第二章 分岐点

Prologue クレトとルカ





 クラースとリヒトという、刀術の天才と術の天才。

 そんな二人に一番歳が近い男衆、クレトとルカという二人の男だ。しかし、今度の春で二十四歳になる二人とクラースとリヒトの二人は、里には珍しく歳が一番近い相手であるというのにあまり交流がなかった。


 クレトとルカの二人が、クラースとリヒトに対して距離を置くようになった理由は、当時の年齢であった十代中盤に差し掛かろうという二人が背伸びをしたかったというのもあったが、ただそれだけでもない。


 十一年前の里への魔物の襲撃と戦いが起きたあの日までは、二人とも初めてできた弟分を可愛がっていた。

 しかし、十一年前の戦いでクレトとルカの二人と、クラースとリヒトの二人との間には、決定的な溝が生まれた。


 クレトとルカの両親は、あの戦いで生き残った。

 元々、クレトとルカのそれぞれの両親は戦いを得意とはしていない、薬師と農業を営む家庭だった。故に里の最後方で女子供を守る最後の砦という役割を与えられていた。

 幸いにも里の内部にまで攻め込まれる前に食い止められたおかげで、当時の非戦闘民は護られ、勇敢に戦った戦士達だけが命を落とすという結果が残った。戦士の見習い達にまで及んだ呪いのような残滓も、里の内部までは届く事はなかったからだ。


 どうにか里を守りきる事には成功した。

 だが、その代償に支払う事になった犠牲の数は、あまりにも大きかった。


 クレトとルカにとってみれば、自分達の家族が無事で、暮らしは質素になったものの両親は変わらずにそこにいる。なのに弟分である二人は、自分達よりも小さいのに両親を失ってしまった。

 その事実は、まだ幼いながらもクラースとリヒトの兄貴分であった二人の心に、クラースとリヒトに対する遠慮、はたまた同情か、あるいは憐憫か。そういった重たい感情を抱かせるようになり、必然的に足が遠のいていった。

 かけるべき言葉が見つからず、顔を合わせるのが辛かったのだ。


 特に当時のクラースは幼いながらに両親が死んだという事実に酷く傷つき、力を貪欲に求めるかのように刀術にのめり込んでいった。

 鬼気迫り、己の両親を殺した魔物という存在を絶対に殺してやると、幼いながらに殺意すら滲ませるクラースの様子は異様なものであった。


 そんなクラースよりも幼いリヒトは、両親が亡くなった当初は酷く泣いていたものの、それがある日を境にぱたりと止んだ。

 ぼんやりと何かを思考しているような、それでいて何も考えていないような目をして遠くを見つめる事が増えていった。


 そんな二人の様子を見ても、しかしかける言葉が見つけられず、クレトとルカは理由をつけてクラースとリヒトとは距離を置くようになった。


 思春期の心の成長、変化というものは大人のそれとは大きく異なる。

 季節一つ、年が一つ巡った頃には子供達にとってはそれは『遠い過去』となり、大人には『最近』の出来事になってしまう。それぐらい、大人と子供とでは流れる時間が、密度が異なる。

 そうした時間に対する捉え方もあってか、子供にとっての空白の期間というものは、大きかった。


 一週間が過ぎて、一ヶ月が過ぎて、一つの季節が始まり、移ろい、一年の時が過ぎた頃には気がつけば全く顔を合わせなくなり、疎遠になった。


 そうして数年が経った頃、気がつけばクラースとリヒトの二人は、それぞれに刀術と術の改良という方向に凄まじい才能と努力を注ぎ、里の最強戦力の一角となった。

 クラースは体躯に恵まれ、背が高く手足も長い身体を使い、抜刀術で魔物を両断するようになり、リヒトは予め設置し、決まった場所でしか発動できなかった術を術符と投擲技術で遠距離発動を可能にし、同時に気配と幻影を用いた独特の歩法で魔物攻撃を躱すという技を身に着けた。


