佐藤さんは勉強が嫌いではない

 アタシの勉強嫌いは小学校から。三年生、か四年生か五年生か、六年生。うん、そのくらい前から。

 わからない。ずっとずっと、勉強する意味ってものが、アタシにはどうにもわからない。

 国語なんてある程度、読めて書ければよくない?

 算数なんて足し算引き算、それとちょっと掛け算割り算できればそれでよくない?

 他はもう、全部いらなくない?

 宿題のせいでママに怒られるたび、テレビが見れないごと、アタシの中に不満と疑問が膨らんだ。

 勉強なんて、なんでしなきゃいけないの?

「なに言ってんだ佐藤さん。勉強はな、テストで自分より点数の低い奴にマウント取って煽るためにやるんだよ」

 サンタはそう言って笑った。


 アタシとサンタの出会いは中学校の入学式の日。

 クラスの自己紹介が、お互いを認識した最初だと思う。

「――なので俺のことはサンタとでも呼んでくれ」

 へー変なあだ名。アタシからはそれだけ。

 サンタは変なあだ名呼びを要求する変な奴のくせに勉強がすごく出来た。

「佐藤さん、これね、こっちの問題と同じように解けるよ」

 隣の席になった時の小テストでそんなアドバイスをくれて、けれどその時は特に気にするでもなくスルーした。数日後、同じように採点し合って、そしてサンタは言ったのだ。

「佐藤さん、もしかして勉強嫌い?」

 サンタは笑っていた。当時は軽く、笑わなくてもいいのにくらいに思ったけれど、いま思い出すとあの笑みはそこはかとなく邪悪だったように思う。

「いいね。そういうの待ってたよ」

 笑うサンタはそう続けた。


 それから次の席替えまでの間、サンタは授業の度にアタシにあれこれ構ってきた。アドバイスとか説明とか解説みたいなもの。傍から見たらサンタがアタシに勉強を教えているように見えたと思うし、実際アタシもそう思っていた。だからまぁ、ウザいなぁと良い奴だなぁが半々くらいだったのだ。期末テストが終わるまでは。

「ごめん。あんなに教えてくれたのに」

 相変わらずの冴えない点数をアタシは別に気にしていなかったけど、義理としてサンタにはそう謝った。

「そんなに教えたっけ? 基礎も基礎ばっかだったし、まぁ、こんなもんなんじゃないかな」

 ……今思うと、この時にはもう片鱗がある気がする。

 その後、席が離れて、学年も変わって、たまたままた同じクラスだったから話す機会は何度もあって。

 受験が見えてきた頃には、クラス内で勉強会なんてする意識高い奴も現れた。サンタなんだけど。

 アタシも誘われたからテキトーに参加して、たまにサンタに勉強教えて貰って。

 少し、勉強が楽しくなっていたはずだった。はず、だった。

「あれ? 思ったより低い」

 返却されたテストにそんな感想を抱いたのははじめてだった。サンタにわるいなぁ、なんて、そんな感想。

「佐藤さんは相変わらずいいねぇ。いいと思うよ」

 ごめん、と言って見せた点数に対して返ってきた言葉に、アタシは首を傾げた。


 そして本格的に受験勉強がはじまってすぐ、模擬テストの結果がまた奮わなかったアタシは、だからまたサンタに笑われて。

「笑わないでよ」

 ついにアタシはそう言った。怒っていた。悲しんでいた。わけがわからなかった。

 アタシの不出来を笑うサンタに怒り、あんなに教えてくれるのに応えられない自分が悲しく、教えてくれるのに笑うサンタがわからなかった。

「へぇ。なんで?」

「なんでって……ひどいじゃん、他人のテストの点数見て笑うなんて」

「そうかな。なぁ佐藤さん、勉強は今も嫌いか?」

「は? 当たり前じゃん。なんでこんな、勉強なんて。生活に困らないくらい出来ればいいじゃん」

 その水準はクリアしているはずだ。

 アタシはサンタを睨みつけた。

「なに言ってんだ佐藤さん。勉強はな、テストで自分より点数の低い奴にマウント取って煽るためにやるんだよ」

 サンタは笑っている。

「俺はずっと佐藤さんを笑い続けるぞ? 俺よりいい点とれない佐藤さんをずっと」

 それはもちろん頭に血が上った。ムカつきまくった。

「はぁ? なにそれっ。良い奴だと思ってたのにっ、なにそれ! 最低!」

「あそう。どうする? 俺よりいい点とって笑い返してみるか?」

「上等じゃんっ。ムカつく。そのウザい笑い顔、泣かせて土下座させるからっ、絶対!」

 憤慨も憤慨、怒り心頭でテストを勢い任せに奪い返してその場を後にした。一度、振り返ったら手を振られた。ばいばい、みたいなフランクさ。アタシはとにかく、サンタを泣かせてやることを決めたのだ。


 その日からはもう、勉強勉強勉強漬けだ。必死に勉強した。四六時中机に向かって、参考書を積み上げて、カラーペンマスターってくらいライン引いて、ついでにペン回しを覚えて。

