腰巾着




 クラースと別行動を取る形となったリヒトは、目につく大樹の樹洞を見つけるなり、その中に術符を設置しては再び森の中を進んでいく。


 見かける魔物に棒手裏剣と術符を投げつけ、時には接近して喉元を斬り裂いて術符を貼り付け、数秒後に爆発させてと素早く進んでいく様は、正面から斬り合う里の戦士達とは全くと言って良い程に異なる、むしろ暗殺者にも近い動きに見える。


 影を纏って己の気配を虚ろなものにして、身に纏うぼろぼろの装束。

 他者から見れば、まるで幽鬼が森の中で生命を蹂躙しているかのようにも見える。


 魔物を屠って快調に進んでいたリヒトが、とある崖に差し掛かった木の枝の上でぴたりと動きを留めた。


 ――……これは……。

 基本的に無表情を貫きがちなリヒトにしては珍しく、その目を瞠ってリヒトは息を呑んだ。


 ちょうど森の切れ目、咄嗟に身を隠すように地面に寝そべり、顔を出したリヒトが見たのは、眼下の崖下に広がっていたのは蠢く黒。

 大地を伝わって響いてくる大量の足音は地響きのように低く唸っている。それらを身体で感じつつ、リヒトはようやく眼下を蠢く黒が、大小様々な見た目をした魔物たちである事に気が付いた。


 ――……魔物の群れ……。しかも、種族もばらばらなのに争わずに真っ直ぐ進んできている……?

 遠巻きに見えるその光景に息を呑みつつ、リヒトは必死に思考を巡らせていく。


 魔物は同族以外では殺し合う。

 食うか食われるか、命を懸けて殺し合うのも自然の摂理だ。

 そんな弱肉強食の世界で、魔物が別種のものと協力し合うような、ましてや行動を共にするような光景をリヒトは見た事もなかった。


 一団となって進む魔物の群れが向かう先は、崖を越えられるルート。


 緩やかな勾配を登りきれば、その先にあるのは――里だ。


 そんな結論に至ったところで、すぐさまその場を離れようとして――しかしリヒトは動きを止めて、一つ深く深呼吸した。


 気持ちにゆとりがなくなれば、視野が極端に狭まってしまうという事をリヒトは理解している。

 幸い、このまま真っ直ぐ進むルートで里に向かったとしても、魔物の群れの行進速度から考えても、およそ半日程度の猶予がある。急ぎ里に報せるべき状況とは言っても、一分一秒を争う程に切迫した状況ではないと言える。


 対魔物用結界も眼下の全ての魔物に効果があるとは思えないが、それでも周辺からもやって来て、いざという時に挟撃されるような状況は避けたい。

 音を立てないようにそっとその場を離れたリヒトは、後進速度をある程度計算しつつも術符の設置に向かって崖沿いに何度か行き来しつつ様子を見る事にした。






 一方その頃、クラースはリヒトの言う通り里を中心に南を回って西方面へと進んでいた。

 罠用としてリヒトに渡された術符をしっかりと樹洞や岩の間に設置しながらも、早歩き程度の速度を保ち、悠然と森の中を進んでいるように見える。


 必要以上の戦いは行わない。

 ただ向かってきた魔物だけを、太刀で撫で斬りにして悠々と進んでいく。

 リヒトの戦い方は暗殺者のそれに見えたが、クラースの姿はまるで風に揺らめく木の葉のように自然に受け入れ、受け流すように魔物を屠っていく。


 リヒトに比べて緩慢とした余裕を持った動きに見えるが、クラースは里の戦士達に比べれば近距離から中距離で自分に向けられた殺気や気配には敏感な方だ。

 そんなクラースであっても、単独でリヒトのように高速移動を行うとなると、どうしても気配を見落としてしまう。


 リヒトがいるからこそ、木々の枝から枝へと次々に飛び移るようなペースで進む事ができていたのであって、こうして足早に足を止めずに進むクラースであっても里の常識に比べれば移動ペースはずいぶんと速い方ではある。ただそれが、リヒトのそれに比べてしまうと劣って見えてしまうのだが。


 ――……しかしまあ、ずいぶんと多いな、と。

 また一匹の魔物をすれ違うように撫で斬りにして、クラースは周囲を見回した。


 長い冬を越えて春も近く、確かに魔物の動きが活発になる頃合いではある。

 冬眠から目覚め、飢えた魔物たちは己の領域を越えてでも食糧を探して奔走する傾向にあるため、この時期は魔物の動きが活発になるものだ。


 しかし、今年はどうにもおかしい。

 そもそもまだ本格的に冬眠に目覚めないはずの魔物の姿もある上に、どの魔物もまるで我を忘れているかのように単調な動きで突っ込んでくるのだ。


 先程、リクハルドやアルノルド、クレトやルカといった面々が戦っていた狼型の魔物は、まだ理性的というべきか、群れとしての狩りの行い方をしっかりと保っていられる程度に頭も良かった。

