第52話 ちょっと、びっくりしただけだから

 ブレアの前にしゃがんだルークは、どう見ても普通ではないブレアの様子に相当焦っている。


「大丈夫ですか!?どうしたんですか!?」


 肩を掴んでルークが問いかけてみるが聞こえていないのか答えられないのか返事はない。

 はあはあと、不規則な浅い呼吸音が聞こえてくるだけだ。

 見開かれた両目の中に七色の光が煌めきだし、白く染まった瞳孔は、脈打つように収縮と拡大を繰り返している。


 魔石に何かあるのかと思い、固く握られた手を解いて魔石を取り上げる。

 それでも治らないようで、ブレアはよろめいた体を支えようと空いた手を地面につけた。


「先輩っ!?」


「ルークくん、あんまり大きな声出すのよくないかも。」


 ヘンリーはルークに注意すると、ブレアの隣にしゃがむ。

 ブレアの肩を掴んでいるルークの手をそっと退けた。


「頼りないと思うけど、オレに診せてほしい。」


 他の人達とは違って落ち着いた声で言ったヘンリーは、眼鏡を掛け直すと恐る恐るといった様子でブレアの丸まった背に触れた。

 目を閉じて深く深呼吸をしてから、真剣な目でブレアを見る。


「何してるんだ?」


「魔法使ってみる。ごめんオレそんなに器用じゃないから、静かにしててほしい。」


 心配そうなルークが口を閉じると、他の生徒も静かになる。

 目を閉じたヘンリーは小さな声で術式を唱えた。

 短い術式を言い終えると、ブレアの身体がぴくりと震え、触れたヘンリーの手が微かに光る。

 光が収まった後、荒い呼吸を続けているブレアの耳元に顔を近づける。


「ユーリー先輩大丈夫ですか?落ち着いて、ゆっくり呼吸してください。」


 ブレアの様子に変化は見られず、ヘンリーは困ったように顔を曇らせた。

 心配そうに、何をしたのか聞きたそうにルークがこちらを見ている。

 それに気がついたヘンリーは、ブレアから手を離してルークの方を見た。


「多分心因性の発作みたいなものだと思う。身体に異常はなさそうだったから……多分。」


「心因性ってどうすれば治せるんだ!?」


 自信なさ気にヘンリーが言うと、ルークはすぐさま聞いてくる。

 本人に落ち着いてもらう他ないのだが、ブレアの様子を見るに中々難しそうだ。


「兄貴ならなんとかできると思うけど、オレじゃあできるかどうか――」


 言いかけたヘンリーはブレアに言われたことを思い出して言葉を止める。

 つい先程、兄のことを気にしすぎだと言われた。

 そうでもないだろうと思っていたが、現に今も兄の名前を出した。


 こんなことを言っているから魔法が成功しないのだろうか。

 自分を信じれば、はったりでもできると言えば、少しでも魔法が上手くなるのだろうか。


「――できる。やってみるね。」


 ヘンリーはもう一度目を閉じ、別の術式を唱え始めた。

 先程のものとは違って長い術式を唱えながら、ブレアの背中に手を当てる。

 目を閉じたままのヘンリーは、難しいのか眉を寄せている。

 それでも魔法は順調のようで、ブレアの背にぴたりとつけた手のひらから、淡い光が漏れている。


「ヘンリー、すご……。」


「静かにしててほしい。」と言われたので、ルークは邪魔にならないように小声で呟いた。

 どんな魔法を使っているのかはわからないものの、ブレアの瞳は殆ど混じり気のない紫色に戻っている。

 ヘンリーが術式を唱え終わる頃には呼吸も安定し、震えや冷や汗も収まっていた。


「はあ……はぁー、ごめん、ありがとう。」


「大丈夫ですか!?」


 口元を抑えていた手も床につき、前に倒れかけた身体を支えたブレアは呼吸を整える。

 力無い声でヘンリーに礼を言うと、心配そうに様子を伺っているルークに目を向けた。


「……大丈夫、ちょっと、びっくりしただけだから。自分でもこんなに動揺すると思ってなくて、焦ったけどね……。」


 まだ少し痛む頭を抑えながら言ったブレアは、かなり疲れた顔をしている。

 ヘンリーの使った魔法は容態を落ち着けただけで、失われた体力は回復しないようだ。


 少しの間そうした後、ブレアは頭から離した手をルークに伸ばす。


「それ、貸して。」


「え……嫌です。」


 ルークはブレアから魔石を遠ざけるように後ろ手に隠してしまう。

 渡すとまた発作を起こすのではないかと心配しているようだ。


「もう大丈夫だから……貸して。」


 有無を言わさぬブレアに押されたルークは、助けを求めるようにヘンリーを見る。

 ヘンリーは困ったように眉を下げて考えた。


「魔石を触ったらどうにかなるってわけじゃないと思うから、ユーリー先輩が落ち着いてるなら大丈夫だと思うよ。」


「……わかった。」


 渋々ルークが魔石を渡すと、ブレアは少し震えている手で掴む。

 ルークは今からでも取り上げたくなったが、真剣な表情で魔石を見つめるブレアの邪魔はやりづらい。

 戸惑っているような、どこか悲しそうな表情で黄色い石を観察していたブレアは、大きく息を吐くと立ち上がった。


「驚かせてごめん、戻ろうか。」


「休まなくても大丈夫なんですか?」


 スカートについた埃を払ったブレアはすっかりいつも通りだ。

 心配そうにルークが聞くと、ブレアは「大丈夫。」と短く答えた。

 まだ心配そうにみてくるルークからふいと顔を逸らした。


 本当は大丈夫じゃないが、のんびりしていると授業が終わりそうなので仕方がない。

 というかこんなところで休むよりも帰って寝たい。 


「僕はさっきと同じように後ろをついていくよ。来る時より安全だと思うから、1番前は誰でもいいよ。」


 誰からともなく歩き始めると、ブレアは魔獣の亡骸に睨むような目を向ける。

 魔法を使ったらしく、突然大きな炎が上がり、あっという間に灰になった。

 ブレアが身を翻すと足元に風が吹き、灰は跡形もなく飛んでいってしまった。

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