ワガママの使い方
「――わたしも行きたい! 連れてって!」
これで何度目だろうか、とリヒトとクラースがお互いにどうにかできないかと助けを求めるように目を合わせ、お互いに同じ事を考えていたらしいと苦笑する。どちらもお手上げといった様子であった。
二人の目の前で騒ぎ立てているのは、アニタであった。
彼女はリヒトとクラースが『ダンジョン』なるものを見つけ、その場所で力を得たのだという事も含めてマーリト、それにトゥーラが話し込んでいた際に話を聞いてしまったようである。
そうしてマーリトとトゥーラに声をかけるよりも早くリヒトとクラースを『里』の入り口で待ち伏せし、見つけ次第突っ込んできたためにこの有様である。
「アニタ、お前も近い内に連れて行く事にはなる。が、オババが誰が誰を連れて行くかって決めるんだ。俺らにそんな事を頼み込んでも、俺らが勝手に連れて行くってのはできないぞ?」
「なんでよ、クラースのバカ! あんぽんたん!」
「アニタ、落ち着いて」
「もーっ! なんでリヒトまでダメって言うの!?」
「『ダンジョン』には男衆が数人がかりでかからないと倒せない魔物だって出てくるんだ。そんな場所に行くってなったら、相応の準備が必要だよ。オババのお屋敷に遊びに行くのとは訳が違うんだよ、アニタ」
「それは……。でも、リヒトとクラースなら大丈夫でしょ!?」
「ダメなものはダメだ」
「なによ! クラースのケチ! バカ! むっつりスケベ!」
「むっつりスケベ!?」
リヒトの説明で僅かに納得しそうな流れが生まれつつあったのだが、しかしクラースの有無を言わせないノーを突き付ける言葉に、再びアニタがへそを曲げてしまったようであった。
こうなってしまうとなかなか言う事を聞かなくなってしまうため、うまく宥める必要があるのだが、如何せんアニタのご機嫌を回復させるような手土産を今日は持ち帰っていない。
それにしても、とリヒトは思う。
どういう訳か、アニタはクラースに対して異様に沸点が低い。すぐに噛みつくのだ。
それでもなんだかんだでアニタはクラースの言う事に最後には従うものだから、ちょっとした反抗期のようなものだろうと考えていた。
しかし、妙な必死さというようなものを感じて、リヒトはその考えを改めた。
そんなリヒトに気が付かずにどうしたものかとクラースが溜息を零していると、リヒトがクラースへと振り返った。
「クラースは倉庫に獲物を入れたら、オババとトゥーラさんに狩りの成果を報告してきてもらえる?」
「……はあ。そうだな、どうにも俺がいるとダメそうだ。あとは頼むぞ、リヒト」
「うん、こっちは任せて」
短くやり取りして、クラースがその場から去っていく。
そうしてその姿を見送り、クラースが曲がり角を曲がって見えなくなるまで待ってから、ようやくリヒトは口を開いた。
「アニタ。少し、お話ししようか」
「……分かったわ」
先程までの癇癪を起こしてへそを曲げていたような態度からは一転して、未だに少しばかりむすっとした様子ではあるものの、アニタがリヒトの提案に素直に頷いた。
そんな姿を見て、リヒトは「嫌な予想が当たっちゃったかなぁ」と胸の内で小さく呟きつつ、差し出してきたアニタの手を優しく握って『里』の畑に続く道を進んだ。
厳しい冬が近づいていて、徐々に日が短くなってきている。
外での狩りを早めに切り上げて戻ってきたからいいものの、あまり長い時間は取れそうにない。
そんな中でアニタとリヒトがやってきたのは、『ダンジョン』のある小川から水を引いている畑のある一角、民家とも少しばかり離れた場所だった。
季節が季節なだけに草花はだいぶ落ち着いた色合いをしているが、それでも冬に咲く白い花々が植えられていて、柔らかそうな厚めの花びらを揺らしているこの場所は、周りに話を聞かれたくない時に何度かやって来た事のある、リヒトとクラース、そしてアニタにとっても馴染みの場所だ。
リヒトが土手になっているその場所に腰を下ろすと、アニタがリヒトの横に小さく蹲るように膝を抱えてしゃがみ込んだ。
「……ねぇ、アニタ」
「……ん」
「クラースが嫌い、って訳じゃないよね。もしかして、クラースのトゥーラさんに対する態度が気になってるんじゃない?」
「……っ!」
――あぁ、やっぱりか。
僅かに身体を身動ぎさせたアニタに、リヒトは嫌な予感が見事に的中したのだと改めて実感する。
クラースはトゥーラに、アニタの母に想いを寄せている。
