冬の生活




 厳しい冬を越すまでの間、リヒトはひたすらに術の改良と新たな術の作成に時間を費やしていた。


 厳しい冬は冬特有の魔物は現れるものの、数も少なく、狩りには適していない。そのため、魔物狩りも多少里の付近を見回り、冬特有の魔物を討伐するだけで済んでしまう。わざわざ狩りに赴くだけの旨味もない以上、この時期に無駄に里の外に出る理由がない。

 故に、日頃狩りを行う男衆は冬の間には武器の手入れや型の見直し、筋力が衰えないように筋力トレーニングをするなどは行うものの、基本的には自宅か仲の良い者の家で酒を飲み、ボードゲームや軽い賭けに興じる。


 一方、クラースはこの時期に新たに手に入れた太刀を用いた太刀術の研鑽、リヒトは術の改良にこの冬を費やす事にしていた。

 特にこの冬は、お互いにダンジョンで新たに手に入れた装備、『ことわり』があるため、この冬の間にどうにか形にしておきたいという考えも共通している。おかげで、二人が顔を合わせる機会も例年に比べて非常に少ない。


 もっとも、クラースがトゥーラと一緒になり、そんな場所にわざわざ顔を出して惚気けられたくないリヒトが敢えてクラースの誘いを断っているせいで会う機会が減っているというのも間違いなく存在しているのだが、それはさておき。




 ――……うん、これならいけそうだ。


 囲炉裏で薪がパチパチと軽快な音を立てる中、その近くで術符を作っていたリヒトが毛筆を手に顔をあげ、満足気に頷きつつ胸の内でそんな感想を呟いた。


 ダンジョンで手に入れた『理』のおかげで、リヒトは術を生み出せるようになった。

 まだまだ研究の余地はあり、手探りではある。だが、術によって効果を齎す『性質の変化』に対して少しずつ干渉する方法が見えてきた。


 元々リヒトや里の者が使う術とは、術符とは梵字にも似た里に伝わる独特の文字を、特殊なインクを用いて描き、術を形成し、現象を引き起こすものだ。

 この梵字にも似た独特の文字は初代里長と共にこの里にやってきた東国の集団によって伝えられたものであるが、その起源までは伝わっていなかった。さらに時が経つにつれて、術符に刻まれた文字の意味までは伝わらなくなってしまった。


 そのため、リヒトは完成した術から一つ一つの文字の意味を解読し、どうにか解読できた部分だけを利用して術の改良に漕ぎつけていた。だが、ただ文字を組み合わせただけであったり、解読した文字がそれだけでは術が発動しないため、複数の試作からようやく一つの文字に絞れたりと、途轍もない労力をかけて解析を続けている。


 そんなリヒトがダンジョンで得た新たな『理』は、どうやら『形』に対して『法則』を与えるというものであるようだった。

 それはつまり、『火』という文字に『発火の法則』を与えれば、『火』と書いて術力を注ぎ込めば『発火の法則』に則って燃え始める、という意味だ。


 それだけ聞けば、非常に便利かつ万能な力のようにも感じられるが、少し大きな術を作ろうとすれば術力の消耗が激しすぎて使えなくなってしまうという問題があった。

 また、『重力に反する』であったり、自然の摂理に逆らうようなものを作った場合は小さな影響しか発生させないものであっても術力の消耗が激しい。


 どうにか形にできた新しい術は、『加熱』。

 元々はこの『加熱』の温度を高熱の釜や囲炉裏に使えれば、薪を大量に準備しなくても済むのではないかと考えたのだが、『術力は少なく発動できるし発動も簡単。だけど、触れると熱いけれど発火するには届かない程度の加熱が限界』という、中途半端なものが出来上がってしまったのである。


 これをどうにか使い物にできないかと考えたところで、ふと囲炉裏の火が消えて、家の中だというのに吐息が白く染まっている事に気が付いた。

 身体もかなり冷えてしまっているようで、芯まで温まるのであればお湯を浴びるのが手っ取り早い――と、そこまで考えて思いついたのだ。


 里にもシャワーは存在しているが、お湯を自由にいつでも使えるという訳ではなかった。当然、大量に注いでお風呂を沸かすような文化もなく、風呂、温泉というものは存在していない。

 現在の里のシャワーとはつまり、術によって加熱した桶の中の水を温めてシャワー状にして浴びるだけだ。当然、桶に注がれたお湯の残量を気にしなければならないし、温めるにも時間がかかり、冷めてしまうのも早い。

 これを『加熱』によって温められるようになり、かつその一定の温度で保てるようになれば、いつでも好きな時にシャワーを浴びれるようになるのではないか、と。


 囲炉裏に薪を追加し、火種を入れて火を点けてから、再びリヒトは術の改良を始めた。

 そうして数刻、すっかり外が暗くなり、半ば無意識に囲炉裏の炎を絶やさないようにとたまに薪を投入しながら、そうしてようやく完成したのが、目の前にある『湯沸かし術』の術符であった。


 早速とばかりに鍋を手に持ち、外に出て積もり積もった雪を掬い取り、室内へと戻る。

 新たに作ったばかりの湯沸かし術の術符を床に置いて、その半分を雪が入った鍋で押し潰すように上に乗せて術力を込める。


 お湯を沸かすにはなかなかに時間がかかる。

 しばし凝り固まった身体を解すように軽い運動を行いつつ、およそ五分程経った頃、再びリヒトが鍋に目を向けると、そこには白く山盛りになっていた雪が溶け、水になってゆらゆらと水面を揺らしていた。


