第7話
バルボが打ちひしがれていたのは一晩だけだった。
翌朝には大使館員の尻を叩いて、手当たり次第に日本の航空メーカーと会談の予定を組ませた。
もっとも熱心に交渉した相手はもちろん、ジロウの三菱重工だったが、まずは会談の要請に応じた川崎重工にバルボは足を向けた。
(期待はしていなかったが)
バルボはここでも予想を超えた日本の航空産業の発展ぶりに目を見張る。
内心の驚きを気取られないように、接待する川崎の担当者と通訳に豪快に笑いかけてみせるが、どこまで誤魔化せたか自信がなかった。
そもそも日本人はいつもうっすらとした笑みを浮かべていて表情が読みにくい。
(それにしても)
気にしても仕方のないこと、とバルボは切り替えて、眼前の光景に集中する。
川崎の主力工場に比べると規模も小さく設備も旧いらしいが、それでもイタリアの大半の航空メーカーのそれを上回る規模の生産ラインが、粛々と飛行機を組み立てている。
流れている機体は「九八式軽爆撃機」という旧式の機体だと説明を受けたが、大柄な単発機の胴体に工員が群がって、見る間に翼と結合されて組み上がっていくのは壮観だった。
「完成機を日産で三機、その目標でラインを動かしています」
「月に70機といったところか?」
「非常時ゆえに無休体制で組んでおりますので、最大90機の生産が可能です。
甚だ不十分ですが、現在の本工場ではそれが限界です」
日本は今まさに戦争をしているから、というのが大きいのかもしれないが、それでも自国との飛行機生産力の懸絶具合に目眩がする思い。
飛行機の性能も、生産能力も。
質・量ともに
日本でこの有様ならば、
ドイツが戦争を仕掛けた現在、イギリスも戦時体制に移行しているはず。
あの国の国力ならば、こんなもので済みはすまい。数倍? あるいは数十倍?
とにかくより大規模で容赦のない生産力を誇ることは想像がつく。
バルボはあらためてドイツ人に引きずられていく祖国の先行きに暗澹たる予想を立てざるを得なかった。立場上も、内心の思いでもぜったいに認められないが、戦争になれば、イタリアはおそらく(間違いなく)敗ける。
少なくとも、日本に追いつく程度の体制を構築しないかぎりは参戦など夢にもありえない。
バルボはこの時、質と量とで日本の水準を一つの目標として捉えていた。
12試艦戦と川崎の岐阜工場を見たあとでは、イタリアがその二つで日本に劣るということは認めるのにやぶさかではなかったから、そこを改善するというのは抵抗なく受け入れられる目標だった。
しかし、バルボの自負が砕かれるのはそれで終わりではなかった。
「あれは?」
工場の管理社屋に向かう途上、送迎トラックの荷台から鼻先のツルリとした複葉機を目にしたバルボは隣の男に尋ねた。
「キ10の三型ですな。キ27には敵いませんでしたが470km/hは出ます。
速度は同じくらい出せても他が届かなかった」
「470km/h!」
バルボにとってもっとも意外だったのは、日本機の速度が想像していたよりもずっと速かったことだ。前もって知るかぎりでは日本のエンジンはイタリアのそれと大差ないもので、大出力のエンジンを欠いていた。
にも関わらず、イタリア機よりも低出力でより高速を達成している機体が少なくない。そのカラクリが防弾装備を省いたことによる軽量化の恩恵だとしても、日本機のほうが全般に優速というのは事実。
470km/hはR計画最初の採用機であるフィアットG.50のそれと大差ない。
複葉のフィアットCR.42よりは明らかに優速だった。
そんな超高速複葉戦闘機であるにも関わらず、試作機止まりで終わったという。
イタリアではありえない。速度でG.50と肩を並べ、格闘性で圧倒するような機体を生産しないなど、操縦士たちがそれを許さないはずだ。
「横転ではいかなる単葉機も敵ではありませんが、縦の機動で敵わない以上、量産しても意味がないですからね」
そうため息を吐く川崎の技師を前に、バルボはついに天を仰いだ。
イタリア空軍は同じ結論に達しながら、それでもなお複葉戦闘機に固執しCR.42を量産することを決定してしまっている。
他ならぬバルボ自身が、空軍大臣としてその要求を受け容れたのだ。
用いている機材の能力、その戦力の規模だけではない。
空軍戦力の運用の構想力そのものさえも、従前の戦闘法の踏襲に流れて顧みないイタリアは、日本に劣っている。
何もかもダメだ。
バルボはその日の見学と会談を終えると、すぐに大使館に戻り、寝台に大の字に伸びてしまった。
数日のうちに打ちのめされることが続いて、ぜんぜん動けない。
何をどうあがいても上手くいかない時には酒でも呑んで寝るに限る。
そう開き直ってバルボは床についた。
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