第88話 僕が君の顔忘れちゃっただけ?

 ゆっくりと目を開けたアーロンは、ぱちぱちと何度か瞬きをした。

 体の上に少し苦しくなるくらいの重み――ギターを抱いていることを思い出す。

 ギターを弾いている途中で昼寝してしまったのだったか。


「……なあヘンリー。」


「誰それ。僕ブレアだけど。」


 回らない頭で声をかけると、聞き覚えのない声が帰ってきた。

 今日から寮に入って、ここは家ではないことを思い出す。

 ばっと勢いよく体を起こしたアーロンを、ブレアは不思議そうに見ていた。

 

「完っ全に寝てた……!」


「おはよう。ぐっすりだったよ?」


 一旦状況を整理しようと目を閉じて、そのまま寝落ちしてしまったのだ。

 爆睡するとは思っておらず、アーロン自身が1番驚いている。

 しかもぼーっとして人違いをしてしまった。恥ずかしい。


「別に名前覚えてくれなくてもいいけど、間違えるのはどうかと思うよ。」


「悪ぃ、弟と間違えたわ。」


 不満そうなブレアに素直に謝る。

 別にブレアを弟と間違えたわけではないが、似たようなものだろう。


「ホームシック?早くない?」


「んなんじゃねえよ!寝ぼけてただけだ。」


 時計に目を向けると、自分が3時間程寝ていたことがわかる。

 そろそろ夕食や入浴に行かないといけない時間になっている。


「なあオレ今から……何だその格好。」


「そんな変なものみたいに見ないでよ。部屋着だけど?」


 視線をブレアの方に移したアーロンは唖然としたように固まる。

 ベッドに寝転んで分厚い本を読んでいるブレアは、制服姿ではなかった。


 キャミソールと思われるシンプルな薄い服の上から上着を羽織っていて、下はかなり丈の短いハーフパンツ。

 胸元や綺麗な素足が見えると、男だとわかっていても少し意識してしまう。


「……落ち着けオレ、コイツは男コイツは男コイツは男……。」


 小さな声で呟いているアーロンを、ブレアは若干引いたように見ている。


「……その部屋着やめね?」


「何で。寝やすいよ?」


 気まずそうにアーロンが言うと、ブレアは不思議そうに首を傾げた。


「知るか。寝やすいなら寝る時だけにしろよ。」


 アーロンがそっと目を逸らすと、ブレアはえー、と不満そうに声をあげた。

 何故文句を言われているのかわからないが、かといって用件を呑まずに部屋替えを検討されると困る。

 溜息をついたブレアは、渋々魔法で制服に着替えた。


「それで、何言おうとしてたの?」


「ああ、オレ今から飯と風呂行くけどお前はどうするって聞こうとしたんだが……え、流石に風呂こねえよな?」


 思い出したように聞いたアーロンは、途中で怪訝そうに眉を寄せた。

 部屋の件は勢いに押されて了承してしまったが、大浴場は流石に駄目だろう。

 そういう時は男の姿になるのかもしれないが、本当は男で男の姿になるのなら問題ないのかもしれないが。

 それでも一度この姿を見てしまったアーロンとしては複雑な気持ちだ。


「行くわけないでしょ。ご飯も食べに行かないから、僕のことは気にしないでいいよ。」


「安心したわ。……女湯行くわけでもねえよな?」


 ほっとしつつもアーロンは一応聞いておく。

 ブレアはまたしても「行くわけないでしょ。」と答えて、呆れたようにアーロンを見た。


「じゃあどうすんの?」


「あてはあるから気にしないで。」


「そーかよ。」


 あてって何だろうと思ったが、ブレアにはあまり話す気がないようだ。

 気にしないことにして、アーロンは抱いていたギターを丁寧にケースに戻す。

 アーロンが寝ている間に整理したようで、ブレアの荷物は片付けられていた。


「んじゃ、行ってくるわ。」


「わかった。」


 もう会話を終えたつもりだったようで、ブレアは本に目を落としている。

 アーロンのことは見向きもしない。

 本当に放っておいてもいいのだろうかとも思ったが、アーロンは諦めて部屋を出た。





 夕食を食べている時も入浴している時も、どうしてもブレアのことが気になってしまった。

 新しくできた友人達と談笑しようと思っていたが、気になりすぎてすぐに帰ってきてしまった始末だ。

 

「……誰かと思った。」


「オレだよ。んなに?」


 ドアの音を聞いて顔を上げたブレアは、驚いたように少しだけ目を丸くした。

 ベッドに腰掛けたアーロンをじっとみつめている。


 恐らく原因はコンタクトを眼鏡に変えたことと、セットしていた髪が元に戻ったことだろう。


「お風呂入ったら視力落ちるの?」


「どういう理屈だそれ。さっきまでコンタクトだったんだよ。」


 不思議そうに首を傾げるブレアに、アーロンは呆れたようにツッコむ。

 そんな簡単に視力が落ちてしまっては困る。

 コイツ、コンタクト知らねえの?と思った。


「成程ね。それにしても印象が違いすぎるような……僕が君の顔忘れちゃっただけ?」


「名前間違えられて怒ったヤツが人の顔簡単に忘れんなよ。」


「怒ってはない。」と不満そうに言うブレアを見て、アーロンは小さく息を吐く。

 眼鏡を外したアーロンは、反対の手で前髪を少しかき上げた。


「これでどうだ?」


「わあ、僕が思ってた顔になった。」


 感心したように言うブレアに呆れながら、アーロンは眼鏡と前髪を元に戻す。

 髪型で印象が変わるのは自分でもわかっている。

 だからわざわざ髪をセットしているわけだが、そうも不思議そうにされると何だか変な気分になる。


「なんか幼く見えるね。中等学生みたい。」


「そりゃあ、ついこの間までそうだったからな。」


「1年生に見えるよ。」


「おい。」


 喧嘩を売られた気がしたアーロンが軽く睨むと、ブレアは「ごめん。」とあっさり謝った。


 髪をセットしていない自分は、普段よりいくらか可愛らしい自信はある。

 何故なら可愛い弟と似ているからだ。

 それでも3つも幼く見られるとは思っていなかった。


「なあ、電話してもいいか?」


「……あまり煩くしないでくれるなら。」


 アーロンが聞くと、ブレアは意外とあっさり了承してくれる。

 こんな話をしていると弟の声が聞きたくなってきた。

 本当か顔を見たいが、電話で妥協する。


「ありがとな。」


「うん。」


 こくりと頷いたブレアは開いた魔導書に目を落とした。

 声が大きくならないように気をつけよう、と思いながら、アーロンは魔道具で弟に電話をかける。


「……あぁっ!」


「どうしたの?」


 アーロンが突然大声を出すので、ブレアは驚いて顔を上げた。

 煩くするなと言ったのに、早速煩いではないか。


「切られた……。」


「ふふっ、君嫌われてるの?」


 ショックを受けたように魔道具の画面を眺めているアーロンを見て、ブレアはクスクスと笑っている。

 コイツ性格悪いかもな、と思いながら、アーロンは弟に電話をかけ直した。

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