鈴木さんにはスキがない

「すみません、その日は先約がありますので。私は遠慮させていただきますね」

 出来るだけ当たり障りのないように。私は笑みを作ってその誘いを断りました。

 体育祭の打ち上げ。クラス全員で遊びに行こうという企画です。本番にどんな結果となるかはわかりませんが、きっとどんな結果でも楽しく打ち上げを行うのでしょう。だから、断るつもりで先約を作っておいた。

「そうなの? 先約っていうのは」

「すみません私事ですので。みなさん楽しんでくださいね、打ち上げ」

「あ……うん。じゃ、じゃあ、それだけだから」

 そそくさ、と形容すべき様子で去っていくクラスメイトを、見送ることはしない。

「あの、何か用でしょうか」

「鈴木さんさ、体育祭の実行委員やんない? 俺と一緒に」

 私はきっと、ぽかん、と形容すべき様子で見上げたことだと思います。

「暇でしょ」

「別に暇ということはないですが」

 サンタ君は「あそう? まぁいいじゃん、やろう実行委員」と笑って親指を立てた。


 私がサンタ君と出会った、サンタ君という人間を知ったのは、高校二年生に進級してすぐのことでした。

「どうもサンタです」

 自己紹介の第一声に妙なことを言う人だなという印象も、さほどの余韻もなく、次の人に渡ったバトンがすぐに掻き消した。その程度の薄い印象。

 それは少し間違いでしたが。

 サンタ君は所謂、濃いタイプの人間です。存在感、性格、やることなすこと。突飛だとか傍迷惑だとか、そこまでの強烈さはありませんが……なんでそんなことを、というようなことを度々やりがちです。

 私が、何事も必要最低限に進めてしまうのとは、逆に。

 クラス委員に選出され、決め事などを時に取り仕切る。

 校外学習の班割り。好きな人同士でグループを作ってもらった。それが普通でそれが一番だとこれまでの学校生活で知っていたから。

 とはいえ定員はあるから、どうしても仲良し同士で組めない人も当然でてしまいます。

「残り物共め……俺んとこ来いよ」

 と教室の真ん中で宣言したサンタ君は、佐藤さんに「あんたも一人じゃん」と言われていました。

「俺と組んでくださいお願いします」

 サンタ君ははじめからそのつもりだったのでしょう。それぞれの事情で一人になった人たちを集めてあっという間に一班、作ってしまった。

 あぁそういう人なんだな、と。私は心温まるものを感じたのを覚えている。


 さりとて良い人止まりの認識で数か月を同じ教室に過ごし、その間にもサンタ君は時々にクラスメイトを助けていました。

 佐藤さんに勉強を教えたり、吉田君や山田君に泣きつかれてデイリーミッション部なるものに入部したり。

 学食と購買と持参を日替わりするサンタ君と、一度も昼食を共にしたことのない人はこのクラスにはいないと思います。

 クラスの女の子たちが夏休みのバイトを探して話し合っているのに首を突っ込み、最終的には「サンタさいてー」と笑いながら追い出されていました。話し合っていた内の一人が、バツの悪そうな顔をしたことに、きっと遠目にしていた私だけが気付いた。

 男の子たちには男の子たちの結束があって、本当に一人の漏れもなく、クラスの男子全員で実施したというカラオケ大会(女人禁制。とのことでした)では主催なのに最下位だったそうです。

 そうして二学期に入った頃、サンタ君は少し、控えめになりました。

 最初は小さな違和感で、一週間ほどして私はクラスメイトにそれとなく訊ねたものです。

「サンタ君は最近は……変なことをしませんね」

 言い方というものを考えずに切り出してしまったせいで、私は随分と失礼な言葉を選んでしまった。しまった、と思った時には「変って、それはひどくない?」と佐藤さんに指摘された。

 されたけれど、それは笑い声の中のこと。

「そんなことないんじゃない?」

 が、朗らかに笑い合う女子グループの総意だった。

 ならば私の気のせいだろう。

 そんなことより、私は、自分が考えなしに質問をしてしまった失敗の方こそを気に病んだ。

 失敗はよくない。評価が下がるから。

 他人からの評価。それと、自分が自分に下す評価が、下がってしまうから。

 私は改めて気を引き締めました。

 優等生の鈴木さんは、失敗をしない。


 失敗しないためにはいくつかコツがある。

 まず努力。当然、出来ることが多い方が失敗は少ない。勉強も運動も、幸いにして私には努力をすれば報われるだけの才覚があった。

 授業を真剣に聞き、予習復習を欠かさず、試験対策もすればテストは簡単。

 朝のジョギングと寝る前のストレッチくらいで、体の調子は整う。

 別に最高を目指す必要はない。優秀で、無難に。それくらい。

 人間関係は勉強や運動よりも楽だ。数字を上げる必要がないから楽だと私は思う。誰とでも仲良くなっていつも笑っている人が正解なら、公私を明確に切り分けて付き合い分けるのも正解だから。

