深々と





 年越しの宴。

 この一年の間に生まれた命、あるいは奪われた命、旅立った先人を送り出すという目的も込めて行われる宴は、例年の冬に比べてもずいぶんと明るく、楽しげな空気に包まれて盛り上がっていた。

 共同風呂の建設で男女、年齢の垣根なく、いつもは狩りに出ている男衆が里の中での仕事に精を出し、結果として女衆とも交流が生まれたおかげか、普段はそれぞれのグループで分かれて集まるような宴会の席でも、ずいぶんと自由に動き回り、集まって言葉を交わす者たちが多い。


 何よりも盛り上がったのは、ついにこれまで若い男衆を纏めている一人のアルノルドが、ついに妻を娶るという話が発表されたおかげとも言える。

 これにより盛り上がったところで、クラースもまたトゥーラを娶る事が発表され、宴会の盛り上がりはさらに加熱する事になった。


 新たな夫婦の誕生は、即ち新たな子の生まれる兆しにもなる。

 次代がなかなか生まれない年月が続いた中、若い男衆の暴走。そして女衆との確執と、様々な出来事を乗り越えた慶事に、里の年寄衆は祝言ついでに赤子の誕生をと急かしつつ酒を盃に注ぎ、アルノルド、クラースはもちろん、アルノルドと同年代のリクハルドにまで絡んでいる。


 そうした騒ぎを遠目に見つめてから、リヒトはそっと己の気配を消して大広間を後にした。


 どんちゃん騒ぎの大広間では常に誰かの声が鳴り響いていたが、大広間から離れた裏庭に位置する縁側は静寂に包まれていた。

 風もなく、ただただ深々と降り積もり、真っ白に雪化粧を施した庭の窓を開け放ち、リヒトは静かに腰を落とした。


 頬を撫でる冷たい風が心地よかった。


 大広間には今回リヒトが作った術を用いた術を刻んだ壺が置かれていた。

 薪を囲炉裏で燃やすよりも効率的で危険もなく、さらには暖かな熱が壺から溢れて周囲へ広がっていくおかげで、これまでよりも部屋の隅々までが暖まっていたのだが、料理の熱気なども相まってむしろ大広間の中は暑すぎるぐらいだった。

 熱に浮かされ、酒に酔っているのか場に酔っているのかも分からないような盛り上がりぶりもあり、そういった騒ぎがあまり得意ではないため、熱を取るという目的でリヒトはこの場所に一人でやってきたのだ。


 ほう、と吐いた息が白く渦巻く。


「――やあ、リヒト。隣いいかい?」


 投げかけられた声にリヒトは視線も返さず半歩腰を降ろした位置をずらして、どうぞと示す。

 そんなリヒトに譲られた形でその場所に腰をかけて、男もまた冷たすぎる程の風に心地よさそうに目を細めた。


「……あぁ、これはいいな……。熱が拭われて目が覚めるよ」


「……こんなところに出てきてていいの? 年寄衆にずいぶんと絡まれていたみたいだけれど」


 深々と降り続ける雪を眺めながらリヒトが訊ねれば、男――リクハルドは苦笑を浮かべた。


「あの場に居続けたら、潰れるまで飲まされるからな。それに、なかなかに耳が痛い話をされるものだからな。お世辞にも居心地がいいとは言えんよ」


 アルノルドが妻を娶るとなれば、そんなアルノルドと同年代であり、男衆のリーダーを務めるリクハルドはどうなのかと年寄衆がここぞとばかりに口を開いたのだ。結果としてリクハルドは年寄衆に早く嫁をだの、子をだのと酒の席で遠慮がなくなって詰め寄られていたのである。

 遠い目をして苦笑するリクハルドには興味なさそうに、リヒトは「そっか」と短く返し、それ以上は何も言おうとはしなかった。


「……リクハルド」


「ん? どうした?」


「リクハルドは、どうやって家族が死んだ事を乗り越えたの?」


「え? どうした、いきなり……?」


「女衆から聞いてたから。リクハルドも、クラースや僕みたいにあの戦いで家族を失ったんだって」


「あー、なるほどな」


 リクハルドもまたリヒトの横に座って深々と降り続ける雪を眺めるように、虚空を見つめた。


「……というか、お前がそんな事を聞きたがるなんて、どういう風の吹き回しだ?」


「ん、ちょっとね。ほら、アルノルドやクラースが妻を娶るってなったら、家族が増えるって事だよね。だからちょっと気になって」


「……気になったって、まさか家族が死んだらどう感じるか、か?」


「うん。僕は親しい人が死んだって状況に、まだ遭遇した事はないから。だから、そういう人を亡くして、どんな風に感じるのかなって」


「……いや、そこ目出度い席で気にするのかよ……。というか、お前の両親だって俺の両親と一緒だろ?」


「うん、でも覚えてないよ。さすがに三歳になるかそこらの頃の記憶なんて、せいぜい断片的な光景が蘇るぐらいなものだよ」


「……言われてみれば、それはそうかもな」


 物心ついた頃には、リヒトの両親はすでに墓の下で眠っていた。

 しかし今日、この里に新たな家族というものが生まれるという日だからこそ、ふと脳裏を過ぎったのだ。自分がクラースのように誰かと夫婦となるという未来は想像できなかったが、自分が家族を持ったらどうなるだろうか、と。


