第89話 怖えよ、マジで何してんの?

 あれから何だかんだでブレアとも上手くやり、入学してからもう4日が経過しようとしている。

 これだけ経つと変わったルームメイトとの同居にも慣れ――ているはずもなく。

 アーロンは、もう嫌すぎてキレそうだった。


 ブレアのことを1言で表すと、“変なヤツ”だった。

 勿論魔法で性別を変えられることや、普段は女の格好をしている時点で変なヤツだが、とにかく、どこまでも変なヤツだった。


 部屋にいる時はずっとベッドに寝転んで分厚い魔導書を読んでいて、趣味なのか勉強しているのかわからない。

 入浴や食事をいつ済ませているのかもわからない。

 就寝時間がとても早く、10時くらい、アーロンが気づいた頃にはすうすうと寝息を立てている。


 今日の授業なんて、魔法を教えにきた3年の先輩よりもすごいことをやってのけていた。

「すごいね。」と先輩が褒めると、「君はこんなこともできないの?」とタメ語で喧嘩を売っていた。嫌なヤツすぎる。


 特にアーロンに悪いことはしていないのだが、苛々する。


 とにかく変なヤツで、嫌なヤツかもしれない、変わった男の癖に――顔が美少女なのがムカつく。

 あんなに綺麗な顔なら女であってほしかった。

 ちょっと可愛い、ではなくクラスで1番――ひょっとしたら学年1、何なら校内で1番かもしれないくらい可愛くて、綺麗な子なのに、何故男なのだ。

 性別詐欺は良くないと思う。

『ちょっと好きかもな。』と思ったアーロンの淡い気持ちを返してほしい。


 1度だけ見た男の時の姿がアーロンよりイケメンだったのも、ムカつく。


 今日は先に帰って来ているかな、と思いながらドアを開けたアーロンは、信じられない光景に頬を引き攣らせた。


「……何してんの?」


「おかえり。」


 アーロンが信じられないようなものを見る目で見ても、ブレアは全く気にしていないかのようにゆっくりと顔を上げた。

 ブレアは脱いだブレザーを横に置き、シャツにベストという姿でベッドに腰掛けていた――のはいいのだが。

 左腕の袖を肘あたりまで捲っており、露出した腕の内側に深い切り傷がついている。

 そこから流れる鮮血が、真新しいスカートと、膝の上に置かれた小ぶりなナイフを染めていた。


「マジでなにやってんの?お前メンヘラ?いやリスカにも限度があるだろ。」


 ただのリスカでも痛そうで見ていられないのに、何故縦に切るのだ。

 血管に沿って縦に切り裂いているから、ありえないほど血が出ている。

 

 アーロンはさっと素早く目を逸らす。

 血などグロいものが本当に無理なのだ。

 本音を言えば今すぐ部屋の外に出てどこか遠くへ行きたい。

 だが自分の部屋で起こっていることとなれば、見ないふりをするわけにはいかない。


「失礼だなあ。ちゃんと意味のある自傷だよ。」


「何だよ意味のある自傷って。自分の身体大事にしろ馬鹿野郎。」


 つい顔をむけてしまったアーロンの顔が更に青ざめる。

 眉を寄せて抗議したブレアが、傷口を塞ぐように左腕に口をつけたからだ。

 変とか通り越して怖い。ゾワっと全身に寒気が走った気がした。


「怖えよ、マジで何してんの?」


「血液を通して人に魔力を補給するでしょ?あれってさ、飲んだ血液に含まれる魔力量より、実際に得られる魔力が多い気がするんだよね。」


 ドン引きしているアーロンはブレアの言葉を聞いてさらにドン引きする。

 その方法自体はアーロンも勿論知っているし、もしかしたら保健の教科書に載っているかもしれないが、何故実践したことあるような口調なのだ。

 やったことあるのだろうか。そしてそれと自傷の何の関係があるのだ。


からこうしたひはら血液の流出りゅーしゅちゅによる魔力消費ひょーひより摂取する血液から得られる魔力が増えて、無限に魔力を補給ほきゅーきるんじゃひゃないかなって思っやってみたやっへひは。」


