第54話 本当に僕のこと好きなら……
先に帰ってしまったブレアは、やはりもう帰って来ているだろうか。
何となく入りづらくて、ルークは部屋の前でかれこれ10分ほど立ちっぱなしだ。
(ノックすべきか……?一応自分の部屋なのに?)
ノックをすると客人だと思われるかもしれない。それはよくない。
覚悟を決めたルークはドアノブに手をかける。
ノックの変わりにわざと少し大きめに術式を唱えてドアを開けた。
部屋の中にブレアの姿はないが、布団が人1人分膨らんでいる。
「寝てますか……?」
ルークの問いに返事はないが、寝ているのだろうか。
起こさないように静かにドアを閉め、自分のベッドに腰掛ける。
対面に置かれたベッドに寝ているブレアは、完全に布団に潜ってしまっていて顔すら見えない。
顔まで潜って寝ているのは珍しいというか、ルークは初めて見た。
じっと見ていると布団がもぞもぞと動いて、起き上がったブレアが顔を出す。
ブレアは何を考えているのかわからない真顔で、普段寝起きにしている眠そうな表情ではない。
「おはようございます?」
「……。」
寝てなかったのかな、と思いつつ声をかけるが、ブレアは何も答えない。
もう秋とはいえ布団に潜るのは暑いのか、無言で上着を脱ぎ始めた。
上着の下はキャミソールなので、脱ぐと一気に肌の露出が増えて目のやり場に困る。
ブレアは畳んだ上着を足元に放るように置き、ぐっと体を伸ばした。
「先輩脇が甘いです!えっちなので気をつけてください!」
「は?」
伸びをしていたブレアはさっと手を下ろし、不快そうにルークを睨んだ。
『気持ち悪い。脇が甘いの意味違うでしょ。』などと言われると思ったが、端正な唇から出たのはドスの効いた1音だけだ。
「すみません!こういうのが嫌なんですよね……?気をつけます。」
見られるのも嫌かと思ったルークが謝りながら目を逸らしている間に、ブレアはまた布団に潜ってしまった。
「……すみません。やっぱり具合悪いですか?それとも気分が?」
もう一度謝ってみても、問いかけてみても、勿論返事はない。
「みんな、特にエマ先輩とリアム先生が心配してましたよ。」
解散前の2人の様子を思い出して伝えてみる。
布団が少しだけ動く。
「リアム先生がこんなに取り乱してる先輩を見るのは久しぶりだってすごく心配して――」
「うるっさいな!嘘ばっかりつかないでよ!」
「ついてません!本当です!」
勢いよく起き上がったブレアは怒鳴るように言った。
ルークが釣られて大きな声で返すと、きっと細められた紫色の目が潤む。
きつく結ばれた唇は震えていて、怒っているような表情。
なのにその瞳はどこまでも寂しそうに見える。
「嘘!初めて会った時からずっと嘘ばっかり言ってたんでしょ、そしたら僕が簡単に懐くと思ってたんだよね!?簡単に騙せるって思ってたんでしょ!?」
「嘘なんて1回も言ってないですよ!?騙そうなんて思ってません!」
怒りか、はたまた興奮かで真っ赤になった顔で言うブレアは、癇癪を起こした子供のようだ。
真剣そのものな黄色い目を見たブレアは困ったように、悲しそうに眉を下げた。
「……じゃあ、なんで思ってないのに好きとか、出来ないのに結婚しようとか、簡単に言うの?」
「思ってるから言うんです!本気で先輩のこと愛してます。結婚だって今は無理ですけど、将来本気で先輩と結婚したいから言ってるんです!」
落ちつかせようと近づいたルークはブレアの震えている手を優しく握る。
ブレアの顔が見たことないほど悲しそうで、なんだかこっちまで悲しくなってくる。
「全部嘘じゃないです。俺の本気、伝わってないですか?」
ルークの答えを聞いたブレアの目から、堪えきれなくなった涙が溢れだす。
涙に驚いてルークの手の力が緩むと、ブレアはそっとその手を振り解いた。
「……伝わってないよ。だってわかんないもん……!好きとか愛とか、意味わかんなくて気持ち悪い、嫌なの。」
いつもの無表情でも、嫌そうな顔でもない。
刃物のように鋭く、冷たい言葉でもない。
何もできない子供のような、縋るような目。
心の底から出た言葉だとわかる、熱い気持ちの籠った言葉。
なのにそれははっきりとした強い拒絶だった。
ルークとブレアの間に、何か見えない分厚い壁がある気がする。
「本当に僕のこと好きなら……放っといて。」
ブレアは涙も拭かないまま、再び布団に潜ってしまった。
本当に放っておけば、好きであることの証明になるとは思わない。
それでも、そう言われてしまうと話しかけることができなかった。
――いつの間に、寝てしまっていたのだろうか。
その風景を見た時、すぐに夢だと気がついた。
寮室ではない、懐かしい部屋。
4人掛けのテーブルと椅子、分厚い魔導書がぎゅうぎゅうに詰まった、小さな本棚。
窓から差し込む温かい陽光と、それに照らされている、花瓶に生けられた白い花。
自分の姿を見下ろすと、案の定懐かしい姿をしていた。
まだ今より短い、胸辺りまで流れる銀色の髪。
今より小さくて子供らしい手。
(この夢、嫌だな……。)
1番大好きで、1番帰りたくて、でも、1番戻りたくない場所。
1番幸せで、1番戻りたくて、でも、2度と見たくない光景。
早く覚めてほしい。ここで覚めてくれればよかったのに。
瞬きをした途端、少しだけ、けれど大きく風景が変わる。
目の前に人が倒れていた。
背中まで伸びた金色の髪の、大人の女性。
周りにできた紅い水溜りが、割れた花瓶から落ちた白い花を染めている。
うつ伏せになっているため女性の顔は見えないが、既に息がないことは確かだ。
「ぁ……。」
その姿を見た途端、心臓がギュッと掴まれたように萎縮する。
どくどくと大きく、速く波打つ心臓が破裂しそうな程苦しい。
勝手に呼吸が荒くなり、頭が真っ白になる。立っていられなくなる。
嫌だ、怖い、見たくない、寂しい、そんな端的な感情だけがぐるぐると回る。
怖いもの見たさだろうか。夢だから、何をやってもいいと思ったのだろうか。
こんな夢でも、こんな状況でも、せめて顔を見たいと思ってしまったのだろうか。
自分でもわからないままに、顔にかかった前髪を退けようと、倒れた女性に向かって手を伸ばしていた。
「――――嫌っ!」
女性の顔を見るより速く、目を覚ましてしまったようだ。
目に映るのは寮室の白い天井。
聞こえてくるのは、自分の荒い呼吸音と煩い心音だけ。
体を起こして呼吸を整える。
煩く鳴っている胸を押さえると、鼓動が手のひらまで伝わってくる気がした。
嫌な汗をかいていたようで、背中や前髪が濡れている。
服や髪がベッタリと肌につく嫌悪感が、自分がいかに焦っていたのかを物語っている。
思わず大きな声を出してしまった。
視線を横に向け、寝ているルークの様子を伺う。
起こしてしまったかと思ったが、特に気が付かず寝ているようだ。
ブレアが魔法で寝かせているから当然か。
放っておこうと思っていたが、全く寝つく気配がないので手を貸してしまった。
時刻を確認すると、まだ12時を回ったところだった。
シャワーを浴びて寝直そうと、布団から出て立ち上がる。
汗と一緒に、嫌な気分まで流してしまいたかった。
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