第50話 一歩も動かないでって、言わなかったっけ
「先輩!広いところに出ました?」
「疑問系でいうことじゃないよルークくん。……何も見えないね。」
先頭を歩いていたルークとヘンリーは揃って首を傾げる。
手を伸ばしたら触れられそうだった壁が無くなったので広いところに出たとは思う。
しかし濃い霧が立ち込めていて全く前が見えない。
「霧かぁ、僕がいて運がよかったね。全員固まって動かないでくれる?一歩も。」
言いながらルークとヘンリーの前に来たブレアはしゃがんで地面に触れる。
触れられそうな程近くにいるのに、あとほんの少しでも前に行かれるとブレアの姿すら見えなくなってしまいそうだ。
「……やっぱり何かいるみたいだ。霧を払ってから相手をするかな、うーん。」
「何してるんですか?」
ルークが聞くと立ち上がったブレアは振り返った。
風に靡く銀髪は霧によく馴染んでいて、消えてしまうのではないかと不安になる。
「簡単にいうと探知かな。ダンジョン内の構造とか、何かがどのあたりにいるかくらいはこうしたら見えるんだ。」
ブレアはさり気なく高度なことをしているが、1年生達からすれば「よくわからないけどすごーい。」といった感じだ。
「まあ、その“何か”まではわからないんだけどね。推測するしかなくて――」
肩を竦めたブレアは、今度は肉眼で周囲を見回す。
当然霧で見えないと思うのだが、何かわかるのだろうか。
何か聞こえる気がしてルークが耳を澄ますと、魔獣の唸り声が聞こえてきた。
「先輩、多分大型の魔獣がいると思います。しかもかなり気が立っている気が……。」
「よくわかったね。そういえば君、魔獣詳しいんだっけ。」
怒っている時特有の、低い地響きのような唸り声。
それを聞いたルークが表情を険しくするが、ブレアは至って平常だ。
「大丈夫だよ。」とルークを安心させようと言ったブレアは数メートル前に出る。
ブレアの姿は霧に隠れて見えなくなってしまい、術式を唱える声だけがブレアの存在を示している。
一同が無言で長い術式を聞いていると、徐々に霧が薄くなり始めた。
「霧って魔法で消せるものなんだね。」
感心したようにヘンリーが言うと、すぐ後ろにいた男子生徒が「な。」と頷く。
徐々に見えるようになってきたブレアの後ろ姿を見ていたルークは、キョロキョロとあたりを見回す。
ブレアの姿をずっと見ていたいのが本音だが、大きくなってきた唸り声が気になる。
薄くなったとはいえ、まだ霧は濃く、遠くまではよく見えない。
「どうしたの?」
「声の大きさからしてかなり強力な大型魔獣だと思うんだけど、鳴き方がすごい殺気立ってるんだよな……いくら先輩でも危ないんじゃないか?」
注意深く見回しているルークに気がついたようで、ヘンリーは心配そうに声をかける。
不安を隠すことのできないルークは霧の向こうを見ようとじっと目を凝らした。
街の外に出ることの多かったルークはある程度危険な魔獣に遭遇したこともあるが、ここまで怒った声は聞いたことがない。
「そもそも大型魔獣ってすごい危険で、俺が住んでるとこだと、見つけたらすぐに連絡してどっかからすごい人達呼ばないといけなかったんだよな。」
「どっかからすごい人達って、ざっくりだね……。ユーリー先輩は平気そうに見えるけど、大丈夫なのかな?」
呆れたように苦笑するヘンリーに「よくわからなかったんだから仕方ないだろ!」と返すと、ルークは再びブレアの方を見る。
更に霧は薄くなっているが、壁や障害物のようなものはまだ見当たらない。本当に広い空間のようだ。
ぼんやりと見えるようになってきた左奥に、ゆらりと動く大きな影と、怪しく光る赤い目が見えた。
「……っ先輩!」
大きな影が動き出したので、ルークも反射的にブレアの方へ走り出す。
魔獣の全貌は見ることができないが、明かにこちらに敵意を向けていることと、危険なことはわかる。
おそらく霧を払う魔法を使っているブレアは、魔獣の動きに気づいていないだろう。
ルークはならば自分がブレアを守らねば、と謎の使命感に駆られていたのだが。
ブレアの方へ行こうとしていたルークの足がぴたりと動かなくなった。
「――一歩も動かないでって、言わなかったっけ。」
一同に背を向けていたはずのブレアが、いつの間にかこちらを向いていた。
伸ばした右手をルークに向けているのを見るに、ルークの動きを魔法で止めているようだ。
至って平静、普段通りだが、普段通りではないところが1つある。
ブレアの周りに魔力の粒子が煌めいていて、紫色の瞳の中に七色の光が舞っていることだ。
「そんなことより横見てください!」
唸っている大きな影が、グッと小さくなってから一気に広がった。
やばい、と思ったルークが叫ぶと、ブレアはルークに向けていた手を体ごと素早く右に向ける。
ブレアが指先までピンと伸ばしたのと同時に、部屋内に突風が吹いた。
押し寄せるように流れてくる霧でブレアの姿は再び見えなくなる。
顔を背けたくなる強風の中で、ルークは必死に目を凝らしてブレアの姿を探した。
十数秒の後、風が弱まってきた頃にはすっかり霧は晴れていた。
風でふわりと舞った銀色の長髪に絡むように、先程とは比にならない量の光の粒が一緒に舞っている。
男の姿より背は低く華奢な体だが、自信に満ちた横顔は頼もしい。
見開かれたアメシストの中には、大きく開いた白い瞳孔が光っている。
とにかく綺麗で、美しいのに、魔獣のような――それ以上の怖さを瞳の中に持っていて。
儚くて消えてしまいそうなのに、力強くて頼もしい。
そんな場合ではないのに、さっきまであんなに焦っていたのに、ルークは安心してしまった。
矛盾だらけの感情を抱かせるその姿に、絶対大丈夫だ。と根拠もなく確信した。
そして、さっきまでの不安よりも、安堵よりも何よりも強く思った。
――どうしようもないくらい、好きだなあ、と。
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