第19話
1940年3月末。
ヴェネツィア宮殿に三軍大臣・参謀長会議が招集された。
出席者は
統領 兼 陸軍大臣 兼 海軍大臣 ベニト・ムッソリーニ
<暫定>空軍大臣 兼 空軍参謀長 イタロ・バルボ
海軍参謀長 ドメニコ・カヴァニャーリ
陸軍参謀長 ロドルフォ・グラツィアーニ
の四人。
各々スタッフを伴わない秘密会議である。
円卓を囲み、会議内容の備忘を取ることも禁止されている徹底ぶりだった。
統領の参戦意欲はずっと変わっていない。
今日の会議は参戦がいつになるのか、その表明だとバルボは踏んでいる。
今更それをとめられるはずもない。
バルボが目指すのは、その時期を少しでも遅らせることだった。
「諸君らは本邦が戦争準備を完了するのは43年まで待たねばならない、と言った」
統領はいつもどおりのよく通る声で言う。
「みなその道の専門職であるから、それは事実であると受け止めている。
まれに報告と実態の乖離があることもあるようだが」
統領はバルボの方を見ながら言う。反論の余地はない。
権力闘争の一環として周囲を追い落とすために、空軍の戦力を水増しして大規模に拡張したかのように吹聴したことは一度ならずあった。
それを指摘することで、統領は軍に全幅の信頼をおいているわけではないことを匂わせ、続ける。
「しかしそれは、あくまで英仏が諸君らの見立どおりの戦力・兵備・規模であった場合に限られる話と思う。
陸軍参謀長。
君のところの最新の情勢分析を見た。この戦争が始まってからの英仏の増勢は、当初の想定を下回っているそうだな?」
「はい。しかし統領…」
「海軍参謀長。英仏海軍はどうか」
「駆逐艦以下の増勢はおおむね予想どおりと推定されます。大型艦の建造計画の動きが若干鈍いようですが」
統領はグラツィアーニ元帥の弁明をさえぎり、カヴァニャーリ提督に水を向けた後、最後にバルボを見つめて訊ねた。
「空軍大臣」
前もって釘を差したのはここでごまかさないよう牽制したのであろう。バルボは観念してじっさいの動きを伝える。
「フランス空軍の増勢は低調です。頼みの綱はアメリカから購入する機体ですが、これも劇的に状況を改善するほどの勢いではありません。
イギリス空軍はそれに比べると良好な状態でありスピットファイアの量産が軌道に乗っています」
「ふむ。では、軌道に乗ったその量産体制は、事前の大臣らの想定を上回っているか?」
「いいえ。想定をやや下回るペースです」
三軍の長に尋ねた答えをすべて引き出し、統領は笑みを浮かべる。
「どうやら時間は我々の味方のようだ。
経済省庁・
彼はもたつき、我は追い上げている。
いずれかのタイミングで事を起こすべきではないかな」
その数字もウソだ、そう言いたいのをバルボはぐっと耐えた。統計を弄ることをグイド・ユングに罵倒されたときのことを思い出し、忠告は厳に受け止めねばと痛感する。数字を都合良く用いるのは自分だけではない。
三軍の長の沈黙を見て、最高司令官たる統領は続ける。
「そう、たとえば。
ドイツのフランス進攻が来月と仮定しようか。
それに合わせるのはどうだろうか」
「無理です」
即答したのはグラツィアーニ元帥だった。
「師団の充足率がまったく足りません。一部部隊は銃火器はおろか、被服にすら事欠いております。これが充足されるのはせめて半年は必要です」
「充足している部隊だけでいいのだ、元帥。
ドイツのフランス攻撃を支援さえ出来ればいい。
裏口から忍び込んで、フランスの膝を折ってやるだけだ」
近頃の王侯貴族の周辺で盛んに喧伝されるようになった論調だった。まやかし戦争が続いて戦禍の危機が薄れ、フランスに対する警戒感が低調になったことで、当初は軍とともに避戦を主張していた王室・貴族らの一部から統領の参戦論に鞍替えするものが増えつつある。
その背後には当然のようにドイツの工作があるのだが、それを統領に指摘するものはいない。統領もそうしたドイツの工作を知った上で自説の補強として用いていることは明らかだからだ。
『仮定』と称している開戦時期も、統領はより具体的な時日をドイツから伝えられているのだろう。
グラツィアーニを諭すムッソリーニに対し、バルボは助け船を出す。
「空軍としても、ドイツの進攻と共同歩調での参戦には同意いたしかねます」
「何故かね」
「爆撃機が足りません。現在生産体制の再編のために、爆撃機の生産と更新を停止し、戦闘機の生産を増強しているのです」
「大臣が生産体制の再構築を進めているのは知っていた。その過程で爆撃機部隊も幾つか潰しているな?」
責めるムッソリーニの眼光をバルボはまっすぐに跳ね返す。
爆撃機への偏重はこの国の確固たる空軍大戦略の柱だ。一時的にという釈明付きでも、爆撃機部隊の縮小に踏み切ったバルボはそれだけで罷免に値しかねない。
「戦闘機部隊へ転換中です。SM.81ではまったく英仏には歯が立たないのは明白ですから。
爆撃機は制空権あってこそその威力を発揮します。
制空権の奪取には戦闘機が不可欠なのです」
バルボの言い分はそれはそれで筋が通っている。なにより旧式化した爆撃機が有効打となり得ないというのは厳然たる事実で統領も黙らざるを得ない。
しばらく黙って睨み合った二人だったが、先に視線を外したのは統領だった。ニヤリと笑い呆れ顔になったあとでそうした統領は、カヴァニャーリ提督の意見を求めた。
提督も即時の参戦は回避してもらいたいと答える。改装戦艦と新戦艦の就役が7月以降ならば間に合う、これで地中海のイギリス艦隊へは対抗可能となる、と。
「諸君らの主張はわかった。
しかしそれではドイツのフランス侵攻作戦には間に合わんのではないか」
ひとまずの危機を脱したと安堵したグラツィアーニ元帥がそれに応えた。
「ドイツのフランス進攻についてはなんどか図演を行っております。
低地諸国から迂回侵攻すればマジノ線に拘束されるのを回避できますが、この方面の諸国の機械化は進んでいますし、
ポーランドを落としたときのように早急に決着がつくということはありえないでしょう」
したがって、陸軍としてはドイツのフランス進攻が来月に壮挙されたとして、フランスの攻略には半年以上かかるだろう、との見通しを示す。
その上で、ドイツの進攻最終盤の五ヶ月目以降ならば、陸軍の一部部隊が国境を超えてフランスに侵攻することも可能であると認めた。
けっきょく、統領はバルボらの主張する参戦時期を夏以降とすることに同意した。
説得できたことに安堵するバルボだったがしかし。
(皆は気にならないのか)
統領がなにか体調に変調をきたしているらしいことを察知したのはバルボだけのようだった。
他の幹部と違い、しばらくイタリアを離れ、統領ともあっていなかったからこそ気づけた統領の体調の変化に敏感だったのかもしれない。
統領がこころなしかいつもより穏やかに方針の修正を受け容れたことに関して、バルボは統領がなにかしらの病気の影響を受けているのではないか、と懸念したもののそれを口に出すことはしなかった。
気のせいかもしれないし、なにより。
今年の夏、と参戦時期が固定されたことのほうが、バルボにとってよほど大きな懸案事項だったからだ。
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