第20話

「貴方が日本から持ち帰った統制エンジンは非常に参考になる。

 感謝しているよ」

 グラツィアーニは陸軍参謀本部にバルボを迎え、謝意を伝えた。

 先日の統領主宰の三軍連絡秘密会議以来である。

 グラツィアーニに呼ばれた主題がそれにないことははっきりしていたから、バルボも簡潔に返事をする。

「参考になれば幸いです」

「大いに参考になったというか、ライセンス生産契約を結ぶことにしたよ。

 後払いで済むのだから助かる話だ。

 それもこれも空軍大臣、貴方が日本の心象をずいぶんと良くしてくれたからだが」

 そこまで言ってグラツィアーニは言葉を切る。


「彼らの欲しがってたニッケルを融通したということは、その時から早期の参戦はないと踏んでいたのかな?」

 さっそく踏み込んできた。

 やはり、グラツィアーニはこちらの戦争の展望を知りたがっている。


 ならばこちらもそれに応えるほかない。


 ただし、これまでのやり方とは変えねばならない。

 秘密会議のときもそうだったが、いや、それ以前からの宿痾でもあるのだが我々は互いに足を引っ張りすぎている。

 内部抗争をして取り分のいざこざで揉めていられるのは平和の恩恵であるということをバルボは今は思い知らされている。

 レンツォもグイド・ユングも、航空機生産計画を立てようにも信頼できる数字が少なすぎると頭を抱えていた。相互に虚勢を張りあって実態を掴むのに大変な労力を割いている。そんな非効率は一刻も早く革めなければならない。

 まずはここから、とバルボはグラツィアーニ元帥をじっと見つめた。


 虚勢も誇張もない、本音を伝える。

「夏までは参戦を遅らせることができる、という確信はありました。

 参戦そのものを回避することは不可能だと思っていましたが。

 ……元帥は、陸軍は、参戦回避が可能であると考えていたのですか?」


 グラツィアーニもバルボの意図を見て取ったか、こちらも正直に答えた。

「参戦不能が大勢を占めるのは変わらない。

 変わらないが、若いのはドイツの真似が出来ると言っている。

 抑えきれなくなっていたから、遅かれ早かれ空軍と同じ結論に達していたな」

「陸軍も夏場ならば体制が整いますか」

「整うものかよ。

 体裁を取り繕うことが出来るだけだ。

 三会戦分の弾薬補給を保証できる師団が完全充足で二個、八割完了で五個が予定の戦力だ」

 まるで足りん、とため息を吐くグラツィアーニは、これを再編して一個機械化師団を前面に置き、そこに装甲車両・自動車を集中運用して他を支援・増援とするというのが「ドイツの真似」を主張する若手の構想だ、とも付け加えた。


「それで、空軍の方はどうなんだ」

「夏までには複葉戦闘機CR.32/CR.42の全廃が完了します。それを更新するフィアットG.50には小型爆弾の懸下装置を追加しますから、それで爆撃機の代用とする予定です。

 つまりはこちらも同じく、体裁を取り繕うだけですよ」

「いずこも同じ、か。

 カヴァニャーリの方王立海軍はどうなんだろうな」


 似たようなものでしょう、とバルボは応じる。


 この程度の正直な戦備体制の吐露も、統領の前ではおいそれと口に出来ない。

 陸海空軍、いずれもが予算を取り合う敵同士として、実態よりも強く大きく自分を演出していた。それが虚像と互いに分かってはいても、自分の虚勢を劾かれるのをおそれて触れずにここまできた。

 統領の自信も、王室・貴族の肥大化した自意識も、軍がそれを滋養してきた面があるのは否めない。エチオピアで、スペインでその戦費の消耗からすればけして勝利と呼べぬ戦果を大勝利と喧伝し、輝ける成果と誇り続けてきたのも陸海空軍バルボたちだ。

 負けるよりはるかにマシだが、それが胸を張るに足る戦勝でなかったことを少しでも謙虚に軍が認めていれば、統領も、王室も、余計な気の迷いなどなかったに違いない。


 遅きに失したが、実勢を相互に共有しなければならない。そうでなければ破裂する。

「さすがに空軍内の縄張り争い自分たちの痴態をさらけ出すつもりはないが」と前置きしたうえでバルボが差し出した、参戦予定の今夏時点での空軍の兵備一覧にざっと目を通したグラツィアーニは、再びため息を吐く。


「同じものを用意させよう。

 貴方と同じように、こちらも自分たちの恥部をさらけ出すつもりはないが……バドリオをはじめ同輩との関係もあって、より多く割り引かれることも了承してほしい。

 私には貴方のような懸絶たるカリスマがない」

 バルボは黙ってうなずいた。

 陸軍内部の権力闘争の激しさは外からでもうかがえるから、それを当人が認めただけでも大した覚悟だと思う。それ以上を望むのは酷だった。

 

 その後しばし、ふたりは参戦直後の大雑把な陸空の連携について検討をする。陸軍の機械化部隊が国境の都市を急襲するのを、空中から援護することを確認する。それ以上の大規模攻勢はとらないことも合意した。


 細部の検討は各々の部下に投げることとして、検討が済んだあとに何気ない雑談の中でグラツィアーニは気になることをバルボに訊ねた。

「貴方はどうして今夏以後に参戦を引き伸ばせると考えたのだ?」

「三軍連絡会議でグラツィアーニ元帥の言ったとおり、ドイツのフランス侵攻は時間がかかると踏んだからです。大方の見方に従ったまでで。

 参戦派は勢いはいいが、結局のところドイツの顔色をうかがっているに過ぎない。だから統領を焚きつけたとしても趨勢が決まるまでは決定的な開戦圧力にはならないだろう……と考えています」


 グラツィアーニは言うべきかどうか、しばし迷った。

 大方針として、統領の前で語ったことは自分の本心であり、陸軍の総意であった。しかしあの場で語らなかったこともある。

 悩んでいたのは数秒もなかった。グラツィアーニは決断する。

 統領に語ったことは、のこの男にも伝えておくべきだ。


「実はあの場で統領が語らなかったことがある。

 例のドイツかぶれの作戦将校の報告した図演結果では、三ヶ月でパリを陥落させるパターンもあった」

「まさか」

 バルボの驚愕に、グラツィアーニは少し説明を加えた。

 ドイツ軍のポーランド侵攻の際、ヴィスワ川沿岸湿地帯を突破したドイツの機動工兵の戦訓を盛り込んだ検討の結果だという。

「アルデンヌ。

 低地諸国とマジノ線の間隙にあるそこを、もしもドイツの機動工兵が突ければ、前線に雪崩れ込むドイツ軍の戦力は数倍に達する。

 もっとも、アルデンヌにあるのは湿地帯だけではないから、可能性は薄いんだが」

 だからこそ統領も、あの場で語ろうとしなかったのだろう、とグラツィアーニは締めくくる。


 その言葉にバルボも表面上は安堵するがしかし、内心で不安が高まるのを抑えられない。

 バルボには現代陸戦のことなどほとんどわからない。

 統領も触れなかったのだから、あくまでも想像の一つに過ぎない、というのは間違いないはず。

 それなのにグラツィアーニの示した、ルクセンブルグ−フランス国境線とマジノ要塞の間の森林湿地帯を示す斜線が、どうにも不吉なものに思えて、頭の片隅にこびりついてしまうのを否定できなかった。



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