男衆の帰還
リヒト、それにクラースが『ダンジョン』から戻ってきて十日目。
狩りに出ていた二人が戻ると、何やら『里』の方が騒がしくなっているようだった。
特に悲鳴などの類が聞こえてこない事からも、切迫した空気が漂っているという訳でもなく、リヒトとクラースがお互いに視線を交わし合い、そして頷いた。
「家畜用の荷車の轍もあったし、やっぱり帰ってきてたみたいだな」
「だね。特殊な毒とか受けてたら薬草取りに行かなきゃだし、確認だけしに行こうか」
「あぁ、そうだな。……気付かれないように、そっと、な?」
「分かってるよ」
どうやら【
普段ならば特に警戒する事もない『里』の中への歩みではあるが、二人は何故か緊張した面持ちで気配を殺しながら足を進めていく。
しばらく進んだ先、騒動の中心となっているマーリトの住まう屋敷近く、広場となっているその場所は活気に包まれていた。
町に買い出しに行っていた男衆が、『里』に代々伝わる『魔法袋』という大量に物を詰め込めても見た目や重さは変わらない不思議な袋から、次々に買ってきたものを取り出して並べていく。
町で買ってきた食糧や調味料といった品々、そしてその他にも日用品から農具などまで次々に並べられていくその光景を見た女衆が、お互いにあれが欲しいだの一緒に使おうだのと声を掛け合いながら盛り上がっている。
中でも、特に服や布に対する女衆の反応は劇的だった。
『里』に住まう女衆や、リヒトやクラースのように『里』の外へと出る者以外の服装は町で買ってきた洋服が主流になってきている。
元々は、初代里長のソウジが、夏は甚平か簡素な和服を着て、冬は洋服を着込んでいるという服装をしていたようで、その影響が色濃く残っていたのだ。しかし十一年前、リヒトやクラースの両親が命を落とした戦いによって『里』の生産力が落ちた事から、服や布については現在は『里』の産業からは外されており、基本的には町で買ってきた洋服を着るという形が主流となりつつある。
数が限られ、この機会を逃せば早くても次の季節まで物が手に入らないためか、女衆の話し合いも熱くなりそうなものだが、しかしそうはならなかった。
「――はいはい、盛り上がるのは結構だけどね。布や服の分配についてはいつも通り、それぞれの家の貢献と必要性で決めてあるんだ。恨みっこなしで頼むよ」
パンパンと手を叩いて女衆に声をあげてみせたのは、『里』の周辺の魔物でも、食糧になりやすい獲物を狩る〝狩猟衆〟に所属し、今ではそのトップとも言える実力者の女性、カゲハだった。
背も高くしなやかで長い手足を持ち、赤錆色の髪を頭の後ろで結って纏めている。その額から右頬にかけて魔物の攻撃による傷跡が残っているが、それがかえって気の強そうな顔立ちに凄みを増しているように見える。
とは言え、それは見た目だけの話であり、年上からは真っ直ぐな気質で可愛がられ、年下からは姉御肌で頼られるという女衆の中でも発言力の高い女性である。
「さてさて、みんなは……っと。うん、無事そうだな」
「そうだね。リクハルドがいないけど、オババに報告中かな?」
「だろうな」
二人が広場の近く、その屋根の上からそっと様子を窺いつつ意見を交わし合う。
その姿はまさに忍者そのものといった様子であった。
「よし、じゃあ見つかる前にさっさと――」
「――んおっ? おーい、そこの屋根の上! クラースとリヒトだろ! おかえり! ほら、あんたらもこっち来な!」
「……見つかっちまった……」
「……聞こえなかったフリはできなさそうだね」
明らかに表情を引き攣らせるクラースと、遠い目をして呟くリヒト。
諦めた様子で屋根から飛び降り、二人が女衆の集団の近くに向かっていくと、カゲハがわざわざ男衆の買い出し商品の近くまで寄れるように他の女衆に道を空けさせた。
逃げ場を完全に塞がれた気分になる二人を他所に、カゲハは二人が近づいてきてからにかりと裏のない笑みを浮かべてみせる。
「おう、来たね、二人とも。ほらほら、みんなもうちょい空けてやってくれよ。リヒトが見えないだろ?」
「ふ……んんっ。あー、わざわざごめんな。別に足りないものとかはないんだけどさ」
「ねえクラース、今笑った? 笑ったよね? 誤魔化せたと思ったの? ねぇ?」
「ばっ、おいやめろ! 脛蹴るな!」
カゲハには悪気がない事はリヒトにも理解できた。何せ彼女は猪突猛進と言うべきか、とにかく真っ直ぐな気質を有した女性であり、単純に周りの女衆が壁になったらリヒトが見えないからと気を遣っただけの、優しい心遣いである。
だがクラースが僅かに笑った事については、リヒトも見逃すつもりはなかった。
脛をげしげしと蹴りつけてみせれば、クラースが嫌がってその場で踊るようにそれを避ける。
そんな二人のやり取りに女衆からくすくすとした笑い声が漏れ始める中、カゲハがちょいちょいと二人に手招きした。
「仲が良いのは結構なんだが、早く来いよー。あんたら、いっつも余り物ばっかだろ? たまにはちゃんと好きなもの選べよな」
「そういえばそうねぇ。二人だってしっかりと『里』を支えてくれているんだもの」
「そうね。足りないものとかいつも狩ってきてくれてるって話だし」
