高橋さんの世界は止まらない

 小学校の高学年になると他人との違いが鮮明になっていく。自分と他人なんて生易しいものじゃない。

 自分の能力と、他人の能力。

 テストの点数であり、駆けっこの順位であり、力の強さであり、声の大きさであり、ドッジボールの上手い下手であり、折れる折り紙の数であり。

 ゲームが、上手いかどうか。

 その差が自分と他人を分けるものだ。

 まだわたしが男子とさえ体格に顕著な差を付けられる前、わたしは天才だった。

 テストは百点満点が当たり前。足は平均より早いくらいだったけど、追いかけっこなら負けない。言い合いだって、大きな声だけじゃ駄目だと理解していたから、あなたのあれがだめ、これがおかしいって、言ってあげたら勝手に泣き出す。

 何をやったってわたしはわたし。

 だからだと思う。学校という狭い世界はひどくつまらなかった。

「そんなことより新しいゲームが入荷したんだってよ!」

 サンタはそう言って笑った。


 わたしがサンタとはじめて遭遇したのは近所のゲームセンターでのことだ。

「おまえがここのボスか?」

「うん。ボス」

「俺の名はサンタ。おまえを倒す男だ!」

 ボスとかは意味がわからなかったけれど、変な名前(ほんとに名前だと思った)だということと喧嘩を売られたことはわかったから買っておいた。あの頃のわたしは今よりずっと怖いもの知らずだった。

 ゲーセン内の全部、とはいかないけどほとんど全部のゲームで勝負するのには二週間かかった。わたしが勝ってもサンタが勝っても、一本勝負が三本勝負になり五本勝負になり、参ったと言った方の負け、になったからだけれど。

 そんな子供たちはゲームセンターのちょっとした名物だったと、当時ただのバイトだったバイトリーダーさんが後に教えてくれた。

「やんちゃ小僧と口数少ない可愛い女の子はね、鉄板なんだよ~」

 疑問符しかなかった言葉の意味も今はわかる。

 兎にも角にも、そういう感じ。どうにかしてこいつを負かす、それがわたしとサンタの、出会い方であり打ち解け合い方だったのだ。

「ぐぅううう……負けました、あぁ、ぬぅぐぅうううう」

 最後の最後、『決着のガンシューティング』でわたしが勝った後、サンタはめちゃくちゃ苦しそうに負けを宣言した。今思い出すによい思い出。一生の宝物。

 きっとわたしは、この時のサンタを生涯忘れない。

 もう、勝てなくなってしまったから。

 それとこの思い出には一つ後悔もある。勝者の権利として敬意を要求したことだ。

 呼び方を変えさせたのは、本当にわたしの痛恨のミス。


「高橋さん! 次はあれやろうぜ!」

 違う小学校に通うわたしとサンタは基本的にゲームセンター以外で会うことをしなかった。その方がカッコいいから。それは二人の共通認識だったけれど、むぅ、これも後悔かも。あの頃もっと、サンタと色んな所に行っておけばよかった。

 学校がつまらないわたしは、対等に勝負出来るサンタとの放課後に夢中になった。何度も勝負して、何度も勝って、何度も負けて。

 ちなみにだけど、お金の問題はなかった。わたしはお小遣いだけはたっぷり貰っていたから。サンタの方の詳しいところは知らない。大丈夫とは言っていた。それとバイトリーダーさん(当時バイト)が店長さんにかけ合ったりして安く遊ばせてくれていた。代わりにたまに看板を持っていたりしたから、もしかしたら何かしらの法に触れるんじゃないかと思う。ゲームセンターは怖いところ。

 小学校の卒業式の日はただ早く帰れる日。

「サンタ遅い」

「そっちが早いんだよ。俺んとこ、まだ普通に授業あんもん」

 先に着いていた者の特権として予習しておいた新作格闘ゲームで圧勝してやった。サンタはわたしのズルに気が付いていたみたいだけど何も言わなかった。つまり負けを認めたってことだ。