 そんな二人の内、どちらかと言えば異質であったかと訊かれれば二人は口を揃えてリヒトだと答えるだろう。


 クラースは過剰なまでに刀術にのめり込むだけであったが、リヒトは違う。

 術の改良の為に大怪我を負う事もあり、そんな時でも表情一つ変えずに集中して術の改善点に思考を巡らせ、怒ったマーリトに頭を引っ叩かれている姿は子供心ながらにクレトとルカに「おかしな存在だ」と思わせた。


 ある意味、二人は浮いていた・・・・・のだ。

 男衆の身体が育ってくる十代前半から基礎訓練を受けるはずのところを、二人はそれぞれの身体に応じた鍛錬メニューを組み上げ、実施してきた。


 里の男衆が班を組んで里の外に出るのが一般的であるため、そろそろ刀術の才能があるクラースを班での行動訓練に誘おうかと男衆で話し合っていた頃には、クラースとリヒトの二人が、たった二人で里の外に出ていた。

 一つの班、四人から五人で組む班がようやく倒せる魔物を、二人がお互いにそれぞれに仕留めて持ち帰るようになった時は、クレトとルカの二人は嫉妬を通り超えて、唖然とさせられたものだ。


 それからというものの、男衆が採取してこれなかった薬の素材や、備蓄が足りないものを二人が持ち帰るようになり、そういったものを管理していた女衆からも可愛がられるようになった、という話は二人の耳にも入っていた。


 そんな二人の活躍を耳にしたクレトとルカの二人は、しかしクラースとリヒトを持ち上げるように語る女衆の言葉に嫉妬を抱く事はなかった。


 クレトとルカにとってみれば、クラースとリヒトの二人が燻っているままでいるよりも、活躍してくれている方が有り難かった。

 物事が上手くいかない時、人は得てして他者にその不幸の理由を押し付け、八つ当たりめいた怨みを抱く事もある。両親が亡くなった上に物事が上手くいかないとなれば、一方で家族が無事に生きていて男衆としてやっていける自分たちへ、そういった目を向けられずに済むだろうから。


 とは言え、彼らとて男だ。

 女衆から嫌われる、モテないという状況は嬉しいものではない。

 しかし、それは自業自得というもの。

 若い大人が少なく、大事に大事に育てられた結果甘やかされ、守られてきた若い世代。彼らは身体の成長と共に心を増長させ、根拠のない万能感と優越感に浸り、無視できない過ちと失敗を招いたのだ。

 そのため、女衆には頭が上がらず、顔を合わせてちょっとした言い合いにでもなろうものなら、必ずその部分を掘り返されてしまう。

 そういった背景もあって、里の女衆に少々苦手意識を抱いているのだ。


 クレトとルカもその多分に漏れず、馬鹿な真似をしてしまった。その結果、自分達に対する女衆からの評価が地に落ちている事は知っている。

 そんな相手の気を惹こうと必死になるのは、男の矜持・・・・というものが許さない、というのが彼らの言い分であった。

 女と遊びたいのであれば町に行けば商売女と遊ぶ事だってできる。過去の失態を知らない女とよろしくやっている方が気楽だ、というのが本音であり、平身低頭許しを乞うというのは、恥ずかしくてできない、というだけの現実から目を背け続けている。




 もっとも――――




「――クソッ! クソがっ! 何がクラースだ! 何がリヒトだ!」




 ――――己の失態を理解していない者がいない、という訳ではなかった。





 倒れ伏した魔物に不必要に刀を叩きつけ、足蹴にして苛立ちを発散して声を荒らげている男。彼の名前はラディム。クレトとルカの二歳上の男だった。

 いつもは頭の後ろに流すように固めている明るい赤茶色の髪は乱れ、眉間に皺を寄せてつり上がった茶色い目は血走り、感情のままに声をあげている。


 若い衆の班の中でも最年少組であったラディムが率いるのは、クレトとルカともう一人、ラディムと同い年のヴィクトルがいるのだが、この場にヴィクトルの姿はなく、ラディムを止められる者はいなかった。


