第57話 大丈夫じゃない……

 次の授業はブレアとエマが来る授業。

 ルークが1番楽しみにしている授業のはずだが、今回はあまり嬉しくなさそうだ。

 なぜならブレアと喧嘩(?)してから仲直りできぬまま、1週間経ってしまったことになるからだ。


「……先輩来るかなー。」


「来ないの?授業なのに。」


 それはいつでも元気なルークがもう1週間も元気がない、ということでもある。

 ヘンリーは最初こそどう接すればいいかわからなかったものの、もう慣れてきたようだ。

「気にしすぎだと思うよー。」と軽く答えている。


「でも俺1週間も口聞いてもらえてないんだぞ?話しかけても無視されて、明らかに避けられてるのに授業来てくれるか!?」


「来るんじゃない?授業しに来てるわけで、ルークくんに会いに来てるわけじゃないんだから。」


「その言い方傷つく!俺に会いに来てなくても、俺がいることに変わりないだろ~。」


 ヘンリーはあはは、と苦笑する。

 ずっとルークがこんな調子なので、アーロンは「面倒くせーヤツの相手無理。」と3日前から1年の教室に来ていない。

 薄情だと思ったが、気持ちはわからなくもない。ヘンリーも面倒だな、と思っている。

 ブレアに何を言われてもめげないどころか喜んでいた、普段のポジティブ思考はどこへ行ったのだろう。


「でもリアム先生が怒るから来るんじゃない?」


「私、そんなに怖いですか?」


 少し早めに教室に来ていたリアムが困ったように苦笑する。

 先週ルークにちょっと怖いと言われたのを気にしているのだろうか。


「いえいえ、リアム先生は優しいと思います!怒られるのはユーリー先輩でも嫌じゃないかなと思っただけです。」


「そうですか。優しく接しているつもりでしたので安心しました。こんなのだからブレアに舐められているのかと思うと困りものですが。」


 見慣れた笑顔で言うリアムだが、どことなく悲しそうに見える。

 色々苦労しているんだろう。


「すみません遅くなりましたー!」


 ガラガラッと教室のドアが開き、エマが入って来た。

 無理やり連れてきたのか、宙に浮く布団を引っ張っている。

 丁度5限目開始のチャイムが鳴り、エマは慌てて布団を教室の中に引き入れた。


「ギリギリ!ごめんなさい!」


「構いませんよ。どうせブレアがごねたのでしょう?」


 5分前行動を心がけているエマは申し訳なさそうにしているが、授業に間に合っているのだから何の問題もない。

 どうせブレアは出てこないと思ったのか、リアムはさっと右手を振って魔法を使う。

 布団がひっくり返り、床に落ちたブレアが「痛っ!」と声をあげた。


「……酷い。」


「いい加減にしなさい。あまり我儘を言って、迷惑をかけてはいけませんよ。」


 よろよろと起き上がったブレアは、リアムの方を見ることなく椅子に座って、明後日の方向を向いてしまう。

「だって疲れるんだもん。」などと言い返してくると思っていたリアムは、言い過ぎたかと不安そうに顔を曇らせた。


「じゃあ、今日は最初に先週の振り返りをします!ブレア、プリント作って?」


「……わかった。」


 号令が終わるとエマは早速授業に入る。

 立ち上がったブレアは右手を掲げ、すぐに全員分のプリントを魔法で作る。

 慣れてきたからか各1枚ずつだけだからか、無詠唱で数秒で終わった。


「自分と引率者の名前と、自分がしたことや印象に残ってることを書いて、先生に提出……で、いいよね……?」


 椅子に座ったブレアが話終えるのとほぼ同時に、ブレアの体がぐらりと傾く。

 ルークは異変に気づいて反射的に席を立ち、軽い動作で机を飛び越える。

 無抵抗に椅子から落ちるブレアを、倒れる寸前で抱き止めた。


「えっ!ブレア大丈夫!?」


 隣にいたエマは驚いて目を丸くしている。

 ブレアは手で頭を押さえながら、ルークにもたれかかった顔を起こした。


「大丈夫じゃない……頭痛い……。」


