第118話 僕に怖いものなんてないよ

 朝、SHRの5分前になると、リアムが教室に入ってくる。

 教卓に名簿を置いたリアムに、ルークはすかさず話しかけた。


「リアム先生っ!先輩が嫌がることって何だと思いますか!?」


「おはようございます、ディアスさん。……何の話ですか?」


 何の脈絡もなく、挨拶もなく聞かれ、リアムはきょとんと目を丸くした。


「おはようございます!俺がしそうなことで、先輩が嫌がることってなんでしょうか?」


「……全て?」


「全て!?」


 まだよく意味のわかっていないまま、リアムは正直に答えた。

 ルークに着いて隣にやってきていたヘンリーが、驚いてオウム返ししている。


「今のブレアに四六時中誰かと一緒にいることはストレスになると思います。私としては有難いですが、食事だってブレアにとっては苦でしょう。そもそも、ブレアは基本的に他者からの好意を拒みますから、ディアスさんの言葉は中々受け取り難いものかと。」


「どんどん否定が根本になっていくんですが!傷つきますよ先生!」


 顎に指を添えて考えたリアムは、ルークの嘆きを聞いて苦笑した。

 ルークのことはかなり許容しているように見えるが、ルークに好きと言われるのは――嬉しかったりするのだろうか。

 実母以外では自分だけだったのにな、と思うと、なかなか複雑な気持ちになる。


「これまで一緒にいたということは、それくらいは許しているかと思いますがね。どうかしたんですか?」


「俺、多分先輩の嫌がることしたんですよ……土曜日に逃げられて、それ以降普通なんですけど、土曜日に明らかに避けられたんですよ!」


 しゅんと沈んだ表情のルークは、声まで元気がない。同じようなことを2回言っているが、恐らく気が付いていないのだろう。

 ブレアと喧嘩した時みたいだが、またあの時のように1週間冷戦するつもりなのだろうか。


「ユーリー先輩は怒ってるの?」


「怒ってない、と思う……口はきいてくれるから。『俺何かしたんですよね?すみません。』って謝ったら、『何で謝るの?』って言われるんだよな……気まずそうに。」


 怒っていたら許して貰えるまで全力で土下座するのだが、怒っていないのならどうすればいいのかわからない。

 はぁーっと、ルークが珍しく深い溜息を吐いた。


「じゃあユーリー先輩はどんな感じなの?表情とかから、何かわかったりしない?」


「うーん……怖がってる?何か俺、怖がられてる気がする……。」


 よーく考えたルークは、ブレアの綺麗な瞳に映った、怯えのような色を思い出す。

 あれは間違いなくルークに向けられた感情で、恐らく恐怖だった。


「怖がっている、ですか……?」


「はい、多分。」


 リアムはまたもや考え込む、静かに目を閉じて、自分の記憶を辿った。

 以外で、あの時以降、ブレアがそのような感情を見せたことがあっただろうか。

 ない。ないと、断言できる。


 危険な目に遭わないように育ててきたつもりなので、肝の据わったブレアが怖がるようなことがなかっただけかもしれない。

 恐怖という感情が欠落しているわけではない――にしても、ルークを怖がる理由がわからない。

 大人相手だって怯まず、リアムのことだって未だ怖がらないのに。


「勘違いでは……ないですか?」


「多分ですけど……。」


 何だか自信がなくなってきたルークは、小さな声で答える。

 更に深く考え始めたリアムの耳に、チャイムの音が入ってきた。


「……私から、何かあったのか聞いておきますね。今は席に着きましょうか。」


「はぁい……。」


 悲しそうに返事をしたルークは、ヘンリーに引かれて渋々席に着いた。

 こんな状態で、ルークは勉強に集中できるのだろうか。


 ヘンリーとしては、ブレアとの距離がどうこうよりも、そっちの方が気になった。

 これで成績を落としたりすれば、それこそブレアが怒りそうだ。





 放課後、1人で魔法創造学準備室にやってきたブレアに、リアムは早速問いかけてみた。


「ディアスさんのこと、どう思っているんですか?」


 早くも魔導書を開いていたブレアは顔を上げて、不思議そうな顔でリアムを見た。


「……別に。普通だよ。」


 リアムの質問の意図もわからぬまま、ブレアは再び魔導書に目を落とす。

 前の席に座ったリアムは、じっとブレアを見つめた。


「好きなんですか?」


「……嫌いじゃないけど。」


 視線が気になったのか、ブレアは再び顔を上げる。

 リアムのことを見つめ返して、怪訝そうに眉を顰めた。


「好きなんですね?」


「……まぁ、それなりには。」


 何だか圧を感じて、ブレアは渋々正直に答えた。

 突然、どういう趣旨の質問だろうか。


「他には。どう思っているんですか?」


「……特に何も。」


 強いて言うならウザい、だろうが、別にそこまで思ってはいない。

 間接的にとはいえ、ウザくてもいいと言ってしまったのもある。


 話は終わっただろうと思い、再び本を読もうとすると――聞き捨てならない言葉を、リアムが発した。


「――怖い、と思っていたりは?」


 はっとしたように目を丸くしたブレアは、誤魔化すようにそっと目を閉じた。


「……何それ。そんなわけないでしょ。」


 図星の反応だ。リアムにはわかる。


 予想外の言葉を聞けば、目を丸くするだろう。

 けれどその場合は、誤魔化さない。

 わざと目を閉じるということは、何かしら思うところがある。


「怖いんですね。どこが怖いんですか?」


「どこも。1を除けば、僕に怖いものなんてないよ。」


「その1が、ディアスさんなんですか?」


 リアムはちゃんと、その1つが何か知っている。

 それはルークではないが、敢えて聞いてみた。


「違うよ。彼はから。」


 ブレアは再び、魔導書に目を落とした。

 ブレアの怖いもの、それは――


 それだけだ。決して、増やさない。だから――


 ブレアは魔導書を読むフリをして、ちらりとリアムの様子を伺う。

 リアムは探るような、心配するような顔で、ブレアのことを見つめている。


 ――だから、僕を心配しないでほしい。

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