第87話 部屋、間違えてねぇ……ですか?

 2年前、アーロンがこの学校に入学して、初めて自分のクラスの教室に来た時。

 凄い可愛い子がいるな、と思った。

 可愛い子、というより綺麗な子だろうか。


 サラサラの長い銀髪とアメシストの瞳を持った、小柄な女子生徒。

 初日だというのに緊張した様子はなく、落ち着いた印象の美少女。

 特に誰かと話すわけでもなく、自席で静かに本を読んでいた。


「どしたー?入れよ。」


 入口で立ち止まってその子を見ていると、一緒に来ていた中学からの同級生に首を傾げられた。

 突然驚いたような顔で立ち止まったから、少し心配されている。


「……高校、レベル高くね?」


 アーロンが言うと、友人はえ?と困ったような顔をする。

 言いたいことは伝わらなかったらしい。

 確かに向こうもつい先日まで中等学生だっただろうから、この言い方はおかしかったかもしれない。


「今更偏差値?」


「違ぇよ、言うて高くねえし。女子な。」


 友人は教室中を見回すと、アーロンが言っている女子生徒に目を向ける。

 じーっと見つめた後、「ああ。」と納得したように声をあげた。


「あんな感じの子好きだよな。アピるのか〜?」


「どうだろうな。可愛いけど、ガード固そうじゃね……?」


 煽るように言ってくる友人に適当に返す。

 確かに可愛らしい綺麗な子だが、そこまで積極的に自分から仕掛けるつもりはない。

 追うより追われたい、アーロンはそういう男だった。


 ――が、この後、嫌でも話すことになるとは。




 入学式や説明などでその日の授業は終わった。

 特に何もしていないのに疲れるのは、初日あるあるではないだろうか。


 友人と別れたアーロンは、学校に併設された寮に来ていた。

 入ってすぐは職員寮、左にある棟が男子寮で、右の棟が女子寮になっているらしい。

 担任から渡されたカードサイズの用紙を頼りに、自分の部屋に向かっている。


 用紙には氏名と部屋番号、それから鍵になっている術式が書かれている。

 術式が部屋によって違うため、部屋を間違えないようになっているようだ。

 後でルームメイトと相談して決め直せなどと小さな文字で書いてある。


 用紙に記された番号の部屋に辿り着き、ドアノブに触れて心の中で術式を唱える。


「失礼しまーす。」


 一応声をかけながらそっとドアを開けるが、部屋の中には誰もいなかった。

 奥の壁沿いに勉強机が2つ、両側の壁に沿うように配置されたベッド。

 部屋の中央には、事前に送った段ボール箱等の荷物が2つの山になっている。

 右側に置いてある物が自分の物のようだ。


 段ボール箱の中を確認する――のではなく、それに立てかけるように置いてあるギターケースに手を伸ばす。

 ファスナーを開けて中に入っていたギターを取り出した。


 愛用している、深い赤色のテレキャスタータイプのエレキギターだ。

 約2年使用してそれなりに愛着の湧いているそれと、2週間ぶりに再開した。


「……弾くか!」


 傷がついていないか確認してから、一旦ベッドに置く。

 段ボールを開けて、荷物の中からアンプとヘッドホンを取り出した。


 電気は魔力で代用することにし、シールドを繋ぐなど諸々の準備をして、ヘッドホンをつける。

 ピックで弦を弾くと、ジャーンと耳元で少し懐かしい音が鳴った。


 音量を調整してから1弦ずつ音を鳴らして、ペグを回して調整する。

 そうしてチューニングを終えると、アーロンは満足そうに笑った。


 ふうっと深く息を吐いてから、久しぶりの演奏を始める。

 左手の指で弦を押さえて、右手に持ったピックで弦を弾く。


 2週間ぶりだが指はちゃんと動いてくれて、違和感もストレスも特にない。

 左手が音を決めて、右手の動きに合わせて耳元で鋭い音が鳴る。

 少し弾くだけのつもりだったが、だんだん気持ちよくなって口が勝手に動く。

 ただ楽しくて、夢中で弾いていた。


 1曲弾き終えたアーロンは、小さく息をついてヘッドホンを外した。


「――君、歌上手いんだね。」


「うぉっ!?ビビった……来てたなら言えよ、恥いだろ。」


 突然声をかけられて、アーロンは危うくギターを落としかけた。

 声の主がルームメイトだろう。いつの間に来ていたのだろうか。


 ギターの音は聞こえてないだろうが、歌を聞かれたのは普通に恥ずかしい。

 落としかけたギターをしっかり握ったアーロンは、ドアの方へ目を向ける。


 ルームメイトであろう人の姿を見たアーロンは、あまりの驚きにギターをまた落としかけた。

 漫画のような――漫画でもないような展開に、ドキドキと心臓の音が聞こえてくる。


「……部屋、間違えてねぇ……ですか?」


 あまりに驚きすぎて、何故か敬語で話してしまった。

 仕方がないだろう、驚くなと言う方が無理だ。


 ドアの前に――女子生徒が立っていた。

 しかも彼女は綺麗な銀髪と、アメシストの瞳を持っていた。

 背は平均よりも低く、細く華奢な身体をしている。

 アーロンが教室で、可愛いなと思った子だった。


 彼女はアーロンの質問が気に障ったようで、不服そうに少し眉を寄せた。


「間違えてない。僕はそんなに馬鹿じゃないよ。」


「ここ男子寮だが?間違えてね?」


 絶対に間違えていると思う。

 女子が男子寮にいる時点で、間違っているに決まっている。


 彼女は呆れたように溜息をつくと、ツカツカと近づいてきた。

 アーロンの目の前に来ると、持っていた用紙をアーロンの顔に突きつけた。


 名前は“ブレア・ユーリー”と書いてある。

 その下に書いてある部屋番号と鍵になっている術式は、アーロンのものと同じ。

 確かに間違っていないようだ。


「というわけで僕はブレア・ユーリー。よろしく。」


「いや、全然よろしくじゃねえんだが!?おかしいだろ、何で男子寮に女子いんの?オレ女子と同じ部屋なの?」


 ブレアというらしい彼女はさらりと話を進めようとするが、アーロンは全くよろしくできる精神状態にない。


 ルームメイトが女子、しかも美人。ラノベかよ、とツッコみたい。

 男女で寮を分けているのではないのか。何故男女を同じ部屋にする。


「おかしくないよ。僕、女子じゃないかもしれないし。」


「待て待てどういう意味だソレ?……お前、男なの?」


 ブレアの言ってることが全く理解できない。

 『女子じゃない』と言う言葉を聞いて、アーロンはじっとブレアを観察する。


 長い髪、同じく長い睫毛に縁取られた大きな瞳、華奢な肩と細い手足、女子生徒の制服である短いスカート。

 どこからどう見ても女子だ。

 2つだけ女性らしくないとこがあるとすれば、“僕”と言う一人称と胸の膨らみがないことくらいか。


「今失礼なこと考えてたでしょ。」


「……気のせいだろ。」


 視線からアーロンの言いたいことがわかったのか、ブレアはムッと眉を寄せた。

 アーロンが静かに目を逸らすと、今度は寄った眉を悲しそうに下げた。


「そんなに僕と同じ部屋嫌かな。確かに僕そんなに性格よくないし、生活力ないって言われるけど……掃除は魔法でできるし、静かにしてるから歌の邪魔もしないよ?悪くないと思うんだけど。」


「男女で同室はおかしいだろって話で、別にユーリーさんが嫌ってわけじゃ……近え近え、一旦離れてくんね?」


 どうしても納得して欲しいのか、ブレアは話しながらずいと顔を近づけてくる。

 アーロンが離れようと体を後ろに引くと、ブレアは不思議そうに首を傾げた。


「だから僕は女子じゃないかも――あ、そうか。」


 また話を振り出しに戻そうとしていたブレアは、自分の姿を見下ろして納得したように頷いた。

 長い髪を撫でていたブレアは、少し申し訳なさそうな顔でアーロンを見る。


「ごめん、この姿だと驚いて当然だよね……忘れてた。」


 この姿?とアーロンが首を傾げた時、ブレアの姿がモヤがかかったようにぼやける。

 輪郭がはっきりした頃には、ブレアの姿が別人のように変化していた。


 先程よりぐんと背が伸びていて、代わりに綺麗な髪はかなり短くなっている。

 肩幅も少し広くなり、毛先を弄る手も、女性の物にしては骨張っている。


「僕、姿を変えられるんだ。」


 さも当然のように、冷静な口調であり得ないことを告げる声は、先程よりも少し低い。

 信じられない言葉、しかし実際ブレアの姿が変わった。


「――は?え、おま……お前、男……?」


 理解が追いつかず回らない頭で、アーロンはなんとか簡単なことを質問する。

 今目の前にいるブレアは間違いなく男だが、さっきまでは間違いなく女だった。

 全く意味がわからない。


「男……なのかな、どうなんだろうね。」


「なんでそこはぐらかすんだよ。」


 顎に指を添えて首を傾げるブレアに、アーロンは呆れたようにツッコむ。

 男子寮にいる時点で男だろう。なら何故さっきまで女の姿をしていたのだろうか。趣味?


「まあそういうことで、問題ないよね、よろしく。」


「ああ、よろし――くとは素直に言えねえだろ……。」


 すっかり解決したつもりのブレアだが、アーロンとしては素直に頷けない。

 いくら男でも女体になれるなら問題ではないだろうか。

 しかも説明を終えたブレアは女に戻っている。

 もし基本的に女の姿で過ごすのならば尚問題だろう。


「何がそんなに嫌なの。」


「嫌とか以前の問題だって!」


 ブレアからすれば何が問題なのかわからない。


 いくら説得しても無駄だと思ったブレアは、ギターに添えられていたアーロンの右手をを掴む。

 その手を両手でぎゅっと握り、真っ直ぐにアーロンを見た。


「お、おい、離――。」


「お願い。部屋変えとか面倒なことになったら絶対家族が怒って家から通いなさいって言うと思うんだ。僕身体弱いから毎日家から通うとか無理……。ね、僕を助けると思って、受け入れてくれないかな。」


 頬を染めたアーロンが離れようとすると、ブレアは手を握ったまま距離を詰めてきた。

 じっと紫色の瞳が上目遣いで見つめてくる。

 視線に耐えられなくなったアーロンは視線を彷徨わせた後、そっと目を逸らして頷いた。


「……わかった。」


「ありがとう、助かるよ。……手掴んでごめんね?」


 ブレアはほっとしたように薄く微笑んで、そっと手を離した。

 笑った顔も綺麗だな、などと思ってしまったアーロンは、そのままゆっくりとベッドに倒れ込んだ。


「え、大丈夫?」


 絶対に了承してはいけないものを了承してしまった。力が一気に抜けた気がする。

 ブレアが心配そうに首を傾げると、アーロンは疲れたように目を閉じた。


「……ちょっと一旦落ち着かせてくれ……。」


 同じクラスにすごい美少女がいた。

 その美少女が男だった。

 そして、ルームメイトになった。

 意味がわからない。情報量が多すぎる。

 一旦情報を整理したい。

 ――整理したところで変わらない気がするが。

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