「何て言ってるかビミョーにわかんねえわ……んで、どーなの?」


 アーロンが一応聞くと、ブレアは腕に口を当てたまま首を横に振った。


ダメだねらめらね、変わらないどころか、垂れた血液の分魔力がなくなっていくよ。」


「……お前実は馬鹿だろ。」


「喧嘩売ってる?」


 諦めたようで、ブレアはようやく口から腕を離した。

 口の周りにべったりと赤い鮮血がついていて、正直すごく怖い。


 アーロンははあーっと呆れたように大きな溜息をつくと、心底嫌そうな顔でブレアの前に屈んだ。

 血まみれの腕を掴むと、ブレアは反射的に腕を引っ込めようとする。


「触らないで。離して。」


「この状況で何もしねえ方が無理だわ。治してやるから大人しくしてろ。」


 逃げられぬようしっかりと腕を掴んだアーロンは、もう片方の手でブレアの口元を拭う。

 ある程度口元が綺麗になると、今度はその手で大きく割れた傷口に触れた。


「自分でできるけど。」


「ゼッテーオレがやった方がいんだよ。変なプライドで抵抗すんじゃねえ。」


 べったりと手のひらにつく血の感触と温度に顔を顰めながらも、アーロンは小さな声で術式を唱える。

 ブレアは途端に抵抗をやめ、聞きなれない術式に真剣な顔で耳を傾けた。

 傷口が微かに光り、少しずつ塞がっていく。

 傷が完全に塞がると、アーロンはパッと手を離した。


「……はあ、マジでんな馬鹿なこと2度とすんじゃねえぞ?気持ち悪ぃ、無理、吐きそう、手ぇ洗ってくるわ。」


 ほっとしたように息をついたアーロンはそそくさと水道に行って手を洗う。

 念入りに血を洗い流したアーロンが部屋に戻ると、ブレアは不思議そうに自分の腕を見つめていた。


 なんだかまた同じことをしかねないブレアの横を通り過ぎ、自分の椅子に腰掛ける。

 くだらない好奇心で身体を傷つけないで欲しい。見てる方が痛くなる。


 まじまじと自分の腕を見ていたブレアは、顔を上げてアーロンの方を見た。

 そのまま立ち上がって近づいてくると、両手を笠木の上に置いてきた。


「……どした?」


 じっと真剣な目で見下ろされ、アーロンは若干怖気付いている。

 手の位置が低く、そもそも壁ではないが、壁ドンされているみたいだと思った。

 やっぱりされる方よりする方だよな、などとどうでもいい感想が浮かんだ。


「さっきの魔法、僕に教えて!」


「何でかだけ聞いていいか?」


「僕あんな魔法知らない。」


 キッパリと答えるブレアだが、アーロンからすれば意味がわからない。

 知らないからなんだ。知らないから教えて欲しいのは当然だろう。


「聞いたことない式だったし、これ傷口塞いだだけじゃないよね。血液と魔力の回復を促してるんじゃない?」


「おお、よくわかんな。」


 アーロンの返事を肯定と見たのか、ブレアは少しだけ口角を上げて笑う。

 1度魔法を受けただけでそんなことがわかるのか、と少し感心した。


「こんな面白い魔法初めて見たの。使い方か原理を教えて欲しい。」


「駄目だ。これは教えてやれねえ。」


「お願い。何でもするから!」


 必死で頼んでくるブレアの瞳の奥が、好奇心でキラキラと輝いている。

 小さい子供のようだが、だからといって教えてあげるわけではない。


「教えねえって!お前そのナリで男に『何でもする』とか簡単に言うな。」


「何で?本当に何でもするよ?」


 きょとんとしているブレアに、アーロンは「何もわかってねえ……。」と呆れたように呟いた。

 男子寮に入ってくるような人だ、当然と言えば当然か。


「何でって……“脱げ”とか言われたらどうすんだよ。」


「脱げばいいの?わかった!」


 すぐに了承したブレアは、笠木から手を離して首元のリボンに手をかける。

 

「わかるな!脱ぐな!」


「君が言ったんじゃないか。」


 大いに焦ったアーロンは、ブレアの腕を掴んで動きを止めた。

 止められたブレアは不満そうに唇を尖らせる。


「もしもの話だよ馬鹿野郎。あと言われてもゼッテー脱ぐな。自分の身体大事にしろっていったろ?」


「ええ、じゃあ教えてくれないの?」


「教えねえって言ってんだろ!?」


 怒ったように大きな声でアーロンが返すと、ブレアは残念そうに溜息をついた。

 溜息をつきたいのはこっちだ。

 アーロンはブレアの腕を掴んでいた手をそっと離した。

 大人しくアーロンから離れたブレアは、自分のベッドに寝転がる。


「残念。久しぶりに面白いもの見つけたのになあ。」


「人の魔法を面白がんじゃねえ。お前変だろ、マジで。」


 本気で残念がっているブレアは、「失礼だね。」と不満そうにアーロンを睨む。

 本当に変なヤツ――変な男だなと思った。

 そしてその変な男に不覚にも、少し、本当にほんの少しだけ、ドキッとしてしまったことが、ものすごく悔しかった。

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