第40話 何でそんなに嬉しそうなんですか?

 気合いで授業で進んだ所まで教え終えたアーロンはぐっと体を伸ばす。

 もうすっかり日は沈んでいて、そろそろ帰らないと教師に怒られそうだ。


「やればできんじゃねえか。マジでこの1ヶ月ちょい何してた?普通に授業受けてたらほとんどできてたと思うんだが。」


「何してたと言われましても、先輩を眺めてましたとしか言えませんね!」


 教科書を閉じたアーロンは疲れを吐き出すように息をつく。

 胸を張って答えるルークにブレアは「キモ……。」と顔を歪めている。


「1日にこんなに詰め込んで覚えられんのかよ……。」


「もう半分くらい忘れました!」


「だろうな。もうちょっと申し訳なさそうにしてくんね?」


 疲れ果てているアーロンとまだまだ元気なルークを、ヘンリーは苦笑しながら「お疲れ様ー。」と励ます。

 ヘンリーにとっても少し自信のない所や忘れかけていたことの再確認ができて勉強になった。

 流石に授業に追いつくまでやるとは思っていなかったから驚いたが。


「一度身についたことには変わりないんだから、中々有意義な時間だったんじゃないかな。全部やるとは思ってなかったから驚いたけど。」


 退屈そうに頬杖をついて眺めていたブレアは、少しだけ口角を上げて微笑んでいる。

 教えるアーロンと教わる2人(特にルーク)は忙しかったが、ずっと見ていただけのブレアは暇だったのではないだろうか。


「君、意外と勉強できるんだ。教えるのも中々上手いんじゃない?」


「何様目線だよウゼェ。」


 ブレアは褒めたつもりだったが、アーロンは煽りと捉えたようで小さく舌打ちをする。

 勉強を教えると言っても全部わからないとは思わなかったし、こんなに遅くなるなんて予想できるわけがない。

 ブレアのせいで想像以上に疲れた、というのが本日の感想である。今更少し褒められたくらいでそれが覆るわけもなく。

 むしろ高みの見物を決め込んでいたブレアに腹が立ってくる。


「褒めてるのに。教師になれるんじゃない?」


「オレが教師?面白ぇ冗談だな。」


 アーロンが声を出して笑うと、ヘンリーは困ったように眉を下げた。


「本当に教師になろうとか考えてない?ちゃんと家継いでくれないと困るよ。」


「ダルそうだから考えてねえけど、家継ぐのも嫌だなー。」


 ケラケラと楽観的に笑っているアーロンを見て、ヘンリーの顔がますます困ったように歪む。

 その表情は少し悲しそうに見える。

 心配になったルークが声をかけようか迷っていると、ブレアが立ち上がった。


「そろそろ寮に戻ろうか、先生が来たら怒られるの多分僕だし。贔屓優遇はよくないよねー。」


 “先生”というのはリアムのことだろう。

 他の教師が来る可能性もあるのにリアムが来る前提で話している辺り、リアムがブレアにとって一際目を引く存在であることを感じられる。

 リアムはブレアの兄であり教師だ。恋愛対象ではないとわかっていても、ルークはやっぱり嫉妬してしまう。


「だな。お前が怒られてるとこはちょっと見てえが、流石に疲れたわ。」


「酷いなあ。君性格悪いね。」


「お前よりは100倍いいよ。」


 立ち上がったアーロンはヘンリーに教科書を返すともう一度体を伸ばす。

 教科書を受け取って立ち上がったヘンリーは2人のやり取りに苦笑している。

 初めは2人が同じ空間にいること自体が不安だったが、何だか一週回って仲が良さそうに見えてきた。


「ルークくん、今日は寝られるといいね。」


「マジで寝ろ。これからもわかんねえとこあったら教えてやるけど、全部は無理だからな?」


 ドアの方へ歩き出した2人に言われ、ルークは「頑張ります……。」と自信なさげに返した。

 教室の隅に置かれた布団の皺を伸ばしていたブレアは不思議そうに首を傾げる。


「寝てないの?」


「すみません。」


「何で謝るの。」


 呆れ顔でこちらを見てくるブレアにルークは嫌がられるのを承知で正直に答える。


「隣で先輩が寝てると思うとドキドキして全く寝れませんでした……!」


「は?キモい。寝てよ。」


 ブレアが嫌そうに顔を歪めるが、ルークは嬉しそうに笑う。


「初めて先輩にかけられた言葉に似ててドキドキしますね。」


 両腕をさするブレアにルークはもう一度「すみません!」と謝る。

 ブレアは毎日ぐっすり眠っていたから気が付かなかったが、まさか一晩中起きていたとは。

 寝付くまでや夜中に一度目が覚めた時、妙に視線を感じたのもそのせいかと思うと寒気がしてくる。


「本末転倒だね。寝てくれないと意味ないんだけど……。」


 困ったように言ったブレアは何かを思いついたようでふと言葉を止める。

 そのまま無言で数秒考えると突然表情が明るくなった。


「君寝れないんだ。困るよね。」


「何で嬉しそうなんですか……?」


「困るよね?」


 ブレアが顔を近づけてきてルークの鼓動が速くなる。

 ルークを見つめる紫色の瞳には小さな光がキラキラと輝いていて、いつもより少し無邪気な表情が可愛い。

 わくわくしているように見えるのだが、ルークに困って欲しいのだろうか。


「そりゃあ困りますけど……何でそんなに嬉しそうなんですか?」


「だよね。困るよね。大丈夫、僕に任せて!」


 戸惑いながらルークが答えると、ブレアは見たことないほど嬉しそうに深い笑みを浮かべた。

 先輩の笑顔可愛い……!とルークが思考停止している間に、ブレアが両手を伸ばしてルークの目を覆い隠すように触れてくる。


「ど、どうしたんですか先輩……手冷たっ!?」


「避けようとしないで。目瞑って。」


 ブレアの突然の行動と手の冷たさに驚きながらも、ルークは言われた通りに目を閉じる。

 指の隙間からちゃんと目を閉じていることを確認すると、ルークからは見えないがブレアは更に笑みを深めた。

 小さく、けれども軽やかな声で術式を唱えると、ブレアはルークにそっと囁いた。


「後で感想聞かせてね。……おやすみ。」


 ブレアの甘い声を聞いた途端、糸が切れるようにルークの意識が途切れた。

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