リヒトの恋愛観
里の『温泉』――とは名ばかりで、地中から湧出した訳ではないため、さしずめ共有風呂といったところだが――計画の噂は瞬く間に里中に広がった。
リヒトとクラースの持ち帰った卵嚢を使うという話や、リヒトがまた新しい術を開発したという話については里の女衆や年寄衆は「あぁ、またあの二人が何かやったんだ」と納得した様子で聞き流している節はあったのだ。
しかし、初代里長が遺した手記によると、温泉は肌を綺麗にするという記述があったと知った女衆が目の色を変え、関節痛や身体の痛みが治ると聞いて年寄衆が珍しく積極的に協力を申し出てと、気がつけば里の冬には珍しい活気溢れる日々が続いている。
カンカンと木槌をぶつけて建物を建てる若い男衆と、内部の構造について顔を突き合わせて話し合う女衆との間で活発に声を掛け合っているおかげか、普段よりも男女間の距離も縮まっているように思えた。
「なんつーか、盛り上がってるよなぁ」
普段は男衆は男衆、女衆は女衆といった形で別れているため、こうも活発に声を掛け合う光景はそうそうお目にかかる事もない。物珍しさに目を奪われていたクラースがそんな感想を抱くのも無理はなかった。
「いい事だと思うよ。この調子で夫婦になって子供が増えてくれれば尚良し」
「……なあ、リヒト」
「なに?」
「お前、あわよくば自分が女衆から言い寄られたりするのが煩わしくて、いっそ適当に引っ付いて数が減ってくれればちょうどいい、ぐらいに思ってたりなんてこと、ないよな?」
「そんなことあるよ」
「あっさり肯定しやがった!?」
そんなことない、であったり、気の所為だとはぐらかしてくるぐらいはするだろうと思っていたクラースであったが、クラースの予想を無視するようにリヒトがあっさりと肯定し、相も変わらぬ無表情でクラースを見上げた。
「なんならクラースが大所帯になってくれたらいいなとも思ってる」
「こ、コイツ……、自分が助かるために俺を売るつもりだな……!? というかお前、女に興味とかないのかよ?」
「興味、ねぇ……」
再び人の集まる場所、その場にいる女衆を遠目に見つめるように顔を向けながら、リヒトがしばし思考を巡らせるように沈黙し、そしてゆっくりと口を開いた。
「……うん。自分の時間がなくなりそうだから、っていうのが大きいかな」
「自分の時間?」
「うん。誰かと一緒にいるとそっちに意識を向けなきゃいけなくなるからね。僕の場合、術の改善、開発なんかに集中していて時間を忘れちゃうから。放っておくと怒ったりするでしょ、女の人って」
「あー……。まあ、男か女かは関係なくても、そりゃあ放っておいたら怒ったりもするわな……」
実際にリヒトは小さい頃、女衆と行動を共にする機会もあったため、よくそんな愚痴を耳にしてきたのだ。家の事を手伝わないだの、好きな事ばかりをしていて会話もないだの、そんな女衆の愚痴を。
幼いながらにリヒトはそれらを聞いており、「あぁ、一緒にいるなら好きな事だけをしていちゃいけないんだ」と思ったものである。
特にリヒトの場合、術の開発をしていると気がつけば半日、長ければ一日はそこだけに意識を向けており、食事も睡眠も疎かにしてしまうという節もある。
これまでは育ての親――というより姉とも言えるような――であるトゥーラが毎回声をかけたり、あるいは食事を運んでくれていたからこそどうにかなっていたものの、夫婦という対等な関係ともなれば、そのように振る舞えないだろうな、と感じていた。
そして今ではクラースがトゥーラと関係を持ったため、リヒトも今までのように頼り切った形は終わるべきだとも考えているのだ。
故に、リヒトは現在、絶賛ひとり飯で済ます機会が増えている。
もっとも、具材を放り込んでキノコや魔物の骨粉、乾燥させた長期保存用の出汁を入れるだけでそれなりに食べられる鍋料理ばかりだが。
「だから、僕がそういう人間でも我慢してくれる人じゃなくて、僕がそういう人間でも本気で問題ないって言い切れるような人じゃないと。それを我慢しろって僕が相手に求めるっていうのは、僕の勝手でしかないからね」
「……なるほどなぁ……。しっかり考えてるからこそ、って訳だ」
「そりゃあ考えるでしょ。考えなしに所帯を持ちたいなんて思う方がどうかしてると思うよ」
「……お、おう」
割りと
「あれ?」
「お、おう、なんだ!? 俺はなんともないぞ!?」
「何言ってんのさ。そうじゃなくて、ラディムとかの姿が見えないなって思って」
「ん? ……ホントだな。クレトやらルカやらはいるみたいだが……」
