絶望的な現実
「――……魔物が、大量に? しかもこのままだと、里に……?」
ヴィクトルに足止めされる形となったクラースが進んでしばらく。
ようやくリヒトと合流する事になったクラースは、リヒトから魔物の大量発生と、このままでは里に向かってくる可能性を聞かされてしばし動きを止め、ようやくといった様子でゆっくりと口を開いた。
そうして動揺を顕に問い返すクラースに、リヒトは動じる事もなく小さく頷きを返す。
「うん。だから、クラースはこのまま里に戻って、オババに報告してほしい。僕はこのまま罠を設置しながら足止めできないか試すから」
「な……っ、一人で対応できるのか?」
「……せいぜい数を減らして、足を遅くするぐらいが関の山だろうね。アレを全部倒しきるのは厳しいと思う」
「だったら俺も――ッ!」
「――クラース」
自分も一緒に戦う、と。
そう告げようとするクラースに対し、リヒトが鋭い視線を向けつつ声をかけて制止し、首を左右に振ってみせた。
「視界に入れば、きっと魔物が一斉に襲いかかってくる。倒してもキリがないような数なんだ。そんな数と離れた位置から戦えないクラースに、できる事はないよ」
「っ、けどよ……ッ!」
「クラース。キミまでトゥーラさんを残して命を落とすつもりかい?」
「そ、れは……」
――さすがにこの言い方は卑怯だけど。
そんな風にリヒトは内心で呟きつつも、真っ直ぐクラースに目を向けたまま続けた。
「トゥーラさんは僕にとっても母親代わりの大事な人だからね。そんな人をまた一人で残すなんて、僕も許せそうにないかな」
「……それを言うなら、お前だって大事な家族みたいなもんだろ」
「屁理屈はいらないよ。クラース、キミは僕とは違う。僕とは違ってトゥーラさんに対して踏み込んだ。かつて夫を亡くしたトゥーラさんもまた、キミを受け入れた。そんなキミがかつての旦那さんのように命を落とすなんて、あってはならない事だ」
トゥーラの夫、そしてアニタの父親がどんな男性だったのか、リヒトはまったく記憶にない。ただ、そんな夫が命を落としてしまった事に、トゥーラが夜な夜な一人で涙を流していた事はリヒトも、そしてクラースも知っている。
そんな悲劇を知りながらも想いをぶつけたクラースが、もしもかつての夫と同じ悲劇を繰り返してしまえば、トゥーラの心は今度こそ壊れてしまうだろう。
故に、リヒトはクラースに無慈悲に続ける。
「さっきも言った通り、あれだけの数を前にキミにできることはないんだ。僕もさっさと動いて色々仕掛けたいから、押し問答に応じていられる程ヒマじゃない。クラース、里に戻って一刻も早く状況を伝えてほしい」
「……俺は、お前の力にはなれないか?」
「うん、なれないね。むしろ邪魔」
「……ははっ、ひでーな」
「事実だからね」
クラースとて気持ちの区切りがついたのだろう、リヒトの容赦ない言葉に乾いた笑みを浮かべつつも、ようやく顔をあげてみせた。
「分かった。リヒト、俺はどう伝えればいい?」
「魔物の大群が列をなして里に向かってきている。このまま何もしなければ半日程度で里に到着してしまう。なるべく僕も足止めか、数を減らすか試せるだけ試してはみるけど、あまり効果は期待しないでほしい。里を命懸けで守るのか、里を捨てて避難するかを判断して、すぐに行動してほしい。そのどちらか以外に選択の余地はないってこと。迷ってる時間も惜しいぐらいだ、と」
酷な選択ではあるが、それ以外に道はないだろうとリヒトは思う。
魔物の数は、おそらく万には届かない程度だ。
だが、その一匹一匹の魔物の強さは、この里の周辺に出てくる魔物と遜色がない。
そんな魔物が数十ならまだしも、数百というだけでも厳しい戦いになるというのに、数千にも及ぶ数が蠢いて向かってきているのだ。
現状、悠長に検討を重ねてどうにかできるような余裕は一切なかった。
「……命懸けなら、守れると思うか?」
「……あの数をそのまま素通りさせたら無理だろうね。だから、僕がどうにか数を減らす。上手くいけば里に進むルートから外す事もできるかもしれないけれど、そっちについてもあまり期待はしないでほしい」
