第100話 ――無効化魔法の練習が終わったら、やめないとなあ

 ふうっと息を吐いたブレアは、立ち上がって辺りを見回した。

 木々が生い茂る森の前、一帯に広がる更地。

 特に特筆するような物もないここで、どれくらいの時間ぼーっとしていただろうか。

 

「……今年の冬休み、長いなあ。」


 何となく心細くなってそう呟いてみるが、余計に寂しさを加速させてしまった。

 返事が返ってきたら、少しは気持ちも和らいだのだろうか。


 普段通りに魔導書や本を読んだり、たまにリアムと話していればすぐに終わると思っていたのに、まだ年すら明けていない。


 暇すぎて、ちょっとした用事で訪れたここで、用事が終わった後も何時間も過ごしてしまう始末だ。

 殺風景で人がいた形跡もほとんどないここは――かつてブレアが、1番好きだった場所だ。


 ここに来なくなってから、もう10年になった。

 あの日以来、1度もここへは来なかった。

 ここへ来れば、動けなくなると思ったからだ。

 

 少しでも懐かしさを感じてしまえば、振り返ってしまう。

 逆に跡形もなくなっていれば、立ち上がれなくなる。

 そう思うと行く気になれなくて、ずっと見ないふりをしていた。


 なのに今ブレアは、跡形もなくなったここに懐かしさを感じている。

 振り返ってしまった。振り返ってしまったけど、前を向いて、立ち上がることができた。


 勿論悲しくなった、寂しくなった。

 けれど思っていたよりも、傷つかなかった。


 別に忘れたわけじゃない、平気になったわけじゃない……はずだ。

 先月だってあんなにも心を抉られて、取り乱して、何度も夢に見たのに。


 今は悲しさも、寂しさも、すっと自然に受け入れられた。


 大人になったのか、時間が和らげてくれたのか、それとも――。


「……いや、ないでしょ。」


 ふっと頭をよぎった思考を、ブレアは顔を顰めて否定する。

 最近変だ。明らかにおかしな発想が、思考の邪魔をしてくる。


 そんなノイズが、感傷を和らげているのだろうか。

 ノイズに感謝すべきなのか、それを取り払って、痛みにも目を向けるべきなのか。

 どっちなのかも、ノイズの正体も、取り払う方法もわからない。


 流石にそろそろ帰ろうかな、と、ブレアは踵を返して歩き出した。


 帰る場所だったはずのここから、別の場所に変えるなんて、中々の皮肉だ。

 別に嫌なわけではない。よくしてもらっているし、リアムが傍にいてくれるのだから。

 けれどもやっぱり、どこか寂しく思ってしまう。


 早く帰っても退屈するだけなので、ゆっくり歩いて帰る。

 折角だからと帰路に選んだのは、お気に入りだったあの場所に行くための道。


 ブレアのための道だった場所にはもう草が生えてきて、薄っすらと面影が残っているだけだった。


 背の低い木が邪魔で、時々屈まなければいけない。

 あの時は簡単にすいすいと通れていた道が、今では歩きづらくなっていた。


 草をかき分けながら進み、ようやく広い場所――いつもリアムと過ごしていた場所にたどり着いた。

 ここは10年前とほとんど変わっておらず、短い草やブレアの好きな花が生えている。

 流石に今は咲いていなくて、見られなかったのは残念だ。


 立ち止まることはせず、通りすぎるついでに景色を見る。


 ――この時期は寒くて、ずっとリアムにくっついていたっけ。


『そんなに寒いなら、家にいればいいじゃないですか。』


 そう言って苦笑するリアムに、嫌だと言って困らせていたのを思い出した。

 寒くてもいいから、魔法を教えて欲しかったのだ。


 今思えば、本当に勝手だったと思う。

 年相応、といえばそうかもしれないが、我儘ばかり言っていた。


(よく僕なんかと一緒にいてくれたよね。)


 リアムが一緒にいてくれることが当たり前になっていたが、毎日見ず知らずの子供の相手をするなど、優しすぎる。

 もしも今ブレアが同じ状況になったら、絶対そうはならない。放っておく。


 ブレアはリアムと母くらいしか一緒に過ごす人はいなかったが、リアムはそうじゃなかったはずだ。

 両親もいれば、学校には友人もいるだろう。

 それに、リリカという婚約者もいたのに。


 自分なんかと遊んでいてよかったのだろうか。

 もっと他にやるべきことや、過ごすべき相手がいたのではないだろうか。

 今だってブレアを義妹にしてくれて、本当の妹のように可愛がってくれている。


 そんなことをしてていいのか。

 ブレアに向ける分の愛情をリリカに向け、ブレアの面倒を見る目を教え子に――あるいは自分の子を作り、そこに向けるべきなのではないだろうか。

 教師だってそうだ。実は意外と位の高い家の長子なのだから、もっと就くべき職業があったはずだ。

 そうでなくても、なにかやりたいことはなかったのだろうか。


「よく、ないよね……。」


 初めて冷静に過去を振り返って、気が付いてしまった。

 自分がリアムに甘えすぎていることに、そしてそれは、リアムにとって悪影響であることに。


 甘えている自覚はあった。

 けれどそれによるリアムの労力は想像よりも大きく、それによって多くの損失が出ている可能性に、今更気づいてしまった。


 リアムが仕方なくブレアの世話をしているわけではないことはわかっている。

 リアムがどれほど自分を好いてくれているかは、よくわかっている。


 そんな抱えきれないほどの愛情が、ブレアの存在が、リアムを縛ってしまっている。

 ブレアは、好意に甘えすぎている。

 薄々感じたことが、はっきりとわかってしまった。


 今になって、申し訳なくなってきた。

 リアムのことが、それから――自分がまた、同じようなことをしようとしていることが。


 “ずっと一緒にいてほしい”と言った。彼は、それを承諾した。

 本当にずっと傍にいてくれたら、どれほど安心することか。


 彼を縛るのはよくない。ブレアの望みが、彼の視野を狭めてしまってはいけない。

 リアムじゃなければいいという話ではない。むしろもっと駄目だ。


 きっぱり振った癖に、交際するつもりもない癖に、“助手”などと言って傍に繋ぎ留めている。

 彼の好意はおそらく、冷めない。

 今の扱いに納得いっているかは不明だが、いつまでもこのままでいてもおかしくない。


 それを望んだのはブレアだが、やっぱり不誠実ではないだろうか。

 あまりにも都合がよすぎる、甘えすぎている。


 ならばどうすればいいのか。ブレアはなにをすればいいのか。

 考えれば1つ、明確に答えが分かった。


「――無効化魔法の練習が終わったら、やめないとなあ。」


 リアムの家に帰ってきてしまったので、気持ちを切り替える。

 無駄に、と言うと悪く聞こえるが、本当に広い。

 お屋敷、という言葉が似合いそうな家。


 初めの頃はしょっちゅう迷子になっていた。

 流石に住み慣れたが、外から見ると圧を感じる。


 重いが、けれども簡単に開くドアを開けて、中に入る。

 ――と、廊下を少し進んだところに、2つの人影が見えた。


 1人は優しい赤色の髪をした背の高い男、リアムだ。

 それはいい、それは別にいいのだが。


 もう1人の姿を見て、ブレアはあからさまに顔を顰めた。

 そこにいたのは、できれば会いたくない人だった。

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