第71話 ……どちら様ですか?

 ブレアは既に方法まで決めているようで、簡単に説明してくれた。

 エマが魔法で花を育てる。

 これをそのままの土壌とブレアが魔法で整備した土壌で行い、育ち方の違いとその後の様子の違いを調べるらしい。

 そもそもエマでは咲かせられないのではという不安もあるが、やるだけやってみることにした。

 そして土曜日、午後1時に寮前に集合という約束だったのだが――


(……来ない。)


 エマは待ち合わせ場所でブレアを待っている。現在時刻は午後1時45分。

 こんな短期間で2度も待ちぼうけをする羽目になるとは思わなかった。

 前回は本当は来ていたが、今回は来ていないと思う。


 時間を指定したのはブレアの方なのに、ここまで来ないことがあるだろうか。

 忘れているのか、サボりか。

 なんだか適当な人という印象なので、全然有り得る。

 かと言って寮室も連絡先も知らず、ただ待つことしかできない。


 空は厚い雲に覆われていて、今にも雨が降りそうだ。


「……1人で行っちゃうかぁ。」


 はあっと息をついたエマは仕方なく歩き出す。

 

 きっと今日やってしまわないと後の予定が崩れてしまうだろう。ならば雨が降る前に終わらせてしまいたい。

 ブレアがいた方がいいことは間違いないが、エマだけでもできないことはないはずだ。


 ブレアには1人で行った旨を月曜にでも話せばいいだろう。


 街を通り過ぎて森に入る頃、ぽつぽつと雨が降ってきた。

 早く終わらせて帰ろうとエマは歩調を早める。


「私が駄目だったのかな。」


 森に入ると開放感があるからか、つい独り言を漏らしてしまう。


 なるべく気に触らないような言動を気をつけたつもりなのだが、何かブレアが嫌がることを言ってしまった可能性はある。

 現に“ブレアちゃん”と呼んでしまった時はかなり嫌そうな顔をしていた。

 あるいはやはり実力差のありすぎるエマに呆れてしまったか。


 面倒だから来なかったのではなくて、エマのことが嫌で来なかったのならどうしようか。


「……マイナス思考駄目!きっと忘れてるだけよ。」


 自分を励ましたエマは更に早足で歩く。

 かなり雨が強くなってきて、折角整えた前髪は濡れて額に張り付いている。

 雨が降っていてもちゃんとできるのだろうかという不安はあるが、ここまで来て引き返す気にもなれない。


 せめて傘を持ってくればよかった。

 こんなに降るとは思っていなかったから持ってこなかったのに。


 殆ど同じ高さの木々の間を進むと、急に視界が開ける。

 直径30m程の円状の、木も草も生えていない場所。

 雨に濡れたからか、他の場所とは明らかに土の色が違うのがわかる。


 ここが今日の目的地、ブレアが言っていた場所だ。

 エマはその場に屈んで、濡れた土に触れてみる。

 草木が育たないのは土壌が悪いからかと思ったが、そうでもない。

 むしろいい気がするが、何故ここだけ植物が生えていないのだろう。


(試すならやっぱり真ん中の方でやるべきよね。) 


 そう思って色の違う土に踏み出した足が、10㎝程沈んだ。


「わっ、泥!?」


 触り心地が泥っぽくなっていると思ったが、ここまでどろどろしているとは思わなかった。

 柔らかすぎて植物が育たないのだろうか。

 靴が汚れるのも動きにくいのも嫌だが、転ばないようにゆっくりと進む。


 2、3歩進んだ時、中央辺りの地面が突然盛り上がった。

 盛り上がった地面から土が流れて、赤茶色の細長い大きな生き物――ミミズによく似た魔獣が顔を出した。


「ぇ……!」


 驚きと恐怖で縮まった喉から小さな悲鳴が漏れる。

 この魔獣の影響で土の質が違うのだろうか。

 無害、と聞いていたから勝手に小型なものを想像していたが、エマの何倍もある。


 今までも何度かここに来たことがあるが、初めて見た。

 何故出てきたのだろうか、エマに気づいているのだろうか、魔獣に遭遇した時はどうしたらいいんだったか。

 頭が回らない、どうすればいいのかわからない。


 魔獣が頭のような先端を曲げてエマの方を見た。


 人は想定外の出来事を前にすると、何もできなくなるんだな、と思った。

 無害だと聞いているが、エマは勝手に家に入ったような状況なわけで、そんなエマにまで無害かどうかはわからない。


 あとずさろうと一歩後ろに足を動かすが、泥に足を取られてしまった。

 ぐらりと後ろに傾いた身体が、後ろから何者かに受け止められた。


 後ろを振り返るより早く、魔獣の上辺りが眩しく光った。

 魔獣には、魔法に似た力を使える物もいる。これがあの魔獣の魔法だろうか。

 陽光のような眩しい、熱い光にエマはぎゅっと目を閉じた。


「――この魔獣は乾燥が苦手だから、雨になったら出てくるよって、言ってなかったね。」


 すぐ近くで囁くように言われ、エマは恐る恐る目を開ける。

 目を開けると、魔獣は土に潜ったようでいなくなっていた。

 あんなに泥のようだった土の表面が乾いていて、見えない屋根があるように、この辺りだけ雨が凌がれている。

 振り返ると、同じ魔法学校の制服を着た、男子生徒が立っていた。


 七色の光のチラつく、奇しくも綺麗な深い紫色の瞳がエマの方を見つめている。

 顔が整っている、綺麗な人だなと思った。

 雨の中走って来たのか、髪が濡れていて息が少しあがっている男子生徒は、無表情でエマを見た。


「ごめん、寝坊した……大丈夫?」


 大丈夫です、とか助けてくれてありがとうございます、とか言うべきことは沢山あるのに。

 気が動転しているのか、失礼なことを言ってしまった。


「……どちら様ですか?」


 エマの言葉はかなり予想外だったようで、男子生徒はポカンとしたように、少しだけ鋭い目を見開いた。

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