蟷螂の特性




「――シッ!」


 息を吐きながら振るわれた太刀――『霧哭きの妖太刀』が、迫ってきた魔物を斬り裂き、鮮血を雪で染められた白い大地に撒き散らす。

 巨躯をぐらりと揺らして倒れ込んだ魔物を一瞥して、太刀を振るった本人であるクラースが残心を残してゆっくりと息を吐いてから、戦闘状態でピンと張り詰めていた空気を緩めた。


「……リヒト、どうだ?」


「こっちはもう少しかかる。そっちは?」


 大木の枝の上、そこにぶら下がっていた卵嚢の根本を、膝だけを引っ掛けて逆さに宙吊りになりながら苦無で切っていたリヒトが淡々と答える姿を見て、クラースは苦笑を浮かべて大丈夫だと短く返答した。


 里でリクハルドとアルノルド達が里を捨てた一家の家を改築している最中ではあるが、リヒトとクラースは冬の山、その森の奥深くにやってきている。マーリトと話した通り『暗影蟷螂ウブラティス』の卵嚢を採取しにきているのだ。


 木登りなど朝飯前のリヒトが他の枝に膝を使って足だけでぶら下がりながら、頭を下にして逆さ吊りの状態で苦無で根本を切っているのだが、幾重にもリヒトの腕の半分程はあろうかという太さの縄のような糸が絡まり合い、頑強に縛り付けられている卵嚢を切り離すのはなかなかに骨が折れる。


 実のところ、過去に卵嚢を採取した際に枝もろとも切り落とし、地面に降りてから切り離すという事を試した事はあるのだが、そちらは失敗に終わったのだ。

 というのも、卵嚢は落下の衝撃によって触れただけでぼろぼろと崩れる程に脆くなってしまうという不思議な特性を持っているらしい。


 そのため仕方のない対処法ではあるのだが……クラースがそんなリヒトを見上げて、猿みたいだなぁ、などと思ってしまうのは無理からぬ事であった。


「よし、切れた」


 支えを失ってずるりと落ちていきそうになる卵嚢を掴み上げ、リヒトが軽く勢いをつけて斜めに落下しつつ、その先にあった枝に片手を引っ掛けて衝撃を殺し、そうした動きを繰り返して降りてきた。


「お疲れさん」


「これで三つめだね」


「予定じゃ五つは必要なんだろ?」


「うん。男湯、女湯に二つずつはつけなきゃだから。あとの一つは水の生み出し用に。本当はさらに四つぐらい欲しいところだけど、さすがに持って帰れないからね」


 一つの卵嚢がおよそ直径にして三十センチ程。背負い籠に入れて布で包んでも、入っても二つが限界だ。

 冬の山とは言え魔物が皆無ではない以上、近接戦闘を得意とするクラースの戦いでは卵嚢が揺らされ、壊れてしまう可能性もあるため持たせる訳にもいかない。そのため、三つというのはリヒトが背負い籠と片手で持って運ぶ事を想定した数であった。


「なに、あと二回来れば九つだ。どうせなら集めておこうぜ」


「いいの?」


「俺は構わないぞ? なんでだ?」


「いや、トゥーラさんとよろしくやってるのに何度も同行させたら悪いかなって」


「おま……っ! あのなぁ……、さすがにずっと乳繰り合ってるって訳じゃねぇぞ?」


「いや、聞きたいとは思わないけど。母親代わりの人と兄みたいな存在の情事とか」


「……まあ、そりゃそうだわな……。いや、そうじゃなくて、だ。どうせお前も何かで使いたいって事だろ?」


「うん」


「だったら取りに来ようぜ。まだ昼前だし、今日中にあと三つは持ち帰れるだろ、こんだけあれば」


 そう言いながらクラースが少々嫌そうに顔を歪めて、頭上の大木の枝を見上げれば、確かにクラースの言う通り『暗影蟷螂ウブラティス』の卵嚢はそれなりの数が存在していた。


「……はあ。夏はこの辺りに近づかない方が良さそうだな……。大量にいるって事じゃねぇか、これ」


「いや、そうでもないよ」


「そうなのか?」


「うん。『暗影蟷螂ウブラティス』は同じ卵嚢から生まれた個体同士で殺し合いをして喰いあって、一匹だけが成体になるって特性を持ってるから」


「……は?」


「去年の夏、ちょうど卵嚢から孵った『暗影蟷螂ウブラティス』を見たんだ。卵嚢の中から出てきた数体の幼体が、親と思われる『暗影蟷螂ウブラティス』の前でまず最初にやったのが、幼体同士の殺し合いだったよ。そうやって一匹だけが残ってから、親が近づいて行ってた」


「……なるほどな。弱肉強食の摂理ってヤツか。強い個体が確実に生き残るための選別か」


「だね。ちなみに『暗影蟷螂ウブラティス』は雄が種付けを終えると雌に喰われるみたいだね。蟷螂の性質をそのまま受け継いでるっぽい」


「……なかなかえぐいよな、その性質」


「人間で良かったね、クラース。頭からバリボリいかれなくて済むよ」


「おいやめろ、なんかちょっと怖くなるだろうが」


 人間にそんな性質はないが、なんとなくそんな話が出てくると想像してしまうというもの。思わずトゥーラに丸かじりされる自分を想像してしまうクラースであった。


「ま、冗談はさて置いて」


「お前の冗談、たまにちょっと嫌な後味残るんだが?」


「気にしない気にしない。それよりも、里の方は進んでると思う?」


「あー……」


 リヒトが訊ねてきた真意はクラースにも伝わっていた。


 クラースもリヒトも、若い男衆とは疎遠な関係だ。

 クラースの場合、刀術という男衆が使うそれを圧倒的な才能、恵まれた体格から繰り出す事もあり、天才と持て囃され、若い男衆の嫉妬の対象となってしまっている。

 一方でリヒトに至っては何を考えているのか不気味だ、とまで言われている状態である。


 そんな二人が大人の仲間入りを果たした『成人の儀』では、若い男衆が集まる席からはあまり歓迎されない空気が漂っていた事に気付かない二人ではない。

 そんな目を向けられるというのに協力してくれているのかと言えば、どうしても疑問が残ってしまう。


「まぁ大丈夫だろ。オババからの正式な通達として伝わっているんだし、リクハルドさんやらアルノルドさんがしっかりと手綱を握ってくれるはずだ」


「そうだといいけどね」


「……不安か?」


「不安があるかないかで言えば、当然あるよ。実際、ラディムとかみたいに色々とやらかしてるしね。プライドが無駄に高いから、僕らが主導でやってると言えば協力的にはならないだろうなって。むしろ何かをわざと仕掛けて、僕らの足を引っ張ろうとするかもしれないとも思ってるよ」


「……相変わらず、お前は疑り深いな」


「信用に値しない相手を信用する必要はないからね。――まあ、だから卵嚢が多めに必要なんだけど」


「ん? なんて?」


「いや、なんでもないよ。それじゃ、クラースも手伝ってくれるみたいだし、あと二往復、手伝ってね」


「おう、任せろ」





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