「ってなると、ラディムだけがいない、ってことかな?」
リクハルド、アルノルドなどを筆頭に若い男衆はもちろん、年寄衆や女衆までもが集まっているその場所に見当たらない。クレトとルカの姿も見当たるため、取り巻きと一緒になってサボっているという訳でもないようであった。
「珍しいな。いつも取り巻きと一緒にいるってイメージだが……」
「うん、そうだね」
「ラディム、か。アイツの事だ、どうせ叱られてヘソでも曲げてどっかに行ったんだろ」
普段は取り巻きを連れて歩く事の多いラディムにしては珍しいが、しかしクラースの言う通り、ラディムがリクハルドやアルノルドと言い合いになっている現場はトゥーラも見ていたようで、そんなトゥーラを介してクラースに、そしてリヒトにもそれとなく険悪な空気である事は伝わっている。
ヘソを曲げてしまったというのも充分に有り得る推測だった。
「クラース、春からラディムとうまくやれそう?」
「無理だな。つか、俺はアイツらとは一緒に行動しないぞ」
「そうなの?」
「あぁ。オババにも言われたんだが、俺は基本的にダンジョンの同行が多くなるってさ。その後はリヒトと一緒に行動するか、たまに手伝いで男衆と一緒に動くってぐらいだと」
「そうなんだ」
「正直、リヒトと一緒に動いた方が動きやすいってのもあるからな。他の連中と一緒じゃ、山の奥とかまで行けなくなるだろうし」
里の男衆の基準となる戦闘能力はクラースも理解しており、それを侮るつもりはクラースにもないが、太刀という武器を手に入れた今のクラースでは他の男衆――つまり、前衛型の戦士と共に戦うというのは戦い難さがある。
間合いの取り方、連携の取り方ひとつであっても間合いの異なる得物を唯一使うとなると、事故のリスクは高まる。それどころか、若い男衆であれば自尊心が邪魔をして自分達は正しいのだと協調しようとするとはクラースには思えなかった。
その点、リヒトとクラースは戦い方が全く異なる。
リヒトが使うのは棒手裏剣に苦無、そして小太刀と呼ばれるような短めの刀だ。リヒトが前に出て戦うのは、あくまでもクラースが前衛として受け持てない数で押された時などに限るため、基本的には中距離からの術がメインとなるため、行動範囲が被るような戦い方にはなりにくい。
リヒトの腕前と比べているという訳ではなく、単純に他の男衆と一緒に戦うというそれだけで自身の戦闘能力に制限を設ける事になってしまう。
「まあ、ダンジョンで力をつければどうなるか分からないけどな。俺も風魔法で軽い牽制ぐらいならできるようになったしな」
「へえ、使ってみたんだ?」
「おう。まだまだ魔物を狩れる程のもんじゃないけどな。強い風の塊みたいなのをぶつけられるぜ」
「……それだけ?」
「……ふ、それだけじゃない。なんか光る模様出るんだぜ?」
「なにそれ?」
「これだ。――いけ、風よ!」
クラースが上空に向けて手を翳して声をあげる。すると、クラースの伸ばした右手の先に緑色に光る幾何学模様が浮かび上がり、直後に何かが風を切るような音だけがその場に響いた。
それは魔法陣と呼ばれる代物であり、円形の幾何学模様は里で使われる梵字にも似た術符の文字とは全く異なる代物であった。
「……なんか飛んだみたいだけど地味だね……」
「まあ威力も弱っちいけどな。でも、不可視の打撃を与える程度の威力はあるみたいでな。これなら牽制に使えると思わないか?」
「そうだね。術符もいらないみたいだし便利そう。それ、無限に使えたりするの?」
「いや、だいたい一日に六発程度が限度だな。六発も打つとなんか力が入らなくなるんだ」
「……術力と似たようなものなのかな。一晩で回復するの? それとも、数日かかったりするの? 術力みたいに意識を集中したら威力を調整できたりしないの? 逆に小さくできればもっと回数を増やしたり――」
「――お、おいおい、ちょっ、まてまて! そこまでは俺もまだ分からねぇから! 実験するなら里の外行くぞ、外!」
「うん、そうしよう。すぐ行こう、さあ早く」
「……お前、ホント興味を持つと止まらねぇな……」
魔法という、リヒトも持たない新たな力。
リヒトならば食いつくだろう事は予想していたが、まさかここまでとは思っていなかったようで、半ば無理やり里の外に引きずり出されながらもリヒトの知識欲を刺激した事を後悔するのであった。
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