 先輩柔らかい、細い、可愛い!などと思ってる場合ではなく、ルークは振り返ってヘンリーを見る。


「治せないよ!?診ることくらいはできるかもだけど……兄貴呼ぶ?」


 視線が「前の魔法使ってほしい。」と言っていると察したヘンリーは、焦りながら答える。

 出来ると思うことが大事と言われたが、不可能に近いことを出来ると見栄を張るわけにはいかない。

 アーロンなら何とか出来るのではないかと呼びに行こうとするヘンリーを、リアムが止める。


「授業中ですので大丈夫ですよ。ディアスさん、ブレアを廊下に運んでもらえますか?キャベンディッシュさんは授業を続けてください。」


 ルークは「はい。」と返事をすると、そっとブレアを持ち上げる。

 華奢な体のブレアは見た目通り軽く、簡単に持ち上がった。

 何キロなんだろう?などとデリカシーのないことを考えているのがバレたら怒られそうだ。


 廊下に出たはいいものの、目を閉じて小さく唸っているブレアをどうすればいいかわからない。

 ルークはキョロキョロと意味もなく辺りを見回した。

 授業中だから当然といえば当然だが、広い廊下には誰もいない。

 何もない廊下の床に寝かせるのはよくないかと思い、ブレアを抱きかかえたままその場にしゃがんだ。


「少し見せてください。」


 遅れて出てきたリアムはルークのすぐ隣にしゃがむ。

 ブレアの少し長い前髪をかき分け、そっと額に触れた。

 次に頬、首筋、手首、と色々なところに触れて何かを確かめている。


「ブレア、口を開けてください。できますか?」


 笑みのない真剣な顔でリアムが言うと、ブレアは「んんー。」と小さく唸りながら僅かに口を開く。

 リアムは両手を使って無理やり口を広げると、赤い舌の上に親指を置くように触れた。


「んっ……うぅ。」


「大人しくしてください。」


 弱い力でリアムの腕を掴んで引き離そうとするブレアを諭しながら、ゆっくりと親指を舌の上に這わせている。

 ルークには一体何をしているのかさっぱりわからず、ただ見守ることしか出来ない。


 薄く開いた目尻に涙を溜め、力なく喘ぐブレアの姿は何だか艶かしくて、ついつい見入ってしまう。

 そんな場合じゃないとわかってはいるものの、ルークは少しだけリアムが羨ましいと思った。


「……魔力酔いはしていないようですね。先程の魔法も、倒れるほどのものではないはずですが。」


 指から魔力反応を検知していたが、特に異常は見られなかったようだ。

 手を離しながらリアムは首を傾げる。


「あの、昨晩はぐっすり寝られましたか?」


 ルークは間近にあるブレアの顔をじっと見ながら遠慮がちに聞く。

 遠くからではわからなかったが、よく見ると目の下にはうっすらと隈が浮かんでいた。

 10秒ほどの長い時間を置いてから、ブレアはゆっくりと口を開いた。


「寝てない……多分。……嫌な夢見る……から、ほとんど、寝れなくて……。」


「多分ってなんですか!?昔から睡眠が最優先の癖に、本当に大丈夫ですか?」


 本気で心配しているからか、リアムは落ち着きなく聞き返す。

 ブレアは目を閉じて大きく息を吐くと、もたれかかるようにしてルークに身を預けた。

 ルークは体のあちこちに感じる柔らかい感触に、緩んでしまいそうな口をぎゅっと引き締める。


「寮……連れてって。」


「喜んで。」


 ブレアの言葉に被せるようにルークが即答すると、リアムは「いいんですか?」と苦笑いを浮かべた。

 大いに張り切ったルークは、軽々とブレアを持ち上げて立ち上がる。


「先生、というわけで早退します!」


「え、ディアスさんもですか!?戻って来るという選択肢は――」


 ブレアを揺らさないように首から上だけで礼をしたルークは、リアムの話も聞かずに行ってしまう。

 ……この場合、早退理由はなんと書けばいいのだろうか。

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