「クラースくんなら、こっちの布どう? リヒトくんはそうね、こっちかしら。私、服作ってあげるわよ?」
「あら、じゃあ私は料理でもご馳走しようかな。好きな食べ物とかある?」
「あ、じゃあ私は二人の装束も作ってあげるわね」
カゲハの一言を皮切りに、女衆による構いたがりが始まる。
その状況にクラースが苦笑しながら答え、リヒトはリヒトで心を虚無にしたかのように目から光をなくした。
クラースとリヒトは基本的に毎日のように『里』の外に出て行っている。
もちろん、毎日狩りをしなくてはならないという程までは『里』も困窮している訳ではないのだが、狩りついでの〝術〟の試行であったり、刀術の新たな戦い方の研究であったりというそれぞれの目的の為でもある。
そうして、「ついでだから」という理由で『里』の備蓄で足りないものや、手に入りにくいものを持って帰ってくる、というのが二人の行動の基本方針となっている。
そのため、子供でありながらも『里』に貢献してくれている事を知る女衆は、その御礼に構おう、甘やかしてあげようという女衆が増えつつあった。
逆にリヒトとクラースはそれに関わるのが煩わしく、逃げるように『里』の外に出てはまた何かを持ち帰って、その度にまた女衆に構われてという奇妙な悪循環が生まれていた。
そんな悪循環が続いている中、よりにもよって女衆が集まるこの場所に姿を見せた結果、二人に構いたい女衆がここぞとばかりにお姉さん風を吹かせて構おうとしてくる。
こうなるであろう事を予測していたからこそ、遠巻きに確認してさっさと立ち去ろうとしていたのだ。
よりにもよってカゲハのせいでそれができなくなってしまったのだが。
「ほらほら、あんたら落ち着きな! ったく、そんな構おうとするからこいつらが逃げるんだっての。だから屋根の上からこっそり覗いてたんだろ?」
「……まあ、それはそうだけど。よく気付いたな、カゲハ」
「クラース、あんたの気配のおかげさ」
「げ、俺のせいか」
「あっはっはっはっ! 獣、魔物の気配を狩る〝狩猟衆〟のあたしだぞ? 気配には人一倍敏感なのさ」
カゲハの所属する〝狩猟衆〟は、魔物を討伐する事を目的とするよりも、その目的はあくまでも狩りなのだ。食糧を手に入れる為に無駄に傷付けないよう、気配を消し、気付かれないように罠を張り、そうやって戦う生粋の狩人である。
ただでさえ気配を読む、隠すという点においては『里』の中でも随一とも言える〝狩猟衆〟の最上位と言える実力者であるカゲハにとってみれば、クラースは「隠れてはいるものの気配まで隠せていない」という認識であった。
当然、そんな存在が屋根の上なんかにいるのであれば、カゲハから見れば遠くから普通に見ているよりもかえって目立つというものである。
「くそ……。って、あれ、俺の気配って、リヒトは?」
「あー、あたしにゃ無理だよ、リヒトの気配を読むなんて」
「え、カゲハでもそうなのか?」
「リヒトは完全に周囲に溶け込んじまうんだよ。だから、違和感を読み取る私たちみたいな〝狩猟衆〟とか、魔物とか獣にとっては天敵みたいなもんだよ」
「天敵って、酷い言われよう」
「あっはっはっ、わりぃわりぃ! ほらほら、二人とも! いいから選びな! ウチら女衆はあんたらには誰も文句なんて言わないさ!」
カゲハに追従するように周囲の女衆も肯定の声をあげる中、クラースはちらりと男衆に目を向け――女衆からキャッキャキャッキャと言われているせいか羨ましげというべきか、或いは恨めしげというべきか、そんな目を向けられている事に気が付き、見なかった事にした。
「……はあ。リヒト、諦めて選ぼうぜ」
「うん」
「おう、選べ選べ! なんせあんたら、『成人の儀』を乗り越えたんだろう? オババから聞いた――痛ぁっ!?」
周囲がカゲハの発言でざわつく中、その後頭部にガツンといい音を立ててマーリトの杖が叩きつけられ、後頭部を抑えながらカゲハが涙目で振り返る。
そこには般若もかくやと言わんばかりに怒りを顔に湛えたマーリトが立っており、カゲハの顔が段々と青褪めていった。
――あーあ、これは雷落ちるかなぁ。
その場にいた誰もがそう感じて固唾を呑む中で、しかしマーリトは深い溜息を吐いてから、カゲハの隣を歩いて周りを囲む女衆、そして男衆たちの顔を見つめた。
「しょうがないね。カゲハの言う通り、この前、クラースとリヒトが『成人の儀』を見事に突破した。けれど、この二人はまだ子供の年齢だからね。クラースはともかく、リヒトは次の春から正式に大人の仲間入りとするよ。成人祝いは明日だ、今日は男衆が帰ってきたばかりだからね。今日はしっかり休んで、明日は宴だよ」
マーリトの宣言と共に女衆からは黄色い歓声が上がり、男衆はどちらかと言えば新たな大人の仲間入りを喜びつつも、その年齢で早くも大人入りかと感心するような声が多い。
もっとも、町に買い出しに出ていた男衆たちはどちらかと言えば目を丸くしていて、中でも一番年下の世代にあたる何名かは面白くなさそうに少々不機嫌そうにも見えたが、それに気がつく者はいなかった。
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