第115話 ――多分、僕の方が上手いよ?

 廊下に出たブレアは、そのまま布団に乗らずに歩き出す。

 単体だと普通に見えるブレアの横で、無人の布団が宙を滑っていて、何だか不思議な光景だった。


 ルークと話すために歩いているのだろうか。

 話なら、部屋に戻ってからでもいいのにな。

 などと思いながら、ルークはブレアの隣に並ぶ。


 隣を歩くと、歩幅のせいで少しルークより歩くのが遅いのがわかって可愛らしい。

 前を向いているブレアの横顔を眺め、話が切り出されるのを待つ。


「無効化魔法でしたかったこと、もう終わったから。君が無理に助手を続ける理由って、もうないんだ。」


「え……っと、無理してませんよ?」


 ふっと、嫌な予感がした。

 むしろ喜んでやってます、とルークは戸惑いながら言う。

 目線だけをルークの方へ向けたブレアの言葉が、その予感を的中させる。


「だから、もう助手はやめてもらおうかなって思うんだ。」


「……拒否権は!ないですか?」


 ブレアが小さく頷くと、ルークの表情が悲しそうに曇った。

 急に見放された気がして、どうしようもなく辛くなった。


「でも!でも無効化魔法があったら、魔力酔いとか、治してあげられるじゃないですか。」


「別に、いらない。」


「先輩が思いついた魔法の実験体とか、なれますよ?」


「必要ないかな。」


「家事とかもできますし、他の無属性魔法だって、沢山使えるようになりましたよ……?」


「君がいなくてもできるでしょ。」


 いらない、必要ない、いなくてもいい。

 その言葉達が自分の存在価値を下げていく気がする。

 ブレアにとって、自分がどれだけ取るに足らない存在だったのか、見せつけられている気がする。


「……確かに、魔法の習得はすごく時間かかりました。家事とか他の魔法は、先輩にもできるってわかってます。俺じゃなくてもいいことは、わかってます。」


「うん。」


 ルークには、ブレアしかいないのに。

 ブレアだけが、何より大切な人なのに。

 冷や汗で少し湿った手をぎゅっと丸めて、爆発しそうな感情を抑え込む。


「それでも俺、頑張ったんですよ。先輩のために。先輩が足りないって言うなら、まだまだ頑張れます。その、俺に触れられるのとかが嫌なら、これまで以上に気を付けます。」


 顔は前に向いたまま、目だけでルークを見て、ブレアは小さく頷いた。


「……うん。ありがと。でも……もう大丈夫だから。君は――」


「なので、簡単に捨てないでくださいよっ!」


 淡々と告げるブレアの落ち着いた声をかき消すように、ルークが大きな声を出した。

 ぴりぴりと空気が震え、ブレアが丸くした目でルークを見た。


「そ、んなつもりじゃ……なかった、ごめん。」


「あ……すみません。えーと……。」


 心配するようにルークを見て、ブレアはしおらしく謝った。

 それを見て急激に頭が冷える。


 やってしまった。と思った。

 言い方も、言っていることも悪かった。

 さらに拳を握る。手のひらに爪が食い込んで、少し痛い。


「……君が言いたいことは、それだけ?」


「だけというか、言いたかったわけではなくて――」


「じゃあ、僕の話聞いてほしい。」


 何を言っても言い訳になる。

 ルークは唇を噛むように口を閉じて、ブレアの話を聞くことにする。


「僕も、君を振り回してる自覚はあったんだ、ずっと。勝手だった。でも君には――君がしたいことをしてほしくて。だから、助手はもう、いらないんだ。」


「……先輩の助手が、俺のしたいことだったら、どうしますか?」


「それはない。」とブレアはきっぱりと否定する。

 何でですか、と問い詰めたくなってしまった。

 あるのに。無効化魔法が使えた時、助手の役割が果たせる、と嬉しかったのに。


 ブレアの役に立ちたい、ブレアを喜ばせたい。

 心の底から、そう思っているのに。


「勘違いしないで。君は、僕の助手になりたかったわけじゃないでしょ?真っ直ぐな癖に、絶対折れない癖に……そこ、間違えないでよ。」