 それでもサンタには勝てなかった。アタシは涙を堪えて言ってやった。

「高校。……高校で勝つからっ」

「そこまでは別に、望んじゃないけど」

 笑い方は苦笑いだった。

 更に意気込んで勉強に打ち込み、サンタと同じ高校にも合格して、そして。

 そして三学期、中学最後のテスト。

 アタシはサンタよりいい点数を取った。

「かっ……た……勝った! アタシの方が……上! いい点取ってる! 見てっ、見ろ、サンタ。アタシの……勝ちっ!」

 教室だというのにアタシは嬉しさで周りが見えなくなっていた。ただただ、やった、と、勝った、と。だから、もちろん、要求した。

「サンタ、約束どおり土下座ねっ」

「おぉ、いやいや、まさかだったなぁ。や、すげぇわ、平伏です。おみそれしやした佐藤さん」

 さすがに本気の土下座じゃない。座ったままする程度、けれど机にしっかり頭をついての土下座(?)だ。サンタはそういうことをやっても特に変に思われないくらいには変な奴で、だからクラスのみんなの注目はそんなに集まったりしていなかったはずだけど。

 アタシは、そんなサンタを見て……どうしようもなく虚しくなったのだ。


 アタシは一体、なんのために勉強を頑張ったのだろう。


 その日から、アタシは勉強に必死になることをやめた。必死になる意味を失った。

 けれど習慣づけられ、馴染み、苦でなくなった勉強は、アタシの中で当たり前の日課として残った。

 サンタとの関係は特に変わらなかった。それはサンタが変わらず話し掛けてくれたおかげで、アタシは少しの間は妙な気後れを感じていたけれど。

 そんな、中学の最後の時間、アタシは考えた。先のことを。高校、大学、もっと先。

「サンタは、高校でなにやるの?」

「部活の話?」

「ううん。もっとこう……なんでもいいから。高校でやりたいこと、やろうと思ってること。ある?」

「そうだなぁ」

 サンタは笑った。

「自分探し、かな」

「訊いたアタシがバカだった」

 アタシも笑った。


 高校生になって、アタシはとりあえず女子高生を楽しむことにした。折角いい学校に入ったのだし、部活や恋愛もいいけど、もっとふわっと、女子高生ってやつを、楽しもうと思ったのだ。

 そういうわけでアタシの髪だとかアクセだとか、それはちょっと高校デビューではある。大変身なんてことはないけど、染髪なんていうのはけっこう、思い切ったと自分でも思う。

 サンタも「誰かと思った」と驚いていたし。言い方が悪いから叱ってやったけど。

 そうやってある意味じゃぼーっと毎日を過ごすうち、サンタには高校最初のテストでもう再逆転された。されたけど、別になんとも思わなかった。勉強漬けをやめたらすぐに学力の下がる自分の地力の低さにちょっと笑ってしまったくらい。

 なんとも思わなかったのはたぶん、鈴木さんの存在のおかげもある。

 主席入学の本当に頭のいい人には、アタシもサンタもまるで及ばないから、小さな争いがどうでもよくなったのだ。サンタがどう思ったのかは知らないけれど。

 知らないなりに、サンタとは普通に友人として接していた。一年間はそうやってだいぶのんびり日々を謳歌した。

 二年生になって、鈴木さんや高橋さんと同じクラスになった。進級したての頃には特に接点もなかったけれど、まず高橋さんとは比較的早い段階で仲良くなった。

 サンタという共通項があったから。

 小学校からのゲームセンター仲間だという二人を、そうなんだぁ、と受け止めて、よろしくね高橋さんと言う時に言葉以上の感慨は何もなかったのだ。いや、一個はあるかも、可愛い子だなって、そう思ったくらいだけれど。

 一学期が終わって、夏休みも終わって、二学期が始まって、少しした頃に。

 サンタは鈴木さんとよく話すようになった。

 あれ? と思って……びっくりだ、本当に、びっくり。もうあっという間に、急に、なんでもない日、なんでもない休み時間、なんでもない教室で。

 アタシは突然、火を吹いた。

「佐藤さん?」

 友達の声が遠く聞こえる。

 アタシは、鈴木さんがサンタに何事か耳打ちしたのを目撃したその瞬間のまま固まってしまった。

 あ、またなんか仲良くしてるなあの二人。サンタはまったく、仕方ない奴。だから距離近いんだってば。……あ……え、なにその耳打ち。やめてよ。……いややめてよってなんだ。

 みたいな。そんな思考がバーッと頭の中を瞬時に流れていって。

 嫌だな。と思った次の瞬間に、誰かアタシにも耳打ちしたんじゃないかと思う。そんな感覚。

 サンタが取られちゃうね。って。


 アタシは湯船に口元までたっぷり浸かった。

 サンタとカフェに行ったその夜である。たまにする思い出をなぞる行為は特に入浴中にしてしまいがち。リラックスすると……サンタのことばかり考えてしまうせいだ。

「でも、高橋さんと鈴木さんとも仲良くなれたしなぁ」

 それは最近の大きな悩みだ。

 サンタへの気持ちを自覚して以降、近いところにいる女子である高橋さん鈴木さんとは話す機会が増え結果、普通に仲良くなった。だって二人ともいい人なんだもん。

 ぶくぶく。と息を吐き出してすぐ消える泡を作る。泡はすぐ消えるのに、アタシの悩みは消えやしない。

 高橋さんと鈴木さんは友人であり恋敵でもあった。まぁ、そんな気はしまくってた。

「んー……困ったなぁ」

 アタシは浴室の天井を見上げた。そこに答えが書いてないのが不満。

 アタシは、アタシの恋心を優先していいのだろうか。

 どんな参考書にも書いていない難題が、アタシを悩ませる。

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