「……え? 早くない?」


 ついつい口を衝いて出てしまう程度に、その光景はリヒトにとっても驚かされるものだった。


 煮立つまでには至らないが、すでに雪が液体に変わって水面を揺らしている。

 焚き火の上に水を入れた鍋を引っ掛けて沸かそうとすればもっと時間はかかるものだが、この短い時間ですでに鍋の中の雪が溶け、鍋の中で水流が生まれて水面を揺らしているというのは、相当に温まっているのだろう。

 試しに鍋の中の水に指をつけてみると、その温度はまだ少しぬるいものの、確かに温まり始めていた。


 ――シャワー浴びるにはもうちょっと、もうちょっと……。

 お湯の動きを見ながら、数秒ごとに何度も指を入れ、少し熱いと感じる程度のところでリヒトは鍋の下から術符を引き抜いた。

 そのまま術符の横の部分、温度を指定する文字に斜線を入れると、鍋を持って一度外へ行き、鍋の中の雪解け水を投げ捨てて新たに雪を掬い取る。


 そうして再び家の中に戻ってきて、斜線を入れた術符の上に鍋を載せた。


 時間にして、また五分ほど。

 ぼんやりと術符の上に置いてある鍋を見つめていたリヒトが、鍋の中に目を向けて指を突き入れると、先程の温度でお湯の加熱は止まっているようであった。


 それからさらに二十分ほど、そのまま放置してみてから再び鍋の様子を見てみれば、先程指を入れた際と同じ温度で鍋のお湯の温度が保たれていた。


「……おぉー……」


 成功に対するリヒトの反応は、そんな小さなものであった。特に大きく声をあげる事もなく、静かにリヒトは目の前の光景をまじまじと見つめている。


「――おーい、リヒト。起きてるかー?」


「ん……? クラース?」


「うへ、さっむ……! いや、家から来ただけで身体冷えたわ……。よう、トゥーラさんが夕飯用意してくれてな」


 徒歩で一分程度で着くような場所であっても、猛烈な吹雪に見舞われた外を移動してきたクラースの外套は雪を投げつけたかのように白く染まっていた。土間で雪を叩いて落としたクラースが急ぐように囲炉裏に近づいてきて、リヒトに小さな網籠の包みを差し出した。


「ありがとう。トゥーラさんにも伝えておいてもらえる?」


「おう。で、新しい術の具合はどうだ?」


「うん、解析と試作を続けてたんだけど、ようやく一つ形になったよ」


「へぇ、どんな効果だ?」


「お湯を温める術」


「……は?」


 目と口を丸くして反応を示すクラースの視線を気にする様子もなく、リヒトは雪解け水がお湯となってなみなみと注がれている鍋をクラースの前に差し出した。


「一定の温度まで加熱して、保温する術だね。人肌で直接持つには熱すぎるけど、こうして鍋の下で発動させれば、シャワーを浴びるぐらいの温度のお湯なら雪でさえ五分ちょっとで温まったよ」


「お、おう、そっか……。ん? いや、まてまてまて。五分ちょっとで温まるのか?」


「うん。術力も今シャワー用のお湯を用意する時に使うものの一割程度で発動できるんだ。だから、術力が少ない戦いに不向きな女衆の人達でも充分使えるよ」


「……マジか。スゲーな、それ。……それなら、気軽にお湯も使えるようになるって事だよな」


 里での洗い物、衣服の手洗いなどではこの時期であっても冷水に多少のお湯を入れた程度のものになりがちだ。囲炉裏でお湯を沸かす事が多いとは言っても、そのお湯からあがってくる蒸気で部屋を温めている節もあるため、贅沢に使い切る事などは到底できない。

 そんな家でも気軽に使える術が生まれたとなれば、その術がどこの家でも重宝されるのは間違いない。


 クラースも最初は対魔物用の魔法ではなかった事に拍子抜けしていたようだが、徐々にその価値に気が付いたのか、表情を真剣なものへと変えていった。


「なあ、リヒト。一枚譲ってくれないか? トゥーラさんが洗い物してる時とか、手が痛そうなんだよ」


「……別にいいけど」


 少し前までなら母親代わりの相手に御礼をするように見えたというのに、今ではただ愛する相手の事を想って言っているのだな、と判るような顔で言うクラースに対し、リヒトも半ば呆れたような空気を放って返事をしつつ、術符に使う紙を数枚、部屋の隅に山積みしていた場所から抜き取った。


 そうして複数の枚の紙を手に取って戻ってくると、左手の人差し指と中指の間に挟み、眼前でそれを立ててから、今度は完成していた術符を空いていた右手で蓋をするように床に置いたまま手を置いて両手に術力を込めていく。


「……? 何してんだ?」


「――【術複製】、湯沸かし術」


「は?」


 指の間に挟まれてくたりと曲がっていた紙が淡く光、その光が収束するかのように文字を象っていく。

 そうしてようやく光が消えたかと思えば、リヒトが指で挟んでいた無地であったその場所にはリヒトが先程作った湯沸かし術の術符と全く同じ文字が刻まれていた。


「便利だよね、これ」


「え、何が起こったんだ、それ?」


「僕が作った術は失敗作であっても成功作であっても、こうして複製する事ができるようになったんだよ。途中まで作って複製して、そこから幾つかの分岐で試作ができるから重宝してるんだ」


 ダンジョンで得た『理』を使ってできるようになった力の一つ、〝術複製〟。

 その光景を初めて見る事になったクラースはしばし呆然としていたものの、結果として湯沸かし術の書かれた術符を多めに受け取ると、早くトゥーラに渡してあげようといそいそと帰って行ったのであった。




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