相手をしてもらえなかった分構ってほしい。

 のだが、授業の相談なら仕方ない。


「ありがとう!ブレア、帰りましょー!」


「やっ、ちょっと、押さないで。」


 にこっと笑って礼を言ったエマは、ブレアの背を押す。

 SHRまでまだ時間があるのだから、そう急がなくてもいいはずなのに。


「ほら、行くわよブレア!」


「わかったから、離して。」


 ぐいぐいと押してくるエマの手を退けて、ブレアははぁっと息を吐いた。





「――それで、来週は何するの?」


 SHRが終わった途端ブレアの前にやってきたエマに、早速本題に入ろうと聞く。

 そのままブレアの前の席に座ったエマは、にこりと微笑みかけた。


「ルークくんのこと、嫌いになったりしたの?」


「……してないよ。嫌いじゃない。」


 授業内容を決めるのではなかったのか、とブレアは不思議そうに首を傾げた。

 別に、嫌いになったりなどしていない。初めはかなり嫌いだったが、今はそうでもない。


「……ほら、そんなことより授業内容決めよ。」


「だけど、」


「そんな話、後でいいでしょ。」


 有無を言わさぬ圧を感じる、静かな声でブレアが言った。

 後で本当に話してくれるのか、逃げただけなのかわからない。

 戸惑ったようにエマが見ていると、ブレアはふっと表情を緩めた。


「エマ拘るから、早く考え始めないと帰れなくなるでしょ。」


 最初は、話の途中でも帰ったりしていたのに。


「……そうね!」


 変わったな、と思いながら、エマは力強く頷いた。


「来週の授業なんだけど、再来週は私達修学旅行じゃない?だから1回で完結する内容じゃないと――」


 エマの話を聞きながら、ブレアは魔法で出した紙とペンでメモを取っていく。

 ブレアはエマと話すまで何も考えていないのだが、エマはいつも、この時にはかなりイメージを固めている。

 いつ考えているのだろうか。本当にすごい。


 ブレアはエマに意見を求められた時に答えたり、指摘すべきところがあれば言うだけで、殆ど何もしていない。

 エマは何度もブレアに意見を求めてきて、自分なりに落とし込んで、授業の流れを完成させる。

 中々すごい才能だと思うのだが、本人は本気で大したことないと思っているのだから不思議だ。


「……多分、これだと実力差が開いちゃうよ。」


「本当!?なら――」


 少し指摘しただけで別の案が出てくるとは、本当にいつそんなに考えているのだろうか。

 さっきの案を消して、新しい案を書き直す。


 それを何度か繰り返すと、白紙がいっぱいになった。

 その頃には、いい感じの案ができあがっている。


「こんな感じでいいかしら。ブレアはどう?」


「うん、いいと思うよ。」


 最終確認のようにブレアに聞いたエマは、嬉しそうににこっと微笑んだ。


「やった!ありがとう、ブレアのお陰ね!」


「僕は何もしてないよ。」


 “ブレアのお陰”と、謙遜でもお世辞でもなく、エマは本心で思っている。

 勿体ないなと思うが、そういうところもエマの長所なのだろうか。


 ぐっと身体を伸ばしたブレアは時計に目を向ける。

 丁度4時を過ぎたところで、もう教室の中どころか、フロア全体で見ても誰もいなさそうだ。


「……じゃあ、帰ろうか。」


「待って。」


 何事もないように席を立ったブレアは、そのまま本当に帰ろうとしてしまう。

 慌てて立ち上がったエマは、手を掴んで引き留めた。


「後で話すって言ったじゃないの。」


「何?」と問いかけてくるブレアは、とぼけているのか本当に忘れているのか、どっちだろうか。

 わからないままエマが言うと、ブレアは体ごとエマの方を向いた。


「何の話がしたいの?」


「ルークくんの話よ。」


 さりげなくエマの手を払ったブレアに、エマは真剣な表情で聞いた。

 エマが笑っていないとこなど、初めて見た気がする。


 エマはなるべくいつも、笑うようにしている。

 人と話す時は、笑顔が大切だと思うから。

 けれどここで笑うと、ブレアは絶対逃げる。


「彼が、何。」


「ブレア、ルークくんのことどう思ってるの?」


「普通だよ。」


 無表情のまま短く告げるブレアからは、早く会話を終わらせようとしているのがよくわかる。

 エマだって友達が嫌がるような話はしたくない。


「普通じゃないわ。普通だと思ってる相手を、ブレアはあんな目で見ないじゃない。」


 けれどそれ以上に、ブレアが心配なのだ。

 笑っていないエマをブレアが初めて見たように、あんな顔のブレアを、エマは初めて見た。


 何もできない子供がするような、怯えているような表情。

 恐怖の色がチラついた瞳。


 ブレアらしくない、ブレアには似合わない、そう言いたくなってしまうような表情だった。


「……そうかな。」


 否定の言葉が出てこなかったのか、ブレアはそっと俯いた。

 ブレアはこういう時、目を合わせてこない。

 エマのサファイアのような瞳はどこまでも真っ直ぐで、合わせられないのだ。


「そうよ。」


 すーっと深く息を吸ったブレアは、その場にしゃがみ込んだ。

 蹲るように顔を伏せていて、どんな顔をしているのかわからない。


「気のせいってことは……ない?」


「ないわ。ブレアわかりやすいもの。」


 前にしゃがんだエマは、ブレアの表情を伺おうとする。


「ねえどうしちゃったの?ルークくんが嫌なの?嫌い?辛い?それとも寂しい?」


 ブレアの顔にかかった長い前髪をかき分けようと手を触れる。

 すると、伸ばした手首が掴まれた。


「あっ、ごめんなさ――っ!」


 触られるのが嫌だったのかと思い、慌てて謝る。

 手を引こうとすると、ブレアがぐいと肩を押してきた。

 驚いている暇もなく、2人一緒に床に倒れ込んでしまった。


「……ブレア?どうしたの?」


 まるで押し倒されたような形になって。

 戸惑ったエマは、前髪の隙間から覗くブレアの瞳をじっと見つめた。


 アメシストのような瞳は少し潤んでいる。

 感情が溢れる寸前のような、いっぱいいっぱいな顔をしている。


「……ねぇ、エマ。」


「なあに?」


 追い詰められているような、余裕のない声。

 それにエマは、柔らかい声色で返事をする。 


 エマだって、余裕があるわけじゃない。

 ブレアの意図が全く読めず、戸惑っている。


 それでもそれを聞くと、自分は落ち着かないといけない気がして、にこりと、薄く微笑んだ。

 エマの顔を見て、ブレアは怯んだような顔をして――意を決したように、口を開いた。


「――エマは、僕のことが怖いって思ったこと……ない?」


 ――ようやく、ブレアと目が合った。

 泣きそうを通り越して、深い紫色の瞳には涙が浮かんでいる。

 きゅっと唇を引き結んで、涙を必死にせき止めているように見えた。

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