 だが、元々群れない性質の魔物達に至っては、何も考えずに大口を開けて食らいつこうと襲いかかってくるものばかり。


 あまりの殺意の高さに里の戦士達であっても尻込みしかねない姿ではあったが、クラースにとってみれば知恵もなく突っ込んでくるなど、己の領域に踏み込んできてくれる格好の的でしかない。屠るのは容易かった。


 しかし、その魔物の表情、そして瞳孔が妙に広がっている姿。

 それらは飢えているというよりも、もっとおかしな何かに突き動かされ我を忘れているような、そんな気がしてならなかった。


 ――……何が起きてやがるんだ?

 妙な胸のざわめきを感じながらもクラースは南側を経由して、西へと向かう。


 そうしてしばらく進んだ頃。


「――クラース」


「あん? ……なんでアンタがここにいる、ヴィクトル」


 声をかけてきた若い男。

 色白の肌に細い身体。ぼさぼさの黒髪の男。そしてラディムと同い年でよく行動している人物であるヴィクトルがこんな場所にいる事に、思わずクラースが訝しげに眉間に皺を寄せて訊ねた。


 ラディムという男の評判が地に落ちている事も、そして自分クラースやリヒトを快く思っていない事もクラースはよくよく理解していた。

 そんな男の相棒――否、腰巾着とも言えるような存在が、誰もいないはずの里の外、しかも男衆の若い班と行動を伴っていない、たった一人で佇んでいるのだ。警戒しないはずもなかった。


「ふ、ふふ、そう警戒するな、と言っても無理な話か」


「当たり前だ。俺はあんたを信用してない」


「……フン、そうだろうな」


 失礼な物言いに激昂するでもなく、ヴィクトルは自嘲気味に鼻を鳴らしてみせると、真横にあった大樹に背を預けて寄りかかりつつ腕を組んでみせた。


「なあ、クラース。俺に組む・・気はないか?」


「は?」


 唐突に告げられた言葉。

 クラースには、ヴィクトルが突然何を言い出したのか、その意図がまったくもって理解できなかった。


 ヴィクトルと言えば常にラディムの隣にいて、ラディムの味方をしてきた男だ。

 あまり口数も多くなく、ラディムと口論を繰り広げる事もなく、唯々諾々と従っているような、そんな印象の男であった。


 そんな男が、突然自分の下につかないかと問うてきたのだ。

 困惑するのも無理はなかった。


「……どういう風の吹き回しだ? アンタはラディムの味方だろう?」


「今まではそうだったな。いや、そうするしかなかった、というところか」


「……どういう意味だ?」


「確かにラディムの性格は最悪の部類に入る。女衆から毛嫌いされ、疎まれ、男衆の中でも孤立している。けど、アイツは確かに力があった。お前は知らないかもしれないが、狩りに出ている男衆にとって、力ある者の言葉はお前が思っている以上に大きな影響を齎すのだ。それは狩りだけではない、里での暮らしにも影響が生じる程に」


 確かに男衆にとって、力とは分かりやすい指標になる。

 力を持つ者が尊ばれ、里に貢献していると見られやすい。また、力がある者に守られた、救われたという経験がある者も多くなるため、必然的に力のある者は周囲から信頼されやすくもなる側面はあった。


 分かりやすい例がリクハルドとアルノルドの二人だろう。


 個の力ではアルノルドが圧倒的に上であるが、そんなアルノルドがリクハルドをトップに相応しいと押し上げているのは周知の事実だ。

 故に他の男衆もまた、アルノルドを慕いつつもリクハルドを敬い、団結して一つになっている。


 当然、そういった信頼は里での暮らしでも表に出る事はあるだろう。


「……なるほど? だから、アンタはラディムと一緒にいた、と言いたいのか?」


「そうだ。俺はラディムと同い年だ。アイツが最初に〝自分と並び立つであろう敵〟として認識したのは、他でもない俺だった。だが、俺はアイツ程の刀術の才能はなかった。だからこそ、俺はアイツにつくしかなかったのさ。俺がもしも他の者の下につけば、どうなったかは想像できるだろう?」


