閑話

閑話 クラースは話を聞いてほしい




「――おはよう、リヒト。爽やかな朝だな」


 季節は本格的に冬が到来して、視界を塗り潰すような真っ白な吹雪が吹き荒れる日も珍しくはない。特にその日は、朝からなかなかに吹雪いていた。

 そんな朝だというのに、朝一番で家へとやって来て、開口一番に妙に満たされたような笑みを浮かべて声をかけてきた兄のような親友、クラース。


 彼の顔を見たリヒトはその顔からちらりと窓の外に視線を向けた。


「……軽く吹雪いているのに爽やかな朝って、頭おかしくなったの?」


「はっはっはっ。なに、天気の事じゃないさ。こう、なんて言うんだろうな。心持ちみたいなものだろうな、うん」


「……めんどくさ」


「酷くねぇか!?」


 ぽつりと呟いた一言はしっかりとクラースに聞こえていたようで、どこか胡散臭さすら感じるクラースの笑みが崩れる姿をちらりと一瞥したリヒト。

 心底面倒臭そうに溜息を吐き出して、リヒトは観念した様子でクラースを家の中へと招き入れた。


 部屋の中央に造られた囲炉裏いろりで薪を燃やしながらぱちぱちと小気味の良く小さく爆ぜる音と、外を吹き抜ける吹雪の風音が鳴る室内。囲炉裏を挟むようにクラースが円座に腰を下ろす姿を横目に、天井から吊るされた自在鉤に引っ掛けられた鍋蓋を開けて、その中でくつくつと煮立っていたお湯を掬って急須に注ぎ、お茶の準備を始める。


 揺れる炎をどこか呆けた表情で見つめていたクラースにお茶を手渡したリヒトは、自分の座っていた円座に腰を下ろして、改めてクラースに顔を向けた。


「それで、こんな吹雪いている中でわざわざウチに来て、どうしたの?」


 里での暮らしの中、わざわざ吹雪いている日に他人の家に向かう者は少ない。

 切迫した用事でもなければ、基本的には吹雪が落ち着いてから外に出るのが一般的だ。

 そんな中でわざわざやって来て、しかし切迫した様子もなく意味の分からない発言をして登場したのがクラースだ。

 当然、リヒトとしても怪訝な表情を浮かべざるを得なかった。


 じとりとした目を向けられたクラースは、しかし懲りる事もなく再び爽やかな笑みを浮かべてみせた。


「……リヒト。俺は今、満たされた気分なんだ」


「そこで煮立ってるお湯浴びせようか?」


「辛辣が過ぎるぞ!?」


 本気で辛辣な返しをするリヒトではあったが、彼がそんな態度を取るのも無理はなかった。


 というのも――――


「トゥーラさんと夜を過ごしたんでしょ?」


「……あぁ、そうなんだ」


 ――――クラースは昨夜、マーリトの所に泊まり込む事になっていたアニタがいない夜をトゥーラと二人で過ごしたのだ。


 リヒトがトゥーラに抱いている感情は、姉のような母のような存在、という印象だ。

 そんなトゥーラとクラースが男女の関係を持ったところで、そこに対して何か思うところがある訳ではなく、むしろ「やっとか」というような冷めた感想でしかない。


 しかし、それとこれ――この状況――とでは話は違う。


「……要するに、男女の営み自慢というか、童貞卒業宣言でもしに来たんでしょ?」


「……いや、身も蓋もない言い方だが、その、リヒトにしか言える相手がいなくてだな……!」


「誰にも言わなくていいじゃん。めんどくさ」


「嬉しいんだよ、分かち合いたいんだよ、言いたいんだよ!」


「雪に埋もれてその茹だった頭を冷やしてきたら? そのまま春まで出てこなければいいと思うよ」


「それ俺が死ぬヤツだろ!?」


 クラースがわざわざ吹雪いている朝にやって来た理由に、想像はついていた。

 一応は確認する意味で何をしに来たのかと問いかけたりもしたが、開口一番でおかしな事を言い出した時点でその線はないな、とリヒトは判断していたのだ。


 悪気はないのは分かっているが、それでもアニタと顔を合わせるよりはマシだろうな、とリヒトは思う。

 初めての夜を過ごした二人が一緒にいる状態でアニタと顔を合わせれば、取り繕う事すらできないだろう。そんな姿を見たアニタが、意固地な態度をさらに頑なにさせるであろう事は想像に容易い。


 もっとも、マーリトがアニタを預かったという事は、クラースとトゥーラのそういった事情・・・・・・・に関する話をアニタにもしているかもしれないが、それはリヒトの与り知らぬ話である。


「……はあ。生々しい話とかは聞きたくないし、トゥーラさんだって誰かに聞かれたくないだろうから言わないでね」


「そんな事は分かってるさ。さすがに俺だってそんな話はしたくないぞ」


「しそうだったから言ったんだよ」


 リヒトに冷たくあしらわれながらお茶を飲んで、時間が経ったおかげでようやくクラースの心も落ち着いてきたのだろう。少しばかり所在なさげに頬を掻いて目を逸らしたクラースの姿に溜飲を下げてリヒトは最後に溜息をもう一つ吐き出した。