 何故か悲しそうな顔で言った。

 その言葉の意味がわからず、ルークは固まって考え込む。

 いつの間にか歩は止まってしまっている。


「……俺は、先輩のお役に立ちたくて……。」


「それは、助手になる前から?それは、助手としてだったの?そんな肩書に縋って、意味、あるの?」


 ゆっくりとブレアが首を傾げる。

 やっぱり遠回しな言葉だったが、少しだけ真意に近づいて、ようやくルークは気づいた。


 ――ルークは、ブレアの恋人になりたい。

 それは初めから、今でも変わらない。


「別に、捨てるわけじゃないよ。もう助手は終わりにして……それでも君が僕といたいと思ってくれるなら、君がしたい形で一緒にいてほしい。」


「それは――今まで以上に、口説いていいってことですか。」


 一緒にいて“ほしい”。その言葉に安心する。嬉しくなる。

 それでも更に期待してしまう。

 探るようにルークが聞くと、ブレアは薄く微笑んだ。


「君がしたいことをしてほしいって、言ったでしょ。」


「なら、先輩のこと落とします。」


 ルークが決意すると、ブレアは口元に手を当てて、クスクスと笑った。

 何だかブレアの機嫌がよくて、可愛い。


「無理だと思うけどなあ。君、ヘタレだもん。」


「できますよ!絶対落としますから、その時は付き合ってください!」


「どうしようかなー。」


 早速ルークのアプローチを躱したブレアは、ルークの手をそっと握る。

 魔力を流して、状態を確認する。先程と殆ど変わりない、空のまま。


落とすのは――多分、僕の方が上手いよ?」


「恋愛すらしたことなさそうな先輩には負けません!」


「本当かなー。」と機嫌よく笑ったブレアは、くるりと回るように移動して、ルークの前に立つ。

 薄く微笑んだまま、ルークのネクタイを掴んだ。

 

「どうしま――」


 どうしましたか?と聞くより前に、ブレアがネクタイをグイと引っ張った。

 ルークはバランスを崩しかけて、前のめりになってしまう。


 端正な顔が間近に近づいて、見とれてしまいそうだ。

 ブレアの長い睫毛の先が触れそうで――え、触れそう?


 疑問に思った時には既に――唇に、柔らかいものが触れていた。

 ルークはこれまでにないほど丸くした目を見開いて、ピントが狂いそうな近さのブレアを見つめた。


 ふに、という擬音が似合いそうな柔らかい感触。

 夢かと思ったのに、どうやら夢ではないらしい。


 どくどくと心臓が大きく脈打って、全身に熱が巡っていく。

 嬉しいどころの話ではなくて、最早卒倒しそうだ。


 ――数秒、恐らく10秒ほど、そうしていて。


 ブレアがルークの肩を少し押して、ぱっと離れた。

 名残惜しくもブレアは離れてしまって、けれど、残念がる余裕すらなかった。


「ほらね。ふふ……顔、真っ赤だよ?」


 唖然としているルークを見て、ブレアはクスリと笑った。

 ルークの顔は触れば熱そうなほど耳まで真っ赤に染まっていた。

 そういうブレアの頬も、紅潮している。


「……え、あの、せんぱい……い、今のはどういう……その、キ、キ、ス、です、よ、ね……?」


「さあ。どうかな。」


 誤魔化すように言ったブレアは、ひょいと布団の上に乗る。

 そのまま顔を隠すように、頭まで布団を被った。


「帰ろ。」


「ま、ってください先輩!?今のは、今のはどういう意味で!?」


 ようやく思考が動き始めたようで、更に顔を真っ赤にしたルークが上ずった声で聞く。

 それに答えることはせず、ブレアは魔法で布団を動かし、進みだした。


「待ってくださいよ~先輩~?」


「煩い。」


 きっぱりと言うブレアに置いて行かれないよう、ルークは慌てて歩き出す。


 歩きながら、自身の唇に軽く指で触れる。

 やっぱりさっきの感触は気のせいではなくて、まだ真っ赤な頬が緩むのを見られないよう、ルークは手で口元を覆った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る