 ヴィクトルの実力は、なんとか男衆として魔物狩りに出られる、という程度のものだ。

 ラディムに比べればその実力は低く、クレトやルカといった若手と同等か、或いはそれよりも劣るというのが正直なところだ。


 そんなヴィクトルが、ラディムから距離を取るように他の者の下につくとなった時、お世辞にも、ラディムがそれを快く送り出すとはクラースにも思えなかった。


「……まあ、ラディムが無駄に騒ぎ立てるか、突っかかるぐらいはしただろうな」


「そういう事だ。アイツはもともと、自分にとって耳障りのいい言葉を口にする存在、敵にならない存在を贔屓する節があった。俺が他の男衆につけば、敵になるかもしれない存在として俺が目の敵にされていただろう。だったら、ラディムの傍で何も言わずにいる方が賢い選択だとは思わないか?」


「ラディムの矛先から逃れる為に、か」


「あぁ、そう、そうだよ。そうしてずっと待っていたのさ、アイツを圧倒できる力の持ち主が現れるのを。それがお前だよ、クラース。俺はずっと待ってたのさ、ラディムを、アイツをあっさりと越えてしまう、そんな人材を」


 熱に浮かされたように告げるヴィクトルを前に、クラースは目を眇めて視線を向ける。

 するとヴィクトルは、クラースも話を聞く気があると判断したのか、嬉々として得意げな様子で続けた。


「クラース、俺はお前の実力を買っている。ラディムはお前を警戒し、排斥したがっているようだが、俺は違う。強者には強者に相応しい立場を用意するべきだと考えている」


「……排斥? ラディムが俺をどうにかしようってのか?」


「アイツはそういう男だ。自分が一番になる事だけに固執し過ぎて、大局を見ていない。すでに大人の仲間入りを果たしたお前という存在を、まだ自分でどうにかできると思い込んでいる。――だが、俺は違う」


「……なるほど。それで、お前についてどうなるってんだ?」


「お前をしっかりとトップとして支えてやるよ。なに、俺がいれば他の若い男衆だって言う事を聞くさ。何せ俺はラディムが暴走しそうになる度に、色々と止めてやってきたからな。他の男衆にしっかり恩を売ってある。そんな俺がお前を推せば、誰も文句なんて言わないはずだ。なあ、クラース。男衆のトップになりたいだろ?」


 確かに、クラースもヴィクトルがラディムを止めているという話は聞いた事があった。

 暴れん坊でどうしようもないラディムも、ヴィクトルが止めれば少しは聞いてくれる、なんて話を。


 しかし、こうして目の前で、直接対峙してみてクラースは改めて思う。


「――断る。アンタのそのやり方・・・・・、一番信用できねぇ」


「な……ッ!?」


「買っているだの支えてやる・・・・・だの、恩を売るだの。さっきから黙って聞いてりゃ、影から全てを操っていた智将気取りか? 自分で真っ向から挑みもせずラディムの腰巾着しておきながら、内心で誰も彼もを小馬鹿にしてきたってのが滲み出てるぞ。アンタみたいなのは智将じゃねぇよ。ただの小者だ。自分で努力もしない、卑怯者の勘違い野郎って言うんだよ」


「……ッ、クラース、テメェ……ッ!」


「失せろ、クズ。アンタがラディムの腰巾着である事を利用して、女衆にしつこく付き纏ってた事もこっちは知ってんだ。その立場を散々利用してきたくせに、恩も返さずに今度は俺の腰巾着にでもなろうってか。――あんまふざけたこと抜かしてると、ぶった斬るぞ」


 クラースがその手に持った太刀をかちりと音を立てて握り直してみせれば、ヴィクトルの青白い肌からさらに血の気が引いたように蒼白になり、怯えている事が見て取れた。


 しかしヴィクトルは恐怖を抱きながらも優越感に浸るように、にたりといやらしい笑みを浮かべた。


「い、いいのかよ、後悔するぜ……? 計画・・を知ってるのは、俺だけだぜ……!?」


「……くだらねぇ。知ったこっちゃねぇよ。さっさと里に帰れ。こちとら急いでんだ、邪魔だ。斬るぞ」


 僅かに殺気を滲ませてみせたクラースに、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、ヴィクトルが慌てて逃げるように去っていく。


 さすがに里の人間を殺せば、よくて追放、最悪処刑だ。

 クラースとてようやくトゥーラと結ばれたばかりだ。当然、ヴィクトルだのラディムだのを相手にわざわざそこまでするつもりはなかったが、それでも充分に脅しには使える程度に効果はあったらしい。


 怯えつつもどこか強がっていたヴィクトルが、ついに我慢できずに逃げ出すようなその後ろ姿に溜飲を下げて、クラースは再び西に向かって進みだした。





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