第92話 ……セルフ彼シャツ!?
普段はそんなに広いと感じない体育館も、2人きりには広すぎると感じる。
華奢な肩を押して背中を壁につけさせると、その体が酷く強張っているのがわかった。
「緊張してんの?力抜けよ。」
「……嫌だ。」
へたり込むように座っているブレアの足を掴んで伸ばしながらアーロンが問いかけると、ブレアは小さな声で短く答えた。
きゅっと組まれた腕を掴んで解いたアーロンは、微かに潤んだ紫色の瞳を見て溜息をつく。
「んなに嫌がんなよ、ガキか。すぐ終わるから腹括れって。」
「押さないで。もっと優しくして……?」
背中と壁の間に手を入れて少し強く押すと、ブレアは縋るようにアーロンを見る。
アーロンはもう一度溜息をつくと、叩くように一際強くブレアの背中を押した。
「優しくされたいならテキパキ動け馬鹿野郎。」
「痛いっ、今のは普通に痛いんだけど。」
ぐっと体を前に倒したブレアは下を向いたまま先程までのしおらしい態度とは裏腹に文句を言う。
アーロンが「もういいぞ。」と声をかけるとゆっくりと体を起こした。
「65.7!?めちゃくちゃ柔けえなお前、すげえ!?」
ブレアの横に置かれた長い物差しを読んだアーロンは驚きながら記録用紙に数値を書き込む。
「そうなの?終わったなら帰りたいんだけど、いい?」
「駄目に決まってんだろ。帰りてぇのはオレの方だわ。」
メジャー等の位置を直しながらアーロンが答えると、ブレアは不満そうに唇を尖らせた。
不満なのはこっちの方だ、と思っているアーロンだが、そんなことより痛いほど刺さる視線が気になる。
「――んで、何でオレは睨まれてんの?」
敵意というか、嫉妬というか、よくわからない表情で見てくるルークを、アーロンは怪訝そうに見返した。
「……アーロン先輩、それは俺が本気で、心の底から、先輩のことを愛しているとわかった上での行動ですか?」
「そうだが。オレなんかした?」
ルークは2人の間に割り入るように近づいてきた。
不思議そうに見ているブレアもそっちのけで、悔しそうにアーロンを見た。
「先輩に手出さないでください、可愛い子なら誰でもいいんですよね!?」
「出してねえよ。お前にはこの状況がどう見えてんだ?」
怪訝そうに眉を寄せたアーロンが答えると、ルークは2人を見比べた後、再び睨むような目をアーロンに向けた。
「……セクハラ現場。」
「してねえが!?お前目イッてんだろ。それか頭。」
アーロンが怒ったように大きな声を出すと、ルークは「冗談です。」と真顔で返す。
冗談だったようには見えない。
「アーロン先輩が純粋無垢な先輩を誑かしてるようにしか見えません。」
「だから何でだよ!?意味わかんねえが?」
不快そうに顔を顰めるアーロンに、ルークは真剣な表情で詰め寄った。
「完全にそうだったじゃないですか!俺なんていないかのように好き放題先輩のお身体に触って!」
「待て待て語弊がある!好き放題って何だよ、コイツがちゃんとしねえからだろうが。」
好き放題言っているのはそっちだろう、と思いながらアーロンは慌てて否定する。
なぜ全面的に自分が悪く言われているのかすらわからない。
「同室だった時だって、俺に言ってないだけで本当はあんなことやこんなことしてたんじゃないでんすか?最低ですね!?」
「してねぇよ!その発想が出るお前が最低だわ。」
本当にルークはそんなことしか考えてないんだな。
などと思いながらアーロンは怒鳴る。
するか。しているわけがない。
「脳内で文章つけたら完全にエロ小説の1場面でしたよ!破廉恥です、先輩に近づかないでください!!」
「……被害妄想がすげえ……。」
ルークの意味不明な物言いをしっかり否定していたアーロンは、とうとう諦めたように溜息をついた。
どれだけ否定しても無駄だと思ったようだ。
「脳内でナレーションって何。怖いんだけど。」
呆れたように眉を寄せたブレアに言われ、ルークはようやく少し落ち着きを取り戻す。
ブレアのことが気にならないほど取り乱していたようだ。
「で、なぜ今体力測定を?」
まだアーロンを許したわけではないが、ルークは一度話を戻した。
放課後になるなりブレアに会いにいったのだが、なぜか「体力測定するぞ。」とアーロンに体育館まで連れてこられたのだ。
