第113話 貴女、甘えるの下手ですよね

 数日後の放課後、ブレアはいつも通り1人で魔法創造学準備室にやってきた。

 ノックもせずにドアを開けると、いつもの如くリアムがこちらを見た。


「ブレア……いつになったらノックができるようになるんですか?」


 呆れたように溜息を吐くリアムだが、優しい目尻は下がって、逆に口角は少し上がっている。

 ブレアに会えたことが嬉しいんだな、と勝手に決めつけて、ブレアの機嫌も少しだけよくなる。


「他ではするよ?でも先生だもん。」


「親しき仲にも礼儀ありって知ってますか?」


 浮かばせた布団を部屋の奥に入れると、リアムの方へ歩いて行く。

 ブレアが肩を竦めて言うと、リアムはその長い髪を梳くように撫でた。

 むっと軽く唇を尖らせたブレアは、リアムの隣を通り過ぎ、奥の棚まで歩いていく。


「そちらは論文やレポートを保管しているだけですよ?」


「その論文に、用があるんだよ。」


 ファイルの背表紙を順番に見つめているブレアは、いいものを探しているというより、明確に目的のものがあるようだった。

 魔法以外のことにも、自分以外の生徒が書いたものにも興味のないブレアが、こうして資料を探しているのは珍しい。

 しゃがんだり、背伸びをして探していたブレアが、「あった。」と呟いた。


 背伸びをして分厚いファイルに手を伸ばしているが、微妙に届いていない。

 見かねたリアムが後ろからファイルを取って、ブレアに手渡す。


「どうぞ。」


「ありがと。」


 ブレアがファイルを受け取ると、リアムは空いた手でさっきよりもゆっくりとブレアの頭を撫でた。


「やめて。」


「綺麗な髪だなと思いまして。梳かしてあげましょうか?」


 抗議の目を向けていたブレアは、ファイルを抱え込んで、そっと目を逸らした。


「……リアムが梳かしたいって言うなら、仕方ないからいいよ。」


「貴女、甘えるの下手ですよね。」


 クスリと笑ったリアムが言うと、ブレアは「煩い。」と照れを紛らわすように言った。


 あの高さなら男体になれば届く。魔法を使えば取れる。

 なのにそれをしないということは、甘えたい気分なのだろう。

 たまに、こういう時があるのだ。


 いつもの席に座ったブレアの髪に、そっとブラシを通す。

 開いたファイルを後ろから見たリアムは、意外そうに少しだけ目を丸くした。


「私のですか。」


「そうだよ。」


 意外そうに聞いてくるリアムに、ブレアは「当然でしょ。」と答える。

 あの棚に保管されている物の作成者は、教師もいれば生徒もいる。

 その中でブレアが興味を示すようなものを書けるのは、リアムくらいだろうとブレアは思っている。


 分厚い論文集のようなファイルをパラパラと捲り、概要だけを確認していく。


 魔法創造学で書いたのだろう、創作魔法について。

 マナが魔力に変化する時のこと。

 魔力とマナの、扱い易さの違い。

 魔力適合のことや、魔力酔いのこと。

 魔法の制御の仕方、姿を変えられる魔法はあるのか、無意識化での魔法使用のこと、強化魔法のこと。


「先生、僕のこと好きだね。」


「ええ、好きですよ?」


 ブレアが少し得意気に呟くと、リアムはなんてことないように、さらりと答えた。


 研究内容の大半が、ブレアに関係のあることだ。

 魔力酔いのことなんて、明らかに特異な例を調べていて、わかったところでブレア以外の誰にも需要がない。


 “自意識過剰”とか、“気のせい”なんて言葉では誤魔化せないほど、研究内容から自分への愛を感じてしまう。


 ブレアに関係のない物は恐らく……リアムが本当に調べたかったこと、調べなければいけないこと。

 それよりもブレアの体質のことを優先していたのかと思うと、何ともいえない気持ちになる。


 どんどんページを捲っていくと、目的のページに辿り着いた。

 ブレアが今日、読みたかったのは魔石についてだった。


「最近は、魔石に興味があるんですか?」