 私は後者を選んで、親しくはならなくても煙たがられもしない存在であるように努めた。

 コツ、だ。

 努力と、無理をしないこと。

 私は私に出来るだけのことを、出来る分だけやればいい。

「鈴木さんさ、体育祭の実行委員やんない? 俺と一緒に」

 出来ることだけを。


 実行委員とは言っても体育祭にそれほど掛かる作業はない。クラスの人たちに競技の内容やルールを説明して、出場種目を決める程度。

「よしじゃあ、頑張って指導していくか」

「指導?」

「そりゃやっぱ実行委員、つまりキャプテンだからな。俺たちにはクラスを優勝に導く義務がある」

 初耳だった。キャプテンなんだ、実行委員って。

 サンタ君は言ったとおり各競技の出場者にあれこれと指導をしはじめた。もちろんそんな、上から何か物を言ったり押し付けたりではなく、練習する場所を確保するために色んな人にかけ合ったり、一緒になって練習してはアドバイスしたり、やっぱり個人種目がいいという人の相談に乗ったりです。

 付き合わされた私はそれはもう困惑した。こんなに頑張る必要はないのにと。大体は男女で分かれて担当するから私の負担だって大きくて、そう、溜まっていたのだ。疲労と不満と――。


 そうして訪れた大会本番。伝統というべきか慣習というべきか、どこのクラスも力を入れての本気の大会。それにしたって私たちのクラスほど練習に熱心だったとも思えませんが。

 クラスの人たちの努力の成果として、多くの競技で私たちのクラスは勝利を重ね、トーナメントを勝ち上がり。

 そして、不運に見舞われました。

 バレーボールの試合中、一人の女子が蹲ったのを私はキャットウォークから見たのです。それはクラスメイトで、私が一緒にサーブやトスの練習をした人で。

「す、鈴木さんっ!?」

 キャットウォークは本当はきちんと階段を使って上り下りをしなければいけないけれど、そんな遠回りをしていられないから非常用の梯子を滑り降りました。驚かせてしまったクラスの友人には申し訳ないと思うけど、関係ない。きっと後で先生に怒られるとか、女の子がするにははしたないくらい足を開いて思い切り滑り降りたとか、周囲の目とか、どうでもよかった。

 怪我は捻挫だった。捻挫ね、と、保健室で、保健の先生に聞いた。一緒に聞いた。

 ……試合は、棄権。

「そう、ですか」

 呟くクラスメイトに声を掛けられないまま肩だけ貸して、ひとまず教室に戻る間に、今度は明確に私に対して、それは呟かれた。

「ごめんね」


 それにすら応えられない私は、今まで一体、なにをしてきたのだろう。


 教室で他のクラスメイトたちに温かく迎え入れられる姿を見届け、私は一人、踵を返しました。もしかしたら何人かには訝しがられたかもしれない。

 そんな私の動揺が伝わった、とは、思い上がりでしょうけど。

 私たちのクラスは大きな活躍をし結局、総合優勝には手が届きませんでした。準優勝なんて栄誉あることなのに、それを素直に、喜べない。

「くっそぉ、惜しかったなぁ」

「でもま、よくやったろ!」

 悔しさと喜び。吉田君や山田君が溢れさせる感情が、私にはどこか遠く思えてしまったのです。

 それでもそんな私にみんな「ありがとう」と言ってくれて「来年は勝とうね」と言ってくれて。

「そんじゃ悔しいが、行くかっ、準優勝祝賀会!」

「優勝祝賀会のはずだったのになぁ」

「もう。どっちでもいいじゃん。あたしお腹すいたぁ。早く行こ早く」

 手を伸ばす。伸ばしかける。伸ばそうとする。伸ばしたいと、思ってしまった。

 そんな私の半端な手が落ちる。もう二度と上げられないかもしれない手が。落ちた時に、私の肩に触れるものがあった。

「わるい。俺と鈴木さんは実行委員の仕事があるから。先行っててくれ」

 そんなこと私は聞いていなかったけれど、クラスメイトたちは疑うことも特に気にすることもなく教室を出て行った。

 一部の男子は「わかったけどそれはそれとしておまえなに鈴木さんの肩に手ぇ回してんだおらっ」なんてサンタ君を一つ二つ軽く叩いてからだったけれど。

「あの……仕事というのは、なんでしょうか」

「んー、そうだなぁ、振り返り反省会でもするか」

 サンタ君はそう言って笑った。


 突然降って湧いた反省会です。あまりに静かな教室で、私とサンタ君は私の机を挟んで向かい合いました。

 サンタ君はまず、写真を机に広げました。

「こんなもの、いつの間に……」

「こっそりな。おっと、盗撮とは言ってくれるな? 承諾は貰ってるからな」

 本当に、いつの間に、です。

「ま、そんな枚数あるわけじゃないけど」

 確かにそれは十数枚程度で、けれど全ての種目を、クラスの全員を、一つ一人余すところなく収めた、十数枚。

「女子のバレーはほんと惜しかったよなぁ。男子のサッカー、見てくれこれは結構会心の一枚だろ?」

 ゴールの瞬間だ。シュートを撃った人、止めようとする人、ゴールキーパー、揺れるゴールネット。

「こっちは……あぁ、最高の一枚が撮れたと思ってる」

 サンタ君が優しく笑む。

 女子のバスケで私たちのクラスの優勝が決まった瞬間の一枚に、たくさんの笑顔がある。選手たち、駆け寄るクラスメイトたち、それとキャットウォークの――。

「なぁ、鈴木さん……今日これから、暇か?」

 本当は、本当に用事は作ってある。習い事。別に今日入れる必要のなかった習い事の用事。先方の先生にも都合をつけてもらって、今日この日にした大事な用事。

 私は、私は、私はっ。

「はいっ。……暇、ですっ」

「よしじゃあ、行こうか、準優勝祝賀会」


 私は思う。

 こんなの、好きにならないわけないじゃないですか。

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