エピローグ
十一年前、『里』への魔物――『
その爪痕は凄まじく、主力となった大人の多くが命を落としながら辛くも討伐に成功したものの、死に際に呪いを周囲に撒き散らした。
そのため、最前線で戦わずにいざという時に備えて後方に控えていた多くの者達までもが、最後の最後で命を落とす事になったのだ。
呪いは凄まじく、『里』にまで及ぼうとしていた。
その呪いを祓ったのは先代の【巫女】だ。
彼女は当時はまだ十五と若く、先々代が急逝したばかりで将来を期待されており、先々代から修行を受けて間もない、半人前の身でしかなかった。
それでも、【巫女】は『里』の仲間達を、そしてクラースやリヒト、アニタといった生まれたばかりの命を護るべく、己の生命すらを〝術〟に込めてその呪いを祓ったのだ。
結果として『里』は守られたものの、その犠牲は大きかった。
働き盛りの二十代から三十代、そんな彼らを指揮していた四十代の現役リーダー格の男衆と、戦いに長けていた女衆のほぼ全員が帰らぬ人となったのだ。
それ以来、『里』の生活は厳しいものとなった。
戦い慣れていない者達が訓練を始め、必死になって『里』の周囲に魔物を寄せないように耐えた。生傷は絶えず、それでも人手が足りないような毎日。仕方なく『里』の産業を絞り、人手をどうにか集めて安全と食事と水の確保だけに注力してきた。
そんな中で、『里』での暮らしに見切りをつけ、『里』を捨てようと生き残った若い数名が訴えたが、これをマーリトは却下した。
その結果として『里』を捨てた者達もいたが、苦しい暮らしが待っている『里』の未来を鑑みれば、『里』を捨てる者達の気持ちも分からないではなく、マーリトには彼らを引き留める事はできなかった。
そうして、今の若い世代達の時代がやってきたのだ。
大事に育てようとした結果、増長した男の子達が大人の仲間入りを果たしたものの、色々な
「……あとはアニタが大人になるだけ、だねぇ」
煙管を咥えてしみじみと呟いてから、マーリトが独りごちる。
彼女の目の前にあるテーブルの上には、今は亡き娘夫婦と息子夫婦の遺品が置かれていて、マーリトが目を細めてそれらに皺の刻まれた手をそっと伸ばした。
「……あんた達に里長の役目を譲ろうとした矢先の出来事だったね。あの時、あんた達や皆が守った最後の子供たち。その二人が大人になっちまうなんて、あれから時が経つのがずいぶんと早いような、なのに途轍もなく遠い過去のような、奇妙な気分だよ」
あの戦いから数年、大人となった若い衆を里長としての命令で無理やり夫婦にしてしまう事もできるにはできたのだが、マーリトはそれをしなかった。
苦しい時代だからこそ、己の意思で選んだ相手と幸せな家庭を築いてもらいたかったからだ。
そうして生まれた子供が次代の希望になる。
そうならなければ、きっとこの『里』に未来はないだろうと、そう思って。
結果として、新たな世代が産まれるまで時間はかかってしまったが、リヒトに対しては、そういう方向での未来はあまり期待していないものの、クラースならば多くの女衆に女としての幸せというものを与えてくれるだろう、とマーリトは考えている。
もちろん、幸せの形というものが何も結婚や出産だけではないとマーリトも理解しているが、それでもだ。
「――マーリト様。宴の準備ができましたので、大広間へお願いいたします」
「……あぁ、ありがとうよ」
女衆の一人に声をかけられ、マーリトはそっと子供達の遺品を壊れてしまわないように優しく両手で拾い上げ、いつも置いている棚の中にそっと戻した。
屋敷内の大広間。
こういった場でしか作らないような豪勢で贅沢な料理の数々や、町で男衆が買ってきた酒の数々などを前に、集まった老若男女は皆そわそわと落ち着かない様子であった。
特に盛り上がる様子を見せているのは女衆だ。
新しい服を着て、わざわざめかしこんでやって来ている者も多く、大人の仲間入りをするクラースに対して好い印象を与えようと考えているのがひと目で判る。
もちろん、クラースやリヒトだけではなく若い男衆を狙っている者もいない訳ではなかった。何名かの女衆は町から戻った若い男衆に話しかけ、町でのお土産話をねだってみせており、それに答える男衆も満更でもなさそうだ。