その熱は、二人称での呼び名をトゥーラ母さんというものからトゥーラさんというものに変えたあたりから、しっかりと見ていれば気付けるような変化をもたらした。
リヒトがクラースの気持ちに気が付いたのは、その些細な変化からだった。
クラースの気持ちが段々と熱を帯びていくのを、傍にいる時間の長いリヒトだからこそ容易に気がつく事ができたのだ。
でも、それはリヒトだけじゃなくて、アニタも気が付いていたのだろう。
自分の母親に向けられた
本能的にその視線が孕んだ意味を、アニタは感じ取っていたのかもしれない。
そう考えてリヒトが記憶を思い起こせば、クラースがトゥーラに対して接し方を変えたその頃からなのだ。アニタが癇癪を起こしやすくなったのも。
「……ねえ、リヒト。……母上、取られちゃうの……?」
そして今、クラースが『成人の儀』を突破して大人になった事で、クラースを止めていた一つの枷とも言えるものが、歯止めとも言える箍が外れてしまう。
本能的にそれを感じて、アニタはその不安を生み出したクラースをどうしても受け入れられないのだ。
リヒトにとってもアニタは妹で、トゥーラは母親だった。
ただ、生来の気質からして達観とまでは言わないものの、どこか己を客観視してしまう性質だからこそ、今アニタが抱いているような不安と言うべきか、或いは変化に対する恐怖のようなものは感じられない。
シンプルに年の頃や『里』の状況、それにクラースの抱いた想いを鑑みて、そこのリヒト個人の情というものを排して判断してしまう傾向があった。
それは、どちらかと言えば大人に求められる判断基準であって、アニタにそれを求めるというのは酷な話だろう、とリヒトは思う。
子供であるアニタにとってみれば、母親はあくまでも自分だけの母親で、リヒトやクラースは兄のようで、けれど従兄弟のように少し遠い存在でしかない。
そんな大事な肉親を誰かに専有されてしまうのではないか。自分はいらなくなってしまうのではないかという不安が生まれてきて、けれどそれを上手く言語化できない。
だから、苛立つしかない。それが精一杯のアニタなりのアピールであって、それがアニタなりの主張だったのだと、今更ながらにリヒトは気が付いた。
「ねえ、アニタ。クラースはね、トゥーラ母さんの事が好きなんだよ。そしてアニタ、キミの事も好きなんだ」
「嘘よ。だってクラース、わたしに冷たいもの」
「ううん、嘘じゃないよ。クラースは素直じゃないんだ。だからアニタを可愛がる時はついつい強い言い方をしちゃうし、ついつい素っ気なくなっちゃう。でも、クラースは本当にトゥーラ母さんの事と同じぐらい、アニタの事も大好きなんだよ」
「……そんなの、信じられないもん」
「うん、無理に信じろなんて言わないよ。アニタの中にある気持ちは、アニタが整理していかなくちゃいけない。そこに僕やクラース、トゥーラ母さんだって、口を出しちゃいけないんだ。アニタの気持ちなんだから、アニタ自身がしっかり決めて、整理していかなくちゃいけないものだからね」
リヒトは、思う。
人の気持ちはたとえ肉親であろうが、恋人であろうが、誰かに決める事なんてできないものだ、と。
こうと決めてしまったものに対して周囲の者たちにできる事と言えば、どう考えられるかのアドバイスや、こういう見方もあるという提案だけで、最終的に決めるのはどうしたって自分になるだろう、とも。
だからこそ、アニタに強制するつもりなんてリヒトにはなかった。
「クラースはね、アニタ。キミを含めて、キミと一緒にいるトゥーラ母さんが大好きなんだ。だから、アニタを除け者になんてしないよ。絶対に守ろうって、そう決めているんだよ。トゥーラ母さんがアニタを絶対に守ろうとしているように、自分もまた二人を守るってね。だから、トゥーラ母さんをアニタから取ろうとしているんじゃないんだよ」
「……難しくてよくわかんない」
「うん、それでいいよ。でも、いつかはきっと分かるようになると思う。今すぐじゃなくていいし、クラースに対抗してみせたっていい。だけど、それをするならちゃんと真っ直ぐぶつかっていかなくちゃね」
「真っ直ぐ、ぶつかる?」
「うん。あ、刀を使って戦うとかって意味じゃないよ? クラースは強いからね。僕だってクラースと戦わなきゃいけないってなったら真っ直ぐはぶつかりたくないしね」
「……ふふ、ヘンなの。当たり前よ。わたしだってクラースが強いって知ってるもん」
少し空気を弛緩させるように肩をすくめてリヒトが言ってみせれば、アニタはようやく少しだけ元気を取り戻したのか、くすくすