第82話 俺の……俺の名前ですか?

「そうですねー。」と考えたリアムは、にこりと笑って口を開いた。


「特別なことはしなくても、そのうちふとした時に、呼んでくれるようになるのではないでしょうか。」


 ルークはブレアのことを猫に似ていると言ったが、リアムも本当にその通りだと思う。

 普段は嫌がっていても気まぐれで甘えてくる猫のように、何となく、気まぐれで名前で呼んでくれるようになるのではないだろうか。


「そうですか?」


「はい。ブレアは本当に猫みたいな子ですから。」


 懐いてないと思っていても意外と好いていてくれたり、素知らぬ顔をしていても意外とこちらを見ていて、冷たいふりをしつつも優しい。

 ブレアは昔から、そんな気まぐれな猫のような子だった。

 

 ルークにはかなり懐いているようだし、ルークがこんなに呼んで欲しがっていると知ったのだ。

 結構すぐに名前で呼んであげるのではないだろうか。


 ルークと確実に仲良くなっているのは兄としては少々心配だが、最近のブレアの様子を見るに、いい影響が出ている気がしている。


「人のこと猫猫って、僕人間だよ。」


「そうですね。すみません。」


 ブレアが不満そうに言うと、リアムはふふっと笑いだした。

 今日はよく笑うなあ、とブレアは呆れたようにリアムを見ている。


「お2人とも、もう寮に戻ってはどうですか。もうすぐテストですし、その本ももう読み終えたでしょう?」


「終わった。」


 こくりと頷いたブレアが本を閉じると、ルークがあ、と声をあげた。

 今度はどうしたんだ、とブレアは小さく首を傾げる。


「もうすぐテストって忘れてました……。」


 ルークが言うと、2人は呆れたように溜息をついた。

 額に手を当てる動作が完全に一致していて、ルークは兄妹だなあと思った。


「うわあ最悪、君馬鹿なんだから勉強してよ。」


「先日配ったテスト範囲表、失くしてませんよね?ブレアも人のこと言っていないで勉強しなさい。」


「すみません……失くしてはないです。」


 ルークは体を縮こませて謝った。

 さりげなく注意されたブレアは不満そうにリアムに抗議している。


「僕は頭いいから大丈夫。」


「復習くらいしなさい。あと解き終わったからといってテスト中に寝るのをやめなさい。」


 リアムに注意され、ブレアは渋々返事をした。

 テストを忘れていたのはルークなのに、何故自分が怒られるのだ。

 ブレアは魔導書を本棚にしまい、ドアの方へ歩いていく。


「帰るよ。わからないとこがあったら教えてあげる。」


「いいんですか!?」


 ふわりと布団を浮かせながら、ドアの前でルークの方を振り返った。

 ルークが嬉しそうに目を輝かせると、リアムは不思議そうに首を傾げる。


「ブレア、あなた本当に教えられるんですか?」


「失礼だなあ。僕教えるの上手だよ、ね?」


「先輩は何でも上手ですよ!」


 ブレアに聞かれたルークは笑って答えるが、ブレアは怪訝そうに目を逸らしてしまう。

 リアムは「参考にならない意見ですね。」と苦笑している。


「本当に上手いんだよ?だって先生の真似するだけだもん。」


「真似ですか?」


 リアムが聞き返すと、ブレアは薄く微笑んで頷いた。


「そ。僕にはずっと、教えるのが上手な、いい先生がいるからね。」


 リアムは驚いたように目を丸くしてから、その目をきゅっと細めて笑う。

 心底嬉しそうな、温かい表情で笑ったリアムは、そっとブレアから目を逸らした。


「……そうですか。ありがとうございます。」


「あれ、照れた?」


 ブレアはわざわざ近寄って、リアムの様子を伺う。

 ブレアから逃げるように、リアムは体ごと後ろを向いた。


「照れてません。帰ってください。」


「仕方ないなあ。明日の授業も楽しみにしてるからね、先生。」


 ブレアはひょいと布団に乗って、素直に出て行った。

 失礼しました、とリアムに一声をかけてから、ルークもブレアについて行った。


 ドアが閉まったのを確認したリアムは、ふうっと大きく息を吐いた。

 滅多に褒めてこないブレアに褒められると照れる。それに――

 彼女のために、教師になったのだ。

 

 ちゃんと“いい先生”ができていたのかと思うと安心する。

 学校に行けなかった妹が、明日の授業を楽しみにしていると言った。

 これほど嬉しいことがあるだろうか。

 教師になってよかったな、と思いながら、ブレアが散らかしたメモ用紙や資料を片付け始めた。





 部屋に戻ったルークとブレアは、早速テスト勉強を始めた。

 軽く要点を確認してから、ブレアが作った模擬テストのようなものをさせる。

 ルークが問題を解いている間、ブレアはいつものように寝転んで本を読んで待っていた。 


「あ、集中できませんでしたとかナシね?君の頭を僕のせいにしないで。」


「大丈夫ですよ?俺の点数が低い前提で話さないでください!」


 そろそろ解き終わるかな、とルークの様子を伺ったブレアは、ふと前回のことを思い出して言った。

 ルークは「安心してください、もうすぐ全部解けます!」と自信満々に答えて問題を見つめる。


 ブレアのことが気になるのは勿論だが、話もちゃんと聞いた。――つもりだ。多分聞いた。

 授業もちゃんと聞いているし、アーロンからも教わっているので大丈夫なはずだ。


 一応全部の問題を解いたルークは、「できました!」とブレアに声をかける。


「本当にできた?丸つけれるかなあ。」


 ルークはかなり自信を持っているが、ブレアは全く信じていない。

 起き上がってルークの隣に座ったブレアは、赤ペンの蓋を開けた。

 ブレアは全問に軽く目を通して、じっとルークを見る。


「……どうですか?」


 無表情のブレアからは合っているのか合っていないのかわからず、ルークは不安そうに尋ねる。

 ブレアは解答用紙に目を落とすと、丸とチェックを素早くつけた。


「……36点。」


 ブレアはなんとも言えないような、微妙そうな顔で点数を告げた。

 1問も合ってなかった前回と比べれば上出来だが、まだ全然できていない。

 褒めればいいのか怒ればいいかわからない。


「よし、赤点回避ですね!」


「目標が低い、喜びすぎ。」


 ガッツポーズをするルークに、ブレアは呆れたような目を向ける。

 基本的に100点のブレアからすればこんな点数を取ることも、目標が赤点回避なことも信じられない。


「じゃあ、教科書見ながら解き直してみて。それでもわからなかったら僕に聞いてくれるかな。」


「わかりました!」


 1番上に“36”と書かれた解答用紙を受け取ったルークは教科書を開く。

 ブレアはすぐにベッドに戻るかと思ったが、隣でじっとルークを見ている。

 ものすごく視線を感じて気になってしまう、ブレアが近くてドキドキするが、なんとか勉強に集中しようとする。


「……あの、どうしましたか?」


「……別に。」


 何か気になることでもあるから見ているんだろうか、と思って聞いてみても、ブレアは真顔のまま短く答える。

 かなり気になるが、勉強しないと怒られそうだ。


 しばらくそのままでも、ブレアは全く動かない。

 無理やり集中しようと教科書を睨んでいるルークの横顔を、ブレアは頬杖をついてじっと見つめている。


 流石に気になったルークがチラリとブレアの様子を伺う。

 たまたまか、ルークの動きに気づいたからか、ブレアは少しだけ口角を上げて、薄く微笑んだ。


「――頑張って偉いね、ルーク。」


 囁くようにブレアが言うと、ルークはばっとブレアの方に顔を向けた。

 よっぽど驚いたのか、黄色の丸い目は大きく見開かれていて、頬が赤くなっている。

 固まった手からペンが転げ落ちた。


「せ、先輩今“ルーク”って……!?それ名前、え、俺の……俺の名前ですか?」


「君の名前じゃなかったら何なの。」


 戸惑っているルークに呆れたのか、ブレアはふいと顔を逸らした。

『俺の名前言いましたか?』と聞きたかったのに、驚きすぎて変なことを言ってしまった。


「え、あの、えっと……もう1回言ってください!!」


「ええ、嫌だ。わからないことあったら声かけて。」


 ブレアはなぜか両手を頬に当てて席を立った。

 ベッドに横になると、頭まで布団を被ってしまう。

 

「先輩の気持ちがわかりません。」


 ルークが即答すると、ブレアは布団から顔を出して呆れたように眉を寄せる。


わからないことがあったら声かけて。……何でちょっと泣いてるの。」


「感動で涙が……先輩が俺の名前を覚えててくれて、しかも呼んでくれるなんて……!」


 感極まっているルークにブレアはドン引きしている。

 喜ぶだろうとは思ったが、泣くとは思わなかった。


「はっ、もしやデレ期……!?」


「デレてない。勉強して。」


 ブレアに冷たく言われたルークは仕方なくペンを取った。

 ……駄目だ、集中できない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る