第60話 僕の先生してくれる?
ブレアは不思議そうな顔でプリントを覗き込んだ。
「何書いてるのー?」
「課題のレポートですよ。」
レポートには図や表の周りに難しそうな文章がびっしり書かれていて、ブレアにはところどころしか読めない。
「リアム、字汚いね。」
「書きづらいんですよ。」
興味深々といった様子でレポートを見ていたブレアはくすくすと笑う。
走り書きのようなリアムの字は所々大きく歪んでいて、かなり読みづらかった。
「家で書いてくればいいのに。」
「後で清書するからいいんです。家で書くと、ブレアと話せる時間が減るじゃないですか。」
「そうだね。」
嬉しそうに笑ったブレアは、リアムに肩をくっつけてレポートを見つめた。
初めは1人で遊ぶための場所だったここに、今ではリアムと会うために来ている。
リアムもブレアと話すのを楽しみにしてくれているのかと思うと、すごく嬉しかった。
「それで、その子が嫌で学校に行かないんですか?」
ペンを動かしながらリアムが聞くと、ブレアは不満そうに唇を尖らせた。
まだその話が続いているのか、とでも言いたそうだ。
そんなことより何を書いているのか詳しく教えてほしいのだが、仕方なく答える。
「違うよ。みんな嫌。先生も変なの。」
「先生もですか。」
手を止めたリアムは、困ったようにブレアを見た。
クラスメイトなら先生に相談しなさいと言えるが、『先生が変』とはどういうことだろうか。
「先生が、『魔法はよくわからない不思議な力だから、火点けーとか水でろーって一生懸命お願いしたらできる』って言ってたの。」
「変ですか?」
眉を寄せて言うブレアはかなり不満そうだが、リアムには何がよくないのかあまりわからない。
子供にわかり易く魔法の使い方を説明しているだけのように聞こえる。
ブレアはさらに眉を寄せて、「変だよ。」と頬を膨らませた。
「だって、魔法は空気中の
「そうですね……。」
難しい言葉に滑舌が追いついておらず、辿々しく言うブレアに、リアムは困ったように苦笑する。
確かに自分がそう教えたが、もう少し簡単に噛み砕いて教えていればよかっただろうか。
ブレアと同年代の子達の間に、大きな知識の差があるのが馴染めない原因かもしれない。
「……リアムが先生だったら、僕も学校行けると思うんだけどなぁ。」
「私が?」
文字を綴っていくペン先を眺めながら、ブレアがぽつりと呟いた。
意外な言葉に目を丸くしたリアムは、再びペンを止めてブレアを見る。
ぼんやりと寂しそうな顔でレポートを眺めたまま、ブレアは小さく頷く。
「リアムに魔法教えてもらうの、楽しいから。それにリアムが先生だったら、嫌な人がいても、また守ってくれるでしょ?」
『嫌な人』とはブレアにとっては誰かもわからないような貴族や、誘拐犯のような不審者のことだろう。
ブレアはこの頃から魔法の天才だった。生まれながらに、魔法に愛された子供だった。
魔法に愛された子供は、利用価値のある子供であるということでもある。
子供の頃から将来有望な者を我が物にしてしまいたい、と思う貴族は多く、それが魔法の才なら尚更だった。
“魔法の使える子供”であるブレアは“知らない大人”のそういった思惑に触れすぎて、人間不信気味になっていた。
それ以上に酷いのが誘拐犯の方だ。
大規模な魔法が使える者――魔力を多く持った者の体は、価値がある。
臓器は勿論、骨、皮膚、眼球、髪に至るまでが、魔導具の材料となる。
勿論法に触れる行為だが、もし拐われてしまえば、魔獣同等の扱いを受けるだろう。
リアムがたまたまそんな危険な現場に出会し、咄嗟に助けたのがブレアとの出会いだった。
できることならもう少し穏やかな出会いをしたかったが、あそこで自分が居合わせなかったらと思うと恐ろしくなる。
「私じゃなくても、不審者の類なら学校が対応してくれると思いますよ。でも、そうですね……。」
ペンを持った手を顎に添え、暫く考えた後、リアムはにこりと柔らかく笑う。
「本当に教師になってみるのもいいかもしれません。」
「本当!?じゃあ先生になったら、僕の先生してくれる?魔法とか勉強とか、いっぱい教えてくれる?」
ブレアの瞳が、嬉しそうにキラキラと目を輝いた。
思いの外喜んでいるようで、リアムは満足そうに笑った。
(やっぱり、学校に行きたいんじゃないですか。)
魔法も、勉強も大好きで、知識欲の強いブレアのことだ。
