第110話 最高に可愛いです……最早眠り姫!?

 その後、本当に30分足らずでエマが来てくれた。


『とりあえず汗拭いて、着替えの手伝いするわね!』


 と言ってくれたエマは、何だか張り切っていた気がする。

 なにやら紙袋を下げていたが、何を持ってきたのだろうか。 


 流石に追い出されてしまったルークは、壁にもたれて廊下で着替えが終わるのを待っているところだ。


 体感1時間――実際には20分程待った後、ゆっくりとドアが開いた。


「ルークくーん、もう入って大丈夫よ!」


「ありがとうございます!!」


 部屋に入ると、エマは寝ているブレアの隣に移動する。

 ルークの方を振り返ると、嬉しそうな顔で手招きをしてきた。


「ルークくんちょっと来てー!」


「なんですか?」


 不思議そうにルークが近づくと、エマはニコリと笑う。

「ちょっとだけごめんね?」とブレアに囁くと、そっと布団を捲った。


「えっ!!先輩可愛いっっ!」


 ブレアの姿を見て、ルークはつい大声を出してしまった。

 エマがしー、と人差し指を口元に当てる仕草をするので、あわてて口を塞ぐ。


「可愛いでしょー!ブレアがいつも着てるのは寒そうだから、絶対似合うと思って持ってきたの!」


「めちゃくちゃ可愛いです……!本当にありがとうございますエマ先輩!」


 ブレアを凝視するルークの感謝は、なんだか先程と意味が異なっていそうだ。

 連絡をもらったエマがすぐに来ず、一旦家に帰った理由がこれである。

 この機会に、ブレアに可愛い寝間着を着せたかった。


 エマが持ってきたのは、パステルカラーの前開きのパジャマだった。

 裾や胸元にフリルがあしらわれている、可愛らしい、女の子らしい雰囲気の衣服で、エマが選びそうなデザインだ。


「可愛い……可愛すぎませんか?普段の先輩の部屋着もえっちで可愛いですけど、露出が低いのもまたいい……こ、これはこれでえっちですね?」


「ずっと言おうと思ってたんだけど……それ褒め言葉じゃないわよ?」


 口元を抑えたまま悶えているルークを、エマは苦笑しながら見ている。

 喜んでもらえるだろうとは思っていたが、反応が予想通りすぎて怖い。


「最高に可愛いです……最早眠り姫!?キスしたい。」


「やめてあげて。」


 ブレアの眉がぴくりと寄ったのを見てエマがすばやく注意する。

 別に本気でやろうとは思ってない。“キスしたいくらい可愛い”と言いたかっただけだ。


「スポーツドリンクとかゼリーも買ってきたから、ちゃんと水分補給させて、食べれそうなら食べさせてあげて。」


「何も食べないよりはましでしょう?」と言いながら、紙袋から取り出した飲料やカップゼリーを取り出し、机の上に並べる。

 空になった紙袋を畳んでいるエマに、ルークは丁寧に礼を言った。


「じゃあ、私はリサの部屋に戻るから、何かあったら呼んでね。」


「はい!本当にありがとうございます!」


「そんな大層なことはしてないわよ?」


 深々と頭を下げたルークに、エマは困ったように首を振った。

 もっとエマにできることをしてあげたい気持ちもあるが、そっと寝かせておくのがいいだろう。

 エマがいると話して騒がしくしてしまうだろうし、早々に立ち去るべきか。


「またね!ルークくんお世話頑張って!」


「ありがとうございます!頑張ります!」


 笑顔で手を振って、エマは部屋を後にした。


(……エマ先輩は手出すなとか言わないんだ……。)


