第62話 ずっと一緒にいてほしい
「――先輩!大丈夫ですか先輩!?」
自分を呼ぶ大きな声が聞こえて、ブレアはゆっくりと目を開けた。
ぼやけた目でぼんやりと、自分を見下ろしてくる黄色い瞳を見上げる。
数度瞬きをして寝起きの頭が晴れてくると、心配そうにこちらを見つめるその瞳が、最愛の人のものでないことに気づく。
大好きな人のものではなかったのに、なぜがほっとしてしまった。
「おはようございます先輩!すみません、泣き出したので心配になって起こしちゃいました。」
ゆっくりと体を起こしたブレアは、言われてようやく目元が濡れていることに気がついた。
それとほぼ同時に、ルークの手をしっかり握っていることにも気がつく。
「……あ、手……ごめん。」
「大丈夫ですよ。むしろ幸――なんでもないです!」
手を離して涙を拭ったブレアは、「いつから?」と時計に目を向けながら聞く。
時計は夜の7時を差していた。
ブレアが倒れたのが5限目で、今が7時となると、6時間近く寝ていたことになる。
となると自分はいつからルークの手を握っていて、ルークはいつから側にいてくれたのだろうか。
「最初からですね。」
「僕、寝てたね。」
「よく寝られたみたいでよかったです!」
ブレアが呟くと、ルークはほっとしたように微笑む。
ブレアはルークの体温の残る手に目を向けた。
「結局、嫌な夢になったけど……懐かしい、いい夢見てたの。……君がいてくれたからかな。」
「いい夢ですか……え、先輩何で泣いて!?すみません、手、嫌でした!?」
拭ったばかりだというのに、ブレアはまた涙を流していた。
狼狽えるルークに、ブレアはううん。と首を横に振る。
「ごめん……!」
「何がですか!?俺こそずっとなんでも好きとか言いまくってすみませんでした。泣くほど嫌だったんですよね?本当にすみませんでした!」
「いい……そうじゃなくて、僕が、ごめん。」
「だから何がですか!?先輩に謝られるようなことないですよ?」
ルークは本当にブレアの言いたいことがわからないようだ。
溢れている涙を拭いもせずに、ブレアはルークの瞳をじっと見つめている。
ルークを見つめてくるその顔は寂しそうで、何かに怯える子供のように見える。
「八つ当たりした。君はなんにも悪くないのに、ごめん。」
「八つ当たり?何が――気にしてないです!全然気にしてないので、そんなに泣かないでください。」
何度も謝るブレアの涙が、謝る度に増えていく。
ルークはハンカチを取り出してブレアの目元に当てようとすると、伸ばした手をブレアが両手で握ってきた。
手と手の間に挟まれたハンカチに皺が寄る。
戸惑ったルークに、ブレアは縋るような目で問いかけてくる。
「ねえ、僕のこと好き?」
「勿論好き――」
即答しようとしたルークは言葉を詰まらせた。
簡単に好きと言ってもいいのだろうか。
ブレアはそれが嫌で、泣いているのではないだろうか。
嘘に聞こえてしまうかも、ブレアを傷つけてしまうかもしれない。
「――大好きです、誰よりも愛してます。」
それでもルークははっきりと、単純な、けれども心のこもった愛の言葉を告げる。
何かに怯えているような、縋るような紫色の瞳が、その言葉を求めているように見えたから。
――“好き”といったような愛情、好意を表す言葉は、心に直接干渉する。
子供の愛は薄っぺらくて、心の表面を撫でるだけで消えていく。
大人の愛は泥のようで、べったりと心の外側に張り付いてくる。
どちらも気持ち悪くて、心の芯までは届かない。
愛情とは綺麗で、素敵なものならば、これらの愛は偽物で。
母やリアムがくれるような、優しく心の中まで入ってきて、暖かく溶けていく愛だけが本物なのではないだろうか。
ならば、これはなんだろう。
突き刺すように、なんの遠慮もなく心の奥に入ってきて、芯に刺さって抜けなくなる言葉は。
痛いほどひしひしと、何よりも強く伝わってくる想いは。
痛いのに、胸が燃えるように熱くなるのに、なぜだが心地よいと感じてしまう。
そんな愛は、一体何なのだろうか。
母が言うように、愛情は1つじゃないのならば。
人によって愛情の形も、伝え方も大きさも違うのならば。
この愛だって、紛れもない本物なのではないか。
「――うん、ありがとう……!」
驚いたように見開た目を閉じて、ブレアは嬉しそうに笑った。
本当に嬉しそうで、あんなに心を痛めていた涙すら、嬉し涙に見える。
「ごめんね、八つ当たりして。君は嘘つかないって、ちゃんとわかってたのに。」
本当は、最初からわかっていた。
初めて好きと言われた時から、その言葉は既に、心の奥に突き刺さって抜けなくなっていた。
けれど、今まで受けてきたどの好意とも違うそれが、少し怖かった。
ルークとブレアの間には、母のように血縁関係があるわけでもない。
リアムと出会った時のように、何も考えずに愛を受け取って、同じだけ返せるほど、今のブレアは子供でもない。
本物だからといって、そう簡単には信じられなかった。
「ごめん、あの魔石見た時、嫌なこと思い出して、色んなこと考えて、わけわかんなくなってた……それで、君も、どっか行っちゃうと思ったの……!」
いつか、冷められると思った。そのうちどこかへ行ってしまうと思った。
『ずっと一緒にいたい』などという願いは叶わないと、ブレアはもう知ってしまっている。
その愛を受け入れて、大切だと思ってしまえば、同じだけの愛を返そうとしてしまえば――そうなった時に、その分だけ悲しくなると思った。
力の抜けたブレアの手が下ろされる。
ルークは自由になった手を伸ばして、ブレアの頬に伝う涙を優しく拭った。
ブレアが何を思い出したのか、何を考えたのか、どうしてルークがどこかへ行くと思ったのかなど、ルークには全くわからない。
けれど他でもなくルークが、不安にさせてしまったのだと思うと、どうしようもなく悔しくなった。
「俺はどこにも行きませんよ。一生先輩と一緒にいたいです、というかそのつもりです。あ、勿論先輩が本気で嫌だから消えて欲しいって言うなら、どっか行きますよ?」
真剣な顔でルークが言うと、ブレアは「嘘つき。」と小さな声で呟いた。
また誤解させてしまうことを言っただろうか、とルークが焦ると、ブレアはクスリと笑った。
「『関わらないで』って言っても、どこにも行かなかった癖に。……君のこと、信じるからね?」
「はい!信じてください!!」
涙を拭き終わったルークが手を離すと、ブレアはその手をもう一度握る。
少し悩むように視線を彷徨わせた後、真っ直ぐにルークの目を見つめた。
「じゃあ――ずっと一緒にいてほしい。」
「勿論です!一生傍にいます!」
しっかりと答えたルークの声を聞いて、ブレアは嬉しそうににこりと笑った。
子供のように無邪気に笑うその顔は、花が咲いたように綺麗で。
ドキッとした。
ルークはいつもドキドキしている、と言われればそれはそうなのだが、普段よりも大きく鼓動が高鳴った。
この1週間で、沢山初めて見るブレアの一面を見た。
どれもルークにとっては魅力的で、大好きなブレアの姿だったが、笑った顔が1番可愛い。
もう2度とブレアを悲しませない、不安にさせないようにしよう、と思った。
ブレアがあんな風に泣かないように、こんな風に笑えるように、もっと頑張らなくてはいけない。
そのためには、まずは自分が変わらないといけないな、と思った。
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