この『里』で暮らしていると、慶事として『里』の者達が集まれる機会は非常に少ない。
一般的な農村などであれば結婚や収穫祭といったものを執り行うのが通例ではあるのだが、『里』では魔物という存在が常に付きまとうため、普段はそれぞれに己の役割を優先して動いている身だ。そのため、個々にその家へと祝いを告げ、多少の心付けを渡すぐらいが関の山となってしまう。
しかし、新成人となる『成人の儀』のお祝いだけは、『里』の者がほぼ全員で参加する事になっているため、若い者達にとってはちょっとした集団お見合いのような様相を呈しているのだ。
昔から、こうして気兼ねなく集まれる催しというのは、男女の仲を発展させやすい場を作るにはうってつけだったのだが、それは今も変わらないようだ。
過去にこうした場で妻と、夫と出会った年寄衆も、懐かしいような気恥ずかしいような複雑な気持ちをぐっと呑み込みつつ、そんな事を思いながら初々しい若い男女のやり取りを微笑ましげに見つめていた。
そんな中へ、奥の襖を開けた先からマーリトがやってきて、一番奥の上座へとゆっくりと歩いて行き、そして『里』の者達に顔を向ける。
マーリトの近くにいた者達から順に口を噤み、沈黙が徐々に伝播するかのように喧騒を押し流していき、やがてぴたりと声が止んだ。
「――さて、美味い飯に酒があるんだ。ババアの長い話なんぞ聞きたくないだろうからね。いちいち昔語りをするのは自重しておこうかね」
「よっ、いいぞ、オババ!」
「さすが、分かってる!」
「うるさいよ! ったく、あんた達の為にやめてやろうってのに、あんまり調子に乗るんじゃないよ。まあ、こうして新たな成人を迎えられるのも六年ぶりになるんだ。多少はハメを外すぐらいは許してやるけどね」
「早くしろー!」
「お腹すいたー!」
「……あんた達ねぇ……! はあ、まあいいよ。ほら、クラース、リヒト。入っておいで」
野次に少々苛立たされつつもマーリトが言葉を区切って声をあげれば、手伝い役の女衆がマーリトから真っ直ぐ先、左右にずらりと並んで座る『里』の人々のさらに先の正面に位置する襖の前で正座していた女衆の二人へと合図を送る。
合図に気が付いた二人がゆっくりと左右に襖を開ければ、代々新成人のみがこの場で着る事を許される袴に身を包んだ二人が立っていた。
拍手を受けながら最初にクラースが足を進め、続いてその後ろに少し遅れてリヒトもまたゆっくりと進んでいく。
これは成人になった者の顔を見せて知らせつつ、同時に成人となった以上は恥ずかしい真似をするなと、周囲から知られているんだぞと言下に突き付け、責任を持たせるという意味を持たせたものだ。
マーリトのいる上座に向かって進む最中は決して歩調を早めてはならず、返事をしたり手を振って返したりはしてもいいが、立ち止まって喋らず進むようにと言われていたため、クラースもリヒトも適当に手をあげて返す程度に留めて足を進め続けた。
「クラースの後ろにリヒトって、こっちからじゃ見えないな……」
「くくっ、逆だった方がいいんじゃねぇか?」
若い男衆が揶揄するように呟き、くつくつと笑ってみせれば、その声を聞いていた女衆から絶対零度の視線を向けられ、同時に彼らの引率役として後ろに回り込んだリクハルドから拳骨が落ちた。
「ったく、お前たちは……。あの二人が自分たちと違ってモテるからって、くだらん事で文句をつけて溜飲を下げようとするな。大人として情けないぞ」
「痛っつつつ……! り、リクハルドさん、俺ぁ別にそんな真似は……!」
「そ、そうっすよ!」
「あの二人は子供の内から『里』の為に色々な事をやってきたんだ。そんな二人がお前たちの後輩になるんだ。先輩として、情けない姿より憧れられるように振る舞ってこそ大人だ」
「……っす」
「……はい、すんません」
若者から頼れる兄貴分として慕われているリクハルドに叱られる事になった二人の男は、先程マーリトが口にした前回の宴の主役であった二人だ。
十一年前の戦いで、早い段階で傷を負ってしまったが故に前線から運び出されて治療を受けていた。そのおかげで生き残る事ができた、『里』でも数少ない三十代中盤というリクハルドは、若者達の兄貴分として慕われているのである。