 しかし、自分が誰かを特別に好きになるような、クラースのように気持ちを持ち続ける姿は想像できなかった。

 リヒトが家族と聞いて想像できたのは、両親を失って何かに取り憑かれたように刀術に躍起になっていたクラースと、夫を失って一人で泣いていたトゥーラの姿という、かつて幼い頃に見ていたその姿だった。


 そんな姿を見ても、リヒトの胸が痛むという事はなかった。

 ただ客観的に、漠然と、「そういうものなのか」と受け入れてしまうのがリヒトという少年であった。


 リヒトという少年は、物事に対して動じない。

 どこまでも泰然と、ありのままを受け入れてしまうからだ。

 それが子供らしくないだの、不気味だのと周りに言われた事もあったが、それらの反応さえも「そういうものなのか」としか思えず、周りに合わせようともしてこなかった。


 そんなリヒトであっても、クラースがトゥーラと夫婦になるという出来事はなかなかに戸惑う出来事でもあった。


 不意に生まれた、喪失感のような何か。

 リヒトにとっての家族であったクラースとトゥーラとアニタが一つの家族になって、自分だけが取り残されてしまったような、そんな何か。


 寂しい、という気持ちはなかった。

 クラースとトゥーラが幸せになるなら、リヒトが反対する理由もなければ、そこに思うところなんて何もない。


 けれど、大広間の宴会を見ていて、誰も彼もが喜びに沸く光景を見ていて、ふと家族とは、大切な存在とはなんだろう、と思ってしまった。

 そしてリヒトにとって、家族や大切な存在とは、いずれ失うモノという結論に至った。


 そして、思ったのだ。

 もしも失ってしまった時、またクラースやトゥーラのあの姿を――幼い頃の姿を見る事になるのだろうか、と。


 だから、リクハルドに訊ねる。

 リクハルドは自分達よりも一回り以上も歳上で、彼ならば何か答えらしいものを持っているのではないかと、そう考えて。


「初めて魔物を殺した時、狩りをした時、その肉を捌いた時。僕は何も思わなかったんだ」


「……それは……気持ち悪い、とも思わなかったのか?」


 こくり、とリヒトは頷いて肯定する。


「特に、何も。ただ終わった、としか思わなかったよ」


「……終わった、か」


「うん。で、あまりにも動じないものだからクラースに怒られて、喧嘩になったんだ」


 いくら魔物が憎いと、両親を殺した存在だからと考えていたとは言っても、クラースであっても命を終わらせたという事実に初めて気が付いた時、思わず身体が震え、動転した。

 しかし、リヒトは違った。

 動かなくなった魔物を見て、その身体を斬り裂いて、それでも表情一つ変わる事も、身体を震わせる事もなかった。


 クラースはそれがリヒトの強がりだと勘違いした。

 本当は怖かったはずなのに強がって隠しているのだと、そう思ってリヒトに声をかけたというのに、リヒトはただただ何も感じなかったと正直に答え続け、クラースを怒らせる事になったのだ。


 お互いに、「なぜそんな事を言っているのか分からない:という状況に陥ってしまった。

 クラースはリヒトがなぜ強がりを口にするのかと。そしてリヒトは、クラースがなぜそんな事を気にするのかと、お互いに意見を曲げずに押し付け合い、喧嘩になった。


「で、オババに理由を聞かれてそのまま話したら、そういうものに対する感じ方は人それぞれだから気にするなって言われた。クラースにもそうやって説明してくれたから、喧嘩はそこでおしまいだったんだ。だから気にしてなかったんだけど、親しい人が、家族とも言えるような相手が死んだ時、僕はどう思うんだろうって。それで打ちひしがれた時、どうすればいいんだろうって気になって」


「……なるほどな」


 リヒトの質問はあくまでも客観的、第三者的な意見を参考として聞きたいという、純粋な疑問から湧いてきたものなのだろうとリクハルドは思う。

 もっとも、この目出度い席でまさかこんな質問をぶつけられるとは、というのがリクハルドの本音であり、同時にリヒトらしいとも思う。


「まあ、こればっかりは実際にその時にその当人がどう感じるか、だ。俺とお前じゃ考え方だって違うだろうし、お前もクラースとは考え方が違う。自分で折り合いをつけて、自分で乗り越えるしかねぇんだろうさ」


「……それだけ?」


「あぁ、それだけだ。だから、生きて一緒に過ごす時間ってもんが大事になる」


「……生きて一緒に過ごす時間……」


「いつも一緒にいられる訳じゃないからな。だから、一緒にいられる時間を大切にする事が大事なんだ」


「……そっか」


「……あぁ」


 深々と振り続ける雪を見つめていたリヒトがゆっくりと立ち上がり、リクハルドに改めて顔を向けた。


「……リクハルド」


「なに、気にすんな。相談ぐらいいつでも乗るさ」


 ふっと笑って、リクハルドがニヒルに口角をあげてみせた。










「いや、うん。それはありがとうなんだけど、それよりリクハルドっていつ妻娶るの? アルノルドは夫婦になるみたいだけど、今回は何も発表してないよね? その一緒にいる時間を大切にする相手はまだ娶らないの?」






 ………………。






「……うん、なんかごめん。先、戻るよ」


 何も言おうとせず、何故かゆっくりと膝を抱えてしまったリクハルドにそれ以上は何も言わず、リヒトは大広間へと戻る事にした。






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