第98話 ……流石に怒るぞ!?

 笑うばかりで何も言わないルークが不思議だったのか、少女はルークから離れて、不思議そうに首を傾げた。


「お兄ちゃん?」


 心配そうに様子を伺われ、ルークは慌てて「ごめん。」と謝った。


「ただいま、ソフィ!」


「うん、おかえりなさいっ!」


 ルークが答えると、少女――ソフィは嬉しそうに口角を上げて笑った。

 綺麗な桃色の瞳がキラキラっと輝いた。


 彼女の名はソフィ・ミッチェルという。

 ルークのことを“お兄ちゃん”と呼び慕っているが、苗字からわかる通り血縁関係はない。

 すぐ近くの家に住んでいる、所謂幼馴染、というやつだ。


「見て見て!髪の毛自分でやったの、きれーでしょう!」


「おお、上手いな!すごい!」


 ルークは感心したように言って、嬉しそうなソフィの髪に触れる。

 丁寧に巻かれた髪はとても綺麗だ。

 最高学年とはいえ、初等学生が1人でここまでできるのはかなりすごいと思う。


「まだお兄ちゃんくらいじょうずにはできないの。だからコツとか、もう1回教えてっ!」


「いいぞ!十分上手いと思うけどなあ。」


 ルークが髪を梳かすように指を滑らせると、ソフィは照れたように笑った。


「それからね、してほしい髪型いっぱいあるの!前してくれたリボンみたいな2つ結びもしてほしいし、編み込みもしてほしい!かわいいからハートみたいな三つ編み?もやってみてほしいの!」


「わかった。2週間くらいはいるから、1日1つずつやろう。」


 ルークが頷くと、ソフィは「やった!」と少し大袈裟に喜んだ。


 以前ルークは髪を結うのが得意だ、という話をしたが、それはソフィの影響である。

 ずっと小さかった頃、絵本に出てくるお姫様に憧れたソフィが、「お兄ちゃん器用だからできるかも!?」と頼んできたのが発端だった。

 それからソフィのお願いがだんだん高度になっていき、ルークも楽しかったので、応えて……としているうちに、いつの間にか立派な特技になっていた。


 この特技を活かしてブレアを可愛い髪型にしたいのだが、未だに髪を触らせてもらえたのはあの1回だけだ。

 ブレアは髪が長くて綺麗で、顔も綺麗だから、絶対映えるの思う。

 どこかでチャンスがないかなーと、ルークは常々、実は出会ってすぐくらいから思っている。


「……にしても、ソフィがいつも通りで安心した。寮に移る時喧嘩したみたいになったから、嫌われたかと思ってたんだ。」


「嫌うわけない!ソフィ、ルークお兄ちゃん大好きよ。」


 ルークがありがとな、と笑うと、ソフィは笑みを消して顔を曇らせた。

 ずっとまっすぐに見ていた視線をルークから外してから、チラリと様子を伺うように上目遣いでルークを見た。


「あのね、ルークお兄ちゃんいなくて、寂しかったの……。」


 しゅんとした様子のソフィに言われて、ずきんっと胸が痛んだ。

 寂しい思いをさせたと思うと、急に申し訳なくなる。


 浮かれていたんだろうな、と思った。

 多分、周りが見えていなかった。ブレアのことしか考えていなかった。

 ソフィを悲しませてしまった、傷つけてしまったと思うと、あの時の自分の行いを悔いる。


「ごめん……。俺、自分勝手だった。」


「ううん。かわりに、冬休みいっぱい遊んでっ!」


 にこっと笑ったソフィにほっとして、ルークは「わかった。」と答えた。

 ソフィに嫌われていなければそうするつもりだったし、それくらいお安いご用だ。


「じゃーねー!髪かわいくしてほしいでしょー、お絵かきもしたい!あとはバトミントンとー、おままごととー……おかし作りも教えてほしい!」


「うん、全部やろう!」


 嬉しそうに顔を輝かせて、ソフィはやりたい遊びを言っていく。この調子だと、あっという間に冬休みが終わってしまいそうだ。


「それからー、学校のお話!…………ルークお兄ちゃん。」


「どうした?」


 またしても笑みを消してしまったソフィを、ルークは心配したように見る。

『いつも通りで安心した』と言ったが、少し変わったかもしれない。

 少し見ない間に大人になった気がする。

 それか、やっぱりルークに何か思うところがあるのだろうか。


「えっと、あのね……。」

 

 言いづらそうに視線を彷徨わせていたソフィは、意を結したようにルークの目を見て――すぐに逸らしてしまった。


「そのー、センパイ?とは、うまく……いってるの?」


「いってる!めちゃくちゃ上手くいってる!と、思う!」


 なんだかソワソワしている様子のソフィの意図はわからず、ルークは素直に即答する。


 ブレアの態度が軟化してきたような気がするから、上手くいっていると言えると思う。

 けれど実際に付き合ったりしたわけではないので断言はできない。


「そっか……。」


 何だかソフィが残念がっているように見えて、ルークは少し戸惑った。

 どうしてもルークと視線を合わせられず、ソフィはルークの顔より少し下を見て――あれっ?と声をあげた。


「お兄ちゃん、そんな服、持ってた?」


 ルークがブレザーの下に見覚えのないカーディガンを着ていて、ソフィはこてんと首を傾げた。

 最近買ったのだろうか。にしてもルークが服を買うなんて珍しいな、と思っている。


「ああ、これは先輩に借りたんだ。先輩優しい、好き。……ソフィ?」


 うっとりとしていたルークは、ソフィの異変に気がついて緩んだ口元を引き結んだ。

 頬を膨らませていて、桃色の瞳は微かに潤んでいる。

 悲しそう、というよりは怒っているように見える。


「〜〜っ!」


 無言で怒り(?)を露わにしたソフィは、横に置いてあった筆洗を掴む。

 バシャっと、その中の水をルークの胸辺りにかけた。


「え……。」


 全く予想外、全く意味のわからない行動に、ルークは唖然としている。

 状況を飲み込むのに数秒、数十秒を要してしまった。


 長いようで短い沈黙。気まずそうなソフィ。

 固まっていたルークは、ようやくゆっくりと口を開いた。


「ソフィ……流石に怒るぞ!?」


 かなり怒っている様子のルークに、ソフィは怖がるように少し体を震わせた。


「ご、ごめ……。」


 ごめんなさい、と謝ろうとしたソフィは、少し考えた後――その口を閉じて、ぷいとそっぽを向いた。

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