「なぁ、高橋さんはボスだったんだろ?」

「なんのこと?」

 わたしはすっかり忘れていた。言われてあぁ最初にそんなこと言っていたなと思い出した。

「ボスはな、悪い奴なんだ。だから高橋さん、高橋さんは隊長になれ」

「隊長は悪い奴じゃないんだ?」

「隊長はな、すげーんだ!」

 どうもアニメの影響らしい。サンタは興奮して話してくれた。……ごめん、あんまり情報量が多かったから逆に全部思い出せない。

 とにかく、その中でサンタ的に一番カッコよかったキャラクターが隊長という役職にあるキャラクターだったというわけだ。

「サンタが隊長しなくていいの?」

「あぁ! 高橋さんが隊長になれ!」

 その日から、わたしは『隊長』。サンタが『隊員』。高校生になった今、普段使うことはないけれど。

 あの日からわたしたちは、一心同『隊』なんだ。

 あとわたしがアニメや漫画に嵌った切っ掛けでもある。

 それから中学二年の頃には、サンタは例のアレを患った。

「いいか、右と左をまず大きく分けるだろ? んで次に前からアルファベット、A、B、C、Dだ」

「何時の方向とかでいいと思う」

「駄目だ駄目だ! それじゃオリジナリティがないだろっ。いいか、右前がA、斜め前がB、斜め後ろがC、んで後ろがD。わかったか?」

「とても大雑把なのはわかった」

「うるせぇ。それで最後にな、人数を足して、右C2なら、右斜め後ろに敵が二人だ。どうだ、かっけーだろ!?」

「そうだね」

 どうでもいいね。わたしはサンタより大人だから、優しい目をして受け入れてあげた。

「おまえなんつー、冷たい視線をっ」

 優しい目だ。間違えてもらっては困る。

 やれやれと、肩を竦めたわたしの左手に包帯なんて巻かれていない。いないったらいない。


 世界が。

 そうして、わたしは、わたしの世界は、いつまでも小さなビルの中で。

「高橋さんさぁ、ごめんねぇ、私たちんとこにはちょっと、ねぇ」

 グループ課題に一人で取り組む。

 体育。バスケ。パスは回ってこない。

 そういう小さな欠けが、わたしの世界には無数にあった。少しずつ、欠けて削れて、崩れて、致命傷にならない無数の傷が広がっていく。

「学校? え、普通に楽しいけど」

 サンタに探りを入れた結果も、傷。

 わたしの世界は、きっと、壊れかけていた。

「そんなことより新しいゲームが入荷したんだってよ!」

 直したのも、サンタだったけれど。

 わたしのつまらないを笑い飛ばしてサンタは言った。

「早速、勝負しようぜ!」

 わたしは笑顔を作り上げてサンタについていった。かさぶた未満の応急手当。

 サンタもまたわたしの小さなビルの中の一人だったから。けれどそれでも、サンタは隊員でわたしは隊長だから、と。そんな強がりだった。この時は。


「そろそろ、だな」

 ある日にサンタはそう言った。わたしは「なにが」と訊いた。

「隊長殿、我々はそろそろ次の戦場へ赴くべきです」

 サンタは帽子も被ってないのに挙手の敬礼をした。間違ってるよと指摘する。

「え、なにが? 敬礼ってこうだろ?」

 隊長だからちゃんと敬礼の作法を教えてあげたら次の日にサンタは帽子を被ってきた。三日で「暑いから」とやめていたけれど。

 サンタの言う次の戦場は、ゲームセンターの奥にある、ちょっとエッチなゲームコーナーだった。

 ……わたしは何も言わずに向う脛蹴ってやった! 三回!

「痛い痛い痛いっ。折れるっ、折れるって!」

 折れればいいと本気で思ったものだ。

「違うって、いや違わないけど。俺たちももう中三で、受験も見えてる。なぁ隊長殿、ちょっと冒険してみないか?」

 わたしの世界の全ての、未知の部分。

「俺たちはもっと、なんでも出来るはずなんだ」

 サンタは屈託のない笑顔で、大きく手を広げて、わたしを見ずに言った。その目はずっとずっと、ビルの壁を越え、街を超え、国だって空だって超えて、はるか先を見ていた。


 わたしは、いったいなにを恐れていたのだろう。


 世界なんて、わたしがいくらでも広げればいいのに。

「あ、あははっ。そんな、それ、なにそれっ、サンタ。すごくおっきなこと言うね」

 わたしは目元に涙すら溜めてお腹を抱えて、声を上げて笑った。

「おう。いくらでも言うぞ。俺と高橋さんが揃えば、こえぇもんなんてない」

「そうだねっ」

 そしてわたしたちは、新しい世界に足を踏み入れたんだ。


「んんん~~~~~!!!」

「いたっ、いたい、いたいって隊長殿、高橋さん」

 踏み入れた先がちょっとエッチなゲームだからわたしは気が済むまでサンタを叩きまくった。


 それから、それからわたしはサンタから受験校を聞き出して同じ高校に入学した。

「別にどこでもよかった」

 言い訳がサンタにどこまで通用したかはわからない。

 性格も話し方の癖も簡単に直るものではなかったけれど、ちゃんと気を付けて、サンタにも助けてもらって、なんとか人並みの人間関係、友人関係を築けたことにほっとした。

 この頃にはもう、わたしは全然、何でも出来る天才ではなかった。コミュニケーション能力はもちろん、サボっていたスポーツなんかはセンスはある止まり、ゲームもほとんどサンタに勝てない。背も伸びないし。

 でも別にいいかなと思っていた。

 それが覆ったのが、二年生の二学期。

 鈴木さんが、サンタの耳元に顔を寄せる。

 佐藤さんが、当たり前みたいにサンタにボディタッチする。

 これは大変だとわたしは思った。あと、わたしはわたしがバカだと気が付いた。

 サンタはサンタだ。多くにモテるかと言うと悩むところだけれど、全くモテないわけもない。なにせわたしがその一例だ。

 わたしはもう、いつからを考えるのも馬鹿らしいくらい、ごくごく自然に当然にサンタを好きなんだけど。

 つまりだから、他にわたしと同じ人が現れる可能性があるということを、その時までわたしはちっとも考慮していなかったのだった。

 これは、大変だ。


 一人、家に続く路を歩きながら思う。

 わたしと佐藤さんと鈴木さんは、サンタをどう思っているかについて、既に互いの情報を握り合っている。

 まぁ、わたしがわかったくらいだ、二人にわからないわけもない。

「えーと、確認なんだけどぉ……高橋さんと鈴木さんって……サンタのこと、す、好き……だよね……?」

 とある日にとある喫茶店で。三人での女子会。佐藤さんが切り出したことにわたしも鈴木さんも、じっくり時間をかけてから同時に頷いたのだ。

「はぁ」

 と、わたしは夜道に吐息を零す。

 わたしは理解している。

 わたしを理解している。

 わたしはサンタの眼中になく。

 佐藤さんと鈴木さんの眼中にもない。

 わたしたちは互いを応援し合い、励まし合い、誰が勝っても祝福しようと言い合った。その勝利の可能性として、わたしはきっと、佐藤さんと鈴木さんの頭の中にはいないのだ。

「目に物見せてやる」

 小さいから? 子供っぽいから?

 侮るな。

 わたしは『隊長』だ。

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