 などとどうでもいいことを考えながら、椅子に腰かける。

 心なしかブレアの顔色が少しだけ、よくなっている気がする。


「先輩、エマ先輩がスポーツドリンク持ってきてくれたんですけど……飲めますか?」


「んー……多分。」


 薄目を開けたブレアが、気怠そうに返事をした。

 やっぱり少し回復しているように見える。


「起こしますよ?失礼します。」


 一声かけてから、優しくブレアに触れて起き上がらせた。

 蓋を開けて、飲み口をブレアの唇に触れさせる。

 ほんの少しだけボトルを傾けて液体を口内に流し込んだ。


「もう少し飲めますか?」


 喉が微かに動いたのを見て、一度ブレアの口からボトルを離す。


「んん……。」


「そうですか……。」


 ブレアが小さく首を横に振ったのでルークは少し残念そうに苦笑する。

 ルークが蓋を閉めている間に、ブレアは倒れるように横になった。

 不安定に光の揺れる瞳を、心地悪そうに瞬いている。


「ごめん。」


「何がですか?」


 何だか覚えのあるやり取りだ。

 ブレアは弱ると謝りたくなってしまうのだろうか。

 可愛いな、なんて思いながら聞き返す。


「また……迷惑、かけてる、こと。」


「いいんですよ?むしろもっと頼ってください!」


 ルークがそっと布団を掛けると、ブレアはゆっくりと、小さく首を振った。


「……弱ってるとこ、見られたくないって……言ったばっかりなのに、ね。」


「頼りない先輩も好きですよって言ったじゃないですか。喋るの辛いなら無理しないでください。」


 手を額に当て、ブレアは疲れたような溜息を吐いた。

 回復しているようには見えるが、まだまだ完全回復には時間がかかりそうだ。


「ごめ……。」


「謝ることないですって!俺先輩の助手ですから!当然です!」


 きゅっと目を閉じたブレアは、少しだけ口角を上げた。

 顔色は優れないが、無理矢理笑ったわけではなさそうだ。


「……助手なら、魔法……頑張ってよ。」


「それはすみません…………あの!」


 ふといいことを思いついたようで、ルークは少し食い気味に声を出す。

 ブレアが小さく首を傾げると、一旦心を落ち着かせて聞く。


「先輩の体調が優れないのは魔力酔い――つまり、魔法とか、マナとか魔力が原因ってことですよね?」


「うん……そうだけど、な――にっ!?」


 突然ルークに手を掴まれ、ブレアは驚いて目を見開いた。


「あっ、すみません!失礼します。」


 ルークはぎゅっと握った手を離さないまま慌てて謝った。

 細い手を覆うようにもう片方の手も添えると、ブレアは戸惑ったように手を引こうとする。


「すみません、じっとしててください。」


 ルークは更に両手に力を込め、すーっと深呼吸をする。

 そのまま目を閉じて、小さな声で術式を唱えだした。


「え……待って、何して……?」


 ブレアの問いにも答えず、ルークはひたすら術式を唱えている。

 何をしているのかわからないが、ブレアに魔法をかけようとしていることはわかる。


 ブレアは不安――を通り越して、最早恐怖を抱いている。

 どんな効果があるのかわからない魔法をかけられるのも、かけるのが十分に制御できない人なのも恐怖でしかない。


 手を離そうとしても、上手く力が入らない。

 魔法が使えないと、何も抵抗できない。

 今更そんなことに気づいてしまって、余計に恐怖を加速させた。


「ひゃっ!?」


 ルークが式を唱え終わったようで、手のひらが淡い光を放つ。


 握られた手から伝わってくる、ビリビリッと多量の魔力が流れてくる感覚。

 その後に続くのは、身体の中の力が無理矢理押し出されていくような、自身と結びついていたものを無理矢理切り離されるような、味わったことのない感覚。


「――先輩!体調はどうですか!?」


 魔法が終わり、目を開けたルークは手を握ったままブレアの方を見た。

 これで体調がよくなっているはず――と、期待を込めて見たのだが。


 あまりに強く、気持ち悪いのか、いいのかすらわからなくて混乱していたのか。

 顔を真っ赤にしたブレアは、肩が跳ねるほどの荒い息をしていて。

 薄く開かれたアメシストの目には、不安定に揺れていた光の代わりに――はっきりと、拒絶するような、恐怖の色が浮かんでいた。

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