そんな彼も女衆からの人気は高いのだが、如何せん若い男衆が少なすぎたことから、無理をしてでも『里』を護らなくてはならない己の立場上、『里』の為に命を投げ出す身。そんな自分が家族を持つ訳にはいかないと己を戒めており、女衆からの誘いも断っていた。
――そろそろ自分も所帯を持ってもいいかもしれない。
クラースが最初にリクハルドに気が付いて軽く会釈してきたため、小さく手を挙げて応えながら、ふとそんな事を思う。
あの戦いで多くの仲間たちを失い、生き残った。生き残ってしまった。
それがリクハルドには、どうしようもなく悔しかった。
仲間達と共に戦い、共に逝けたのであれば、どれだけ良かっただろうかと何度も思ったものだ。
だが、嘆いていられる暇もなかった。
遺された者達を待っていたのは、平穏な日常を取り戻したとは言い難い、人手も少なくなり、余裕のない過酷な暮らしだった。
そんな暮らしを目の当たりにし、取捨選択を迫られた『里』の窮状を見たからこそ、落ち込んでいる場合ではないのだと、せめて自分の代わりに死んでいった者達が愛した家族を、『里』を守ってやる事こそが、生き残った者の責務なのだと、そんな風に己に言い聞かせて今日まで生きてきた。
クラースとリヒトという二人の才能を、実力を知るリクハルドは、これからあの二人が大人の男衆に対して、あるいは子供であるという事によって自重していた枷を外すとなれば、様々な面で暮らしが改善されるかもしれない、と改めて思う。
途端に、ふっと、ようやく己の双肩にかかっていた重責が軽くなったような気がしたのだ。
「――僕のこと、小さいって笑ったよね? あとで呪ってあげるね」
「ひ……っ!?」
「わ、笑ってない! 笑ってないぞ!」
クラースが通り過ぎた後で、リヒトが目だけが笑っていない笑みを浮かべて口を僅かに動かして告げれば、先程リヒトを揶揄した二人が震え上がる。
そんな二人にそれ以上は言い募ろうともせず、にたぁと口角をあげてリヒトも顔を前に向けて進んでいってしまった。
――……正直、クラースよりリヒトの方が怖いんだよな……。何考えてんのか分からないんだよ、無表情でいる事が多くて。
震える二人に自業自得だと言いたげに苦笑を向けたリクハルドがそんな事を考えながら、マーリトの前に到着して膝を折った二人の背を見つめる。
そんな二人の前に差し出された盃に、貴重な酒が少しずつ注がれていく。
「――さあ、未来ある若者の成人を祝おうじゃないか。皆、飲み物を手に持ちな」
マーリトに言われるまでもないとばかりに男衆も女衆も、年寄衆もまたそれぞれに手に盃を持ち、それらを座って手に持ち、僅かに前へと突き出して、続きの言葉を待つ。
「クラース」
「はい。俺の刀は、『里』の皆を守る為に」
「リヒト」
「僕の〝術〟は、
それが魔物だけを指していないんだろうな、とリヒトをよく知る者、リヒトを揶揄した二人は直感的に感じて、苦い笑いをあげる。
クラースとリヒト、二人の前にいるマーリトまでもが苦笑いを浮かべていた。
「――まあいいさ。それじゃあ、乾杯!」
マーリトの合図を皮切りに、クラースとリヒトが盃に注がれた酒を口へと押し流し、それを見届けた皆もまた一斉に盃に注がれた飲み物を飲み干した。
新たな時代を築くであろう、才能ある二人の成人。
それがこれまで続いた『里』の暗い道を照らす一筋の光明になるような、そんな気がして、大人たちは挙って酒を呷り、歌い、そしてかつての友を思い出して涙した。
長い冬を目前に控えながらも行われた数年ぶりの祝宴は、夜遅くまで続いたのであった――――。
――――――――――
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございました。
第一章はここまでとなります。
また、応援やレビュー等もありがとうございます。
この場を借りて御礼を。
次章に行く前に閑話を何話か投稿する予定ですが、
閑話期間中は一週間に3話程度のペースになるかと思います。
次章の改稿が間に合っておらず…_(:3」∠)_
ともあれ、改めて応援ありがとうございます。
引き続きお楽しみください。
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