「アニタにはいつ話すつもり?」


「……その事なんだが、オババがしばらく屋敷に住み込ませながら話していくつもりらしい」


「……それは、大丈夫なの?」


 アニタがトゥーラ、そしてクラースとの間にある何か・・に気が付いている事はリヒトも知っている。そんな状況でアニタとトゥーラを引き剥がすような真似をすれば、アニタはトゥーラに捨てられたように感じるのではないか、とリヒトは思う。


「どっちにしても、春からはアニタは元々そうなる予定だっただろ? ほら、【巫女】の修行とやらでさ。元々、トゥーラさんは屋敷で働いてる。離れ離れになって滅多に会えないって訳じゃなくて、昼しか会えないって生活になるだけだからな。修行が休みの日は家にも帰れるからな。実際、アニタだってそうなる事は受け入れているし、嫌がったりもしてないぞ」


「まあ、それはそうだね」


「オババからアニタにそういう生活を早めようって話をしてくれているらしいんだ。俺やお前が大人の仲間入りをしてしまったから、アニタだけが仲間外れみたいに思っちまうだろうから、早めたらどうかってな」


「ついでに子作りもしろとでも言われた?」


「……俺は何も。ただ、トゥーラさんがそう言われたってのは聞いてる」


「……なるほどね。オババらしい」


「どういう意味だ?」


 里の未来、新しい子供がいない状況をマーリトが気にしている事はリヒトも知っていた。


 子供のいない期間が空けば空く程に、その上と下の世代は皺寄せを被る事になる。

 上の世代から見れば頼りになる若者が、下の世代からは頼れて口うるさい兄貴分や姉貴分がいない世代がどうなるかは、リヒトやクラースの上の世代を見ていればなんとなく想像がつくというものだ。

 マーリトが、いつまでも夫婦にならない若い世代の代わりに女衆からも人気の高いクラースをある程度焚き付けるというのは、合理的と言えば合理的だ。それでも、マーリトは若い男衆や女衆を焚き付けるような真似まではしていなかったという事もリヒトは知っている。


 そんな中、新たに大人の仲間入りをしたのがクラースだ。

 女衆からも性格や見た目としてのウケ・・が良く、刀術の天才とも言われている。


 そんな男の最初の相手がトゥーラであれば、必然的に今の女衆の子を埋める世代の女性たちに忌避感を抱いていない事も判り、同時に手綱を握ってくれる相手が最初の女性になるという点でも〝都合の良い相手〟と言えるのだろう。

 マーリトがアニタの心情に対して慮るというのも、アニタを特別扱いしているのではなく、里の未来を考えれば当然のサポートという訳だろう、とリヒトは判断し、それをクラースに説明していく。


「――……なるほどな。そう言われれば納得だ。というかお前、よくそんな事も考えつくな……」


「僕は身体が小さくて、クラースが刀術の訓練をしている頃とかも女衆のトゥーラさん世代の人達とか、年寄衆に面倒を見てもらう事が多かったからね」


 刀術の訓練はこの里の男衆なら子供の内から誰もが受ける訓練だ。

 しかしリヒトは里の中でも極端に小柄な身体と、線が細いせいも相まって刀術の才能がないと見られていた。

 それでも我武者羅に鍛え続ける、という事をするような真っ直ぐな気質であれば、劣等感に苛まれ、盲目的に、愚直に刀術の訓練を繰り返していたかもしれない。


 だが、リヒトという少年は「なら他の手を考えよう」とあっさりと見切りをつけられる性格の持ち主だった。

 刀術という自分に向いていないものを鍛えるよりも、速さと動き方、気配というものに着目し、非力さという短所を補うべく術に目をつけたリヒトは、術を積極的に利用する身体的に男衆には劣る女衆や、知識を持つ年寄衆に目をつけ、話を聞くようになった。


 そうした相手に嬉々として話をする年寄衆、女衆からは、術以外にも様々な考えを耳にする機会が多かった。相手は子供、理解はできないだろうと大人が高を括ったところで、しかし子供という存在はしっかりと大人の言葉を受け止め、その意味を推察し、学んでいく生き物である。

 年寄衆や女衆の話をよく聞いていたからこそ、この里に関して聞いていた内容、それぞれから散らばるように断片的に聞いていた情報を己の中で整理し、答えを導き出すという方向に能力を伸ばしたのだ。


 その性質を活かし、かつて失われた術がどのようなものだったのか、術とはどういう風に生み出されてきたのか、どういった使われ方をするのかという話を耳にし、改良するべきポイントを洗い出しつつ術の理解度を深めてきた。


「俺はお前がいてくれて良かったよ」


「何さ、いきなり」


「いや、そういう里の事情とか、俺はよく分からないからな。どうにも難しく考えるってのは苦手だ。でもお前がいてくれたら、俺よりもいい考えをくれる」


 リヒトが育んできた才能の背景についてはなんとなくしか理解していないクラースであったが、リヒトは自分よりも地頭が良いのだろうと割り切っており、そこに年上のプライドだとか、妙なマウントを取ろうとはしない。

 純粋にリヒトを認め、そうしてリヒトを信頼しているであろう事が窺える裏表のない笑みを浮かべてみせたクラースに、リヒトは呆れたように小さく溜息を吐き出しつつも、ふっと頬を僅かに緩めていた。


「そんなリヒトにこそ、俺が大人になったという事をだな」


「雪に埋もれて冬眠してていいよ」


「なんだよ、少しぐらいは聞いてくれよ!」


 吹雪く雪に閉ざされた里の朝だというのに、その場には暖かく和やかな空気が漂っていた。





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