第6話

 バルボは飛行場に帰ってきたあとの面々の反応を見れば、演出の効果は抜群であったと実感する。

 着陸したSM.81改から降りてくる人々がみな、飛び立つ前とは様子が一変していることに出迎えた者たちが戸惑っている。


 それはそうだろう。

 イタリアを代表する航空機メーカーの重鎮・主力技師が、一人の例外もなく打ちひしがれているのだ。

 いちばん最後に降り立つバルボに全員の視線が集中するが、バルボは黙って満面の笑みを返す。


 笑みを浮かべて集まった人々を見回しながら、バルボは内心で呟く。

―――諸君の衝撃など、俺の日本で受けたそれとは比べ物にならんよ。



 * * *


 日に日に薄れる帰国の望みが完全に砕かれた去年の9月。

 バルボは荒れていた。

 東京の大使館で日々の不自由はないが、やることがない。

 連絡大飛行の成功直後は引きも切らなかった歓迎の宴席の誘いも、中国との全面戦争の時勢柄か、ここのところは殆どなかった。

 噂話として耳に入ってくるかぎりでは、戦争の具合がだいぶ良くないらしい。公的に接することのある役人も軍人も口では威勢のいいことを言っているが、天津租界の方から上がってくるイタリアからみた戦況も(うわさ話ほどではないが)芳しくない様子。

 本国の冷遇の憂さ晴らしをしようにも、友邦の友人たちもなかなかに辛気臭い状況では誘うのも気が引ける。

 そうした次第でバルボは(本人の性格からはおよそ信じられないことに)出不精になり、大使館内で暇を持て余して酒を飲んでは気心のしれた職員や駐在武官に絡んで八つ当たりをするというきわめて不健全な生活を送っていた。


 そうしたバルボの惨状を見かねたのか、或いはただの偶然だったのか。

 初秋のある日。

 バルボは歓迎の宴席で知己を得た朝香宮孚彦王に、東京郊外の陸軍飛行場での試乗に誘われた。


「空の英雄がいつまでも地べたでのそのそしているのは不似合いだ」


 そう言って孚彦王が乗せてくれた飛行機の一つが、日本海軍の12試艦戦だった。

「海軍にもコネがあるんでね」 

 孚彦王はそう言いながら、試作機がいくつか並ぶ中で、スマートな複座機を示し、その前席にバルボを導いた。

 その飛行機―――どうやら12試艦戦の試作機の1機を、複座仕様に改造したものというのは後で知った―――にバルボは新鮮な驚きを感じた。

 日本人の作る飛行機が思ったよりもずっと優れていたからだ。

 バルボが乗ってきたサボイア・マルケッティSM,79改造長距離機に群がるようにして集まった日本人たちに質問攻めに遇い、さかんにその機体の優秀さを褒められたバルボは純粋に、日本人よりも自分たちのほうが優れた飛行機を作っていると自負していた。

 この時代の西欧人としてはごくごく当たり前の感覚である。

 むしろ、孚彦王の許しを得て、自ら操縦桿を握って機体を一通り操ってみた後に

(僅差ではあるが……コイツはR計画のどの戦闘機よりも優れているかもしれない)

 そのように認識をあらためたバルボは、かなり開明的な姿勢の持ち主と言えた。


 そんなバルボの反応に気を良くしたのか、孚彦王は別の試作機を用いた単独飛行をも許してくれた。何者かが反対して孚彦王と揉めているようだったが、バルボは気にせずその機体に乗り込んだ。

 主翼や機体後部が12試艦戦の複座型とはだいぶ形が変わっているが、これも同じ12試艦戦らしい。

 複座型を乗り回しているときから、正面から見て緩いW字型を描いた主翼、逆ガル型の主翼が気になっていた。やたら格好がいい。

 猫背気味に盛り上がった背中に埋め込むように設置された操縦席はいただけないが、複座型より抵抗が少なく、速そうな印象を受ける。


 操縦席の作りは複座型とまったくの同一であったため、バルボは難なくその機体を離陸させることが出来た。

 複座型もそうだったが、とにかく操縦しやすい。なんの不快も不安もなく飛ばせる愉快な機体だった。しかも今は一人で飛ばしているのだから痛快だった。

「地べたでのそのそしているのは不似合い」だと孚彦王は言っていたが、そのとおりだ。こうして空を飛んでいると地上の煩わしさがすべて溶けてなくなるようだった。


 しばらく開放感を味わったのち、バルボは機体の無線機に飛行帽のヘッドセットのコードを接続する。ずっと呼びかけ続けていたのか、地上からの声がすぐに耳に響く。

「聞こえている」

 バルボはさかんに応答を促す英語に一言だけ応えた。無線が通じたのに気づいた地上側が一度沈黙した後、大声で言った。


「すぐに降りなさい! それは日本国の財産です」


 どうやら通話先は、孚彦王と揉めていた相手らしい。バルボが何者かも承知しているようだった。バルボは小さく笑う。


「せっかく飛んだのだ、もう少し乗っていたい。腕に覚えはある」

「大臣が名パイロットであることは知っています。

 しかしそれは貴重な試作機です。壊されてはかないません」


 言うじゃないか。カチンと来たバルボはやや不機嫌に応えた。


「試作機は他にもあるだろう。さっき乗ったやつも含めて。

 なんとなれば、テストを一つ消化してやってもいいぞ。

 ……ロートルのイタリア人が飛ばしたくらいで壊れる玩具でないのであればな」

「……では水平最大速度のテストをねがいます。大臣。

 イタリアの方には未踏の速度になりますゆえ、身の安全は保証いたしかねますが」


 バルボは返事代わりに飛行場の展望塔を掠めてみせた後、スロットルを全開にした。

 生意気な日本人め。その目を思い切り開いて見届けるがいい。


 * * *


 12試艦戦1号機から降り立ったときの思いはいまでも忘れられない。

 うっかりすると、悔しさが不意に蘇ってくることもある。

 それでも降りたその時はまだ余裕を装うことが出来ていたはず、とバルボは思い返す。


「……ジロウと言ったな、若いの。いい飛行機だ」

「恐縮です。大臣も無事でなによりと思います」

 12試艦戦の設計技師は蒼い顔を引き攣らせながら笑みを浮かべて皮肉を言った。バルボにそれを捉えてからかう余裕はなかった。


 その設計技師の言葉どおり、12試艦戦があらゆる意味で「イタリアには未踏」の性能を有していることを、文字どおり身に沁みて思い知らされていたからだ。

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