本来なら、学校が楽しくないはずがなかった。
「ブレアが中等学生……いえ、高等学生になったら、私がブレアの先生になりましょう。私が先生になったら、ちゃんと毎日学校に来てくださいよ?」
「行くよ!しんどくても行く!」
「体調が悪い時は、無理せず休んでください。」
今から嬉々として答えるブレアの頭を、リアムは苦笑しながら優しく撫でる。
もし本当に教師になるなら、ブレアのような子に『学校に行きたい』と思わせられるような教師になりたいと思った。
「教師になれるように、ますます勉強を頑張らないとですね。」
「頑張ってー。僕も手伝ってあげるね。」
ブレアは手を伸ばして、宙に浮いているレポート用紙に触れた。
手を離すと、レポート用紙は板のように真っ直ぐになった。
「僕が浮かしといてあげるから、リアムは書くのに集中していいよ!」
「書きやすくなりました。ありがとうございます。」
魔法を解除したリアムは、少し文字を書くと笑ってブレアに礼を言う。
「いいよ。」と得意気に胸を張ったブレアは、先程よりも近くでレポートを覗き見る。
「何て書いてるのか教えて、先生。」
「わかりました。これはですね――」
冗談で口にしてみた“先生”と言う呼び名が、思いの外馴染んで、なんだかくすぐったかった。
夕食を食べる時、ブレアは楽しそうにその日あったことを母に話す。
その内容は殆どがリアムに教わった魔法や勉強の話だが、母はにこにこと微笑んで聞いてくれる。
今日はリアムが早くから来ていたからか、いつも以上に機嫌がいいようだった。
「――それでね、リアムは先生になるの。
「そうなの?リアムくん、優しくて面倒見がいいから、いい先生になりそうね。」
ブレアのように毎日顔を合わせているわけではないが、母も何度かリアムと話したことがある。
ブレアが魔導書を見せたがって連れてきた時だったり、疲れたブレアが寝落ちしてしまった時なのであまり多く言葉を交わしたわけではない。
それでもまるで妹のようにブレアを可愛がり、世話を焼いてくれる優しい人だということは、十分すぎる程にわかった。
面倒見がいいから初等学校かと思ったが、高等学校の教師になろうとしているのは少々以外かもしれない。
「ブレアは、大人になったら何になりたいの?」
「僕?」
自分のことを聞かれると思っていなかったのか、ブレアはきょとんと不思議そうに首を傾げた。
思えば、ブレアと将来の話をしたことは1度もなかった。
「そう。リアムくんは先生になりたいんでしょ?ブレアは何かなりたいものとかしたいこと、ないの?」
魔法が大好きなブレアのことだから、魔法師など魔法に関する職業だろうか。
それともリアムに憧れて、教師になりたいと言うだろうか。
ブレア自身も考えたことがなかったのか、腕を組んで真剣に考えている。
黙って答えを待っていると、ブレアは笑顔で口を開いた。
「……僕、大人になってもお母さんと一緒にいたい!」
「お母さんと?やってみたいお仕事とかないの?」
予想外の答えに目を丸くした母が聞き直しても、ブレアは「ないよ。」と即答する。
「お母さん大好きだから、ずーっと一緒にいたいの!」
無邪気に笑うブレアを見ると、心が温かくなる気がする。
温もりを感じながら、母は嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しい!お母さんもブレアが大好きだから、ブレアが何になっても、どこに行ってもずっと一緒にいるよ?だからお母さんのことは気にしないで、なりたいものになって?」
ブレアは「どういうこと?」と目を瞬いて首を傾げる。
あまり将来について深く考えたことのなかったブレアには難しかっただろうか。
「ブレアがやりたいお仕事ができた時、この家に住んでるままじゃできないことかもしれないでしょ?遠くでするお仕事とか。そんな時は、お母さんも一緒に遠くに行くねってこと。」
「じゃあ、ずっと一緒?」
「一緒!」
「やったあ!」
不思議そうな顔が、途端に花が咲いたような笑顔になる。
この子がどこまでも自由に、自分のなりたいものになってくれたらいいな。
この子の未来が、明るいものだといいな。
そう思いながら、母は愛おしい我が子の姿を笑って見つめていた。
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