「絶望的、って訳か……」
「気休めを口にする程の余裕もない程度にね」
重い沈黙が、その場を支配した。
クラースはリヒトをよくよく理解している。
リヒトはわざわざ物事を大きくして口にするようなタイプではなく、ただただ純然たる事実を口にするような人間だ。
そんなリヒトが気休めを口にする程の余裕もないと言うのであれば、それは紛れもなく事実であって、どうしようもない現実なのだとクラースは理解する。
そして、そんなリヒトが言う以上、自分がフォローしようとしても意味もないだろうと理解する。
「……くそったれ……」
ダンジョンに潜り、『
その力をもっと磨いて遠距離攻撃に特化させて伸ばしていれば、もしかしたらリヒトと一緒にどうにかできたかもしれないというのに、と後悔が押し寄せる。
自分の戦いは当術を用いた近距離戦だから、と距離の離れた場所への攻撃は、大して磨こうとしなかった。
トゥーラと結ばれて、春になるまではゆったりと過ごそうと、そんな悠長な事を考えて実行してきた自分に、憤らずにはいられなかった。
胸の内から込み上がる己の愚かさに対する憤りをどうにか噛み殺して、クラースは絞り出すように告げた。
「……分かった。……死ぬなよ、リヒト」
「クラースこそ。……アニタに、よろしく」
「――……っ、あぁ……」
リヒトの小さな一言。
その一言に息を呑んだ様子で、けれどそれ以上何も言わず、クラースが里に向かって駆け出す。
その後ろ姿を見送って、リヒトは再び魔物の行進が続いているであろう谷に向かって、木々の枝へと飛び乗った。
――きっと、僕は生きて帰れないだろうな。
そんな事を考えながら、リヒトは森の中をひたすら突き進んでいく。
魔物の群れ。
十一年前――正確には、もう年は明けたのだから十二年前になるが――に現れたのは、強大な力を持った魔物であったが、今回の魔物の群れは見覚えのある魔物ばかりで、特別な強さを有した強大な魔物は見当たらない。
少ない数が相手ならばいくらでも対処できるであろう事は間違いないが、しかし群れとなるとその脅威度は跳ね上がる。
いくら術における天才と言えるリヒトとて、そんな群れをたった一人で食い止められるとは思っていない。
ただただ生き残りたいというのなら、即座にクラースを連れて里に戻り、共に里を捨てて逃げてしまうという選択肢がなかった訳ではなかったのだ。
しかし、リヒトはその選択を捨てた。
――里の状況を考えれば、防衛も避難も、どちらに転んでも苦しい未来が待つ。
あれだけの数の魔物を里で受け止めて防衛するというのは、まず無謀だ。かと言って、生活の基盤を捨てて生き永らえる事を選んだとしても、犠牲は多くなるだろう。
里の外、道なき道を進んでいる最中に、魔物の襲撃から全てを守れるだけの男衆もいないのだから。
それに加えて、里を捨てて食糧不足という問題も発生すれば、多くが命を落とす事になるのは自明の理というもの。
それでも生き残る為には、里に到着する前に数を減らし、群れを散らす必要があった。
一つの巨大な群れのままでは、防衛も避難も未来はない。
里と距離がある内に仕掛け、群れを瓦解させる事ができれば。大挙して押し寄せる魔物の群れじゃなく、散発的に襲い来る程度であれば、クラースや他の男衆でも対応できる可能性は跳ね上がるだろうと、そう判断した。
そしてそれを可能にできるのは、離れた位置から術を発動できる自分だけ。
自分が、罠と攻撃でどうにかするしかない。
そういう結論に至ったからこそ、リヒトが逃げる訳にはいかなかった。
故に、リヒトは駆け続ける。
震えそうになる身体を無理やり押さえつけるように力を込めて。
逃げたくなる心を戒めるように、思考を放棄して。
そうして再び、リヒトは崖まで戻ってきて。
口元まで覆っていた首巻きを外し、ニィ、と無理やり口角をあげて笑ってみせた。
「――さあ、殺し合おうか」
術符を乱暴に手に取って、リヒトは眼下の魔物の群れと並走するように駆け出した。
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