 あまり叫ばれると、魔物を引き寄せる事になってしまう。

 里の外ではぼそぼそと小声で喋り、手と指の動きで仲間同士で合図を送り合って行動するのが里の男衆の決まりだというのに、怒りのあまりラディムはそんな事すら思考する冷静さを欠いているようであった。


「……どうする?」


「どうするも何も、下手に口出したら俺らに矛先が向けられちまうだろ。近くに魔物がいないか警戒しながら待つしかないんじゃないか?」


「……だよなぁ……」


 何か妙案はないかと言いたげに口を開いたルカであったが、クレトから返ってきたのは「やり過ごす」というシンプルなもの。それぐらいなら自分も思いついていたが、それだけでは不安を拭えないからこそ相談したのだ。

 残念ながら返ってきた答えは自分が行き着いたものと全く同じものだったようで、ルカは同意を示しつつ深く溜息を吐き出した。


「……で、なんでラディム、あんなキレてるわけ?」


「ベルティナの『ダンジョン』行きを手伝うって立候補したらしいんだが、当のベルティナに「クラースかリヒトに連れて行ってもらいたいからいらない」と断言されたらしい」


「あー……、まあ、そりゃ断られたらショックだろうけど、あそこまで荒れるか? 俺らの女衆からの評価考えれば自明じゃん」


「まあ、俺もそう思うわ。なんせラディムだしな、あの一件・・・・の張本人のクセに、よくベルティナに声かけれたな」


 ルカが口にした一件とは、かつて増長した若い男衆が同年代の女衆を無理やり手籠めにしようとした一件の事だ。その被害者となりかけた女性こそが、ラディムが声をかけた相手であるベルティナと一番仲のいい相手、イレーネなのだ。

 そんな相手に声をかければどうなるかなど、クレトの言う通り自明の理というものだろう。声をかけなくとも答えは見えていると言えた。


 里での強姦は、たとえ未遂であっても里からの追放となる。

 だが、襲撃で男衆が減っているという状況である中、戦う才能がある者を簡単に追放してしまう余裕もなかった。

 未遂であった事を鑑みて、仕方なく厳重注意と、厳しい戦いが発生しやすい〝遠征班〟に無理やり配属させ、根性を叩き直そうとしてきたのだ。


 しかし、ラディムがそこで学んだのは、己を律する強さではなく、厳しい目を向ける者を欺く態度で取り繕う事だった。


 更生を命じられた男も数年に及ぶ同行で判断が甘くなり、更生できたものとして〝遠征班〟から一時的に派遣されるという扱いでヴィクトルと共にクレトとルカの面倒を見る事を命じられている。


 歳上の男衆の前では心を入れ替えたかのように振る舞い、ヴィクトルやクレト、ルカの前では傲慢に振る舞うようになるまで、そう長くはかからなかった。

 監視の目がないと判断したからこそ、態度を隠さなくなったとも言える。


「ま、断られるとか思ってなかったんじゃねぇの? ほら、見た目も別に悪くねぇし。クラースにゃ劣るけど」


「おいバカやめろ。聞こえたら大変な事になるだろうが」


「へいへい。あー、せっかくの冬に貴重な新鮮な肉が、ミンチになっていく……」


「……まだやってらぁ」


 少し離れた位置、肩で息をしながら叫ぶだけ叫び、ひたすらに魔物の身体を切り刻んでいたラディムを遠目に見て、二人が辟易とした表情を浮かべて改めて周囲を見回す。


「はぁ、はぁ……っ! チッ、イライラする……。が、まあいい。充分にコイツ・・・の効果は確認できた」


 遠巻きに怒り狂うラディムを遠巻きに眺めているクレトとルカの二人では、ラディムがほくそ笑みながらポケットから取り出したソレ・・の存在に気付く事はなかった。


「――あぁ、楽しみだ……。早く春が来てくれれば……」


 小さな声で、願い、祈るように呟くラディムのその言葉と手に持ったソレ・・の存在に気が付いていれば、と。


 春の訪れと共に起こったその事件を振り返った時、クレトとルカは強く後悔をする事になるのであった。




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