1年生も授業で行ったが、9月にとっくに終わっている。
それを何故今の時期、しかも放課後にやっているのだろう。
アーロンは大きな溜息をつくと、怪訝そうにブレアを指差した。
「コイツが体育をサボりにサボり、体力測定受け終わってねえんだわ。1種目も。」
ブレアは基本、体育の授業を見学している。
体力測定も行っておらず、学期末の今になって、とうとう教師に怒られてしまった。
「1種目も!?終わってないというより受けてないじゃないですか!」
目を丸くしたルークはブレアの方に目を向ける。
ブレアはふいと顔を逸らして、「だって面倒だから……。」と小声で言い訳した。
「先輩が居残りしないといけないのはわかったんですけど……アーロン先輩もサボったんですか?」
「オレはサボってねえよ?コイツの記録係な。」
アーロンは嫌そうな顔でバインダーをペンで叩いた。
体操着にジャージを羽織り、首からストップウォッチを下げているアーロンは、なんだか体育教師みたいだ。
「アーロン先輩がですか?そういうのエマ先輩がしそうなイメージでした。」
「エマは頼まれたら快く引き受けてくれるだろうな。オレは先生に言われて仕方なくだが。」
ルークが不思議そうに首を傾げると、アーロンは大きな溜息をつく。
先生に言われたと言っても、教師がアーロンに頼むのが意外だと思った。
「何か僕とコレ仲ーー」
「ユーリーが怒られてる時に魔道具いじってたら、怒られて連帯責任だって言われたんだよなーマジだりぃわー。」
ブレアは遮られたのが気に入らないのか、乾いた声で笑うアーロンをじっと見ている。
何か誤魔化した?と、ルークも訝しむようにアーロンを見た。
「教師って本当に生徒のこと見てるのかな。君とセッーー」
「あー、もういいからとっとと終わらせっぞ、お前も手伝え!」
アーロンは無理やり会話を中断して体力測定に戻ろうとする。
ただ早く終わらせたいだけではなさそうだ。
「何でさっきから先輩に被せるんですか!先輩とアーロン先輩が何なんですか!?先輩は何て言おうとしてたんですか!?セッって何ですか!?えっちなことですか!?!?」
「んなわけ!?誰がこんなヤツに手ぇ出したがるか!コイツが何言おうとしてたかをオレに聞くな!」
必死のルークに詰め寄られたアーロンは、顔を引き攣らせて後ずさる。
何故アーロンに聞くかと言われれば、アーロンが遮るからだ。
「コレとセットみたいに思われてるの嫌だって言おうとしたんだよ。」
「セット!?羨ましいです!俺も先輩とセットにされたい……!」
「だから止めたんだよ!コイツと一緒にされたくねえわ。」
せっかくアーロンが止めたと言うのに、ブレアはあっさりと答えた。
自分だけ座っているから首が痛くなるのか、もう2人を見上げることすら諦めて、ぼーっと前方を見つめている。
「マジで意味わかんねえよな、3年連続同じクラスは仕方ないにしても。同室だった名残か知らねえけど席隣率高ぇし!」
「隣の席とかズルすぎるんですが!?代わってくださいよ!」
アーロンだって、代われるなら代わってあげたい。
むしろ代わってほしい。
「はあ、喋るなら僕帰りたいんだけど。早くしよ。君、袖折ってくれない?」
「喜んで。」
ブレアが言うとルークはすぐに側にしゃがむ。
恐るべき切り替えの速さで、ジャージの長い袖を折ろうとしたルークは、ふと違和感に気がつく。
「……先輩、なんかぶかぶか過ぎませんか?」
華奢なブレアなら多少ジャージが大きくてもおかしくないだろう、女子で萌袖してる人結構いるしな、と思うのだが。
そういった言い訳が通じないほど、ジャージのサイズがブレアに合っていない。
袖は手が完全に見えないほど余っていて、丈もワンピースのようになっている。
「どうせ男の時のと間違えたとか言うんだろ?」
「ご名答。君が急かすからだよ。」
アーロンが呆れたように言うと、ブレアは肩を竦めた。
ルークは数歩離れてブレアの全身が見える位置にいく。
じっと無言で、数秒間ブレアを見ていたルークは、両手で顔を覆って言った。
「……セルフ彼シャツ!?」
無理、可愛い、尊すぎる……と呟いているルークを見て、ブレアは少し顔を引き攣らせた。
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