 集中しているのか、問いかけてもブレアは無言で頷くだけで、返事をしない。


 魔石の構造、影響、魔道具に取り入れることで得られる効果、魔石の移植について……など、様々なことが書かれている。

 速読の要領で全て読んだブレアは、目を休めるべくゆっくりと閉じた。


「うーん、魔力だけじゃないね。体力も。あと記憶とか感情とか、精神面全般。特に不安と……興味とか願望、かな。」


「何の話ですか?」


 目を閉じたまま言うブレアに、リアムは髪を梳かす手を止める。

 訝しむように見ていると、ブレアが振り返り、アメシストの目を薄く開いてリアムを見た。


「――魔石が狂わせるもの。魔石が自分と近しい生物であればあるほどその力は強くて、制御なんて効かなくなる。気を抜いたら――呑まれるね。」


「聞いたことのない話ですね。どこで見たんです?」


 やけに確信めいた言い方だ、とリアムは首を傾げた。

 どう伝えようか、と考えたブレアは、真っ直ぐにリアムを見て、ゆっくりと口を開いた。


「うーん、実体験……かな。」


「……いつ、どこでですか?」


 表情を険しくしたリアムが聞くと、ブレアは口角を釣り上げて、不敵に笑った。

 笑いごとじゃないでしょう、とリアムが言うよりも速く、ブレアが答えた。


「内緒。先生に心配かけたくないんだ。」


「既にかけてますが。言われない方が心配しますよ。」


 リアムがなんとか答えさせようとするも、ブレアは無言で首を振る。


「ところで先生。」


 落ち着いた声色で、特別焦った様子もなく、自然の流れのように話題を変えた。

 まるで、話題を変えたのではなく、そういう流れであったように。


「――先生は、魔力の制御が苦手だよね。は、気がするんだけど。」


 くるりと椅子を回して、ブレアは体ごとリアムの方を向いた。

 はっとしたように黒い目を見開いたリアムは、誤魔化すようににこりと笑う。


「……そうですか?」


「僕、“魔石が狂わせるもの”、さっき言ったでしょ。――そういうこと、だよね。」


 じっとリアムを見つめる紫色の瞳は、否定の言葉を求めていないようだった。

 ただただ肯定されるのを待っている。


「……なんのことでしょうか?」


 けれどリアムは、それでも笑顔を崩さぬまま、知らないフリをする。


 認めたところで、何も変わらないのだから。

 肯定すれば次にくるだろう言葉を、ブレアに言わせたくなかった。

 なのにブレアは、予想通りの言葉を口にする。


 静かに、しかし力強く――ごめん、と。


「貴女は何も、悪いことなんてしていないでしょう。」


「したよ。全部僕のせいじゃないか。」


 してません、とリアムはもう1度繰り返す。

 ブレアはむっとしたように唇を尖らせた――が、すぐに緩み、悲しそうな顔になった。


「した!僕があの時変なこと言ったから、リアムがこうなったんでしょ?僕がリアムと仲良くならなかったら、リアムは触れることだってなかったよね!……僕がいなかったら、お母さんはまだ生きてた……!」


「やめなさい。」


 わざと厳しい口調で言ったリアムは、口を塞ぐようにブレアの顔に触れた。

 微かに眉が寄ったのを見て、子供のように頼りない、今にも泣いてしまいそうな顔からそっと手を離す。


「リアムが認めてくれるまで、やめない。いくらでも自責する。それだけじゃダメなら、リアムがどこまで無自覚だったのかわからないけど、僕が気づいたこと全部言うよ。でも――」


 リアムでも見たことないくらい、悲しそうな顔。

 深い紫色の瞳に映るのは、寂しそうな色。

 縋るような目でリアムを見て、呟くように、けれど強い口調で言った。


「――いわせないでよ。」


 もし、リアムに不都合がないのなら、リアムが何も気づいていないのなら、一生隠し通したかった。

 だから、言わせないでほしい。


 ――偶に感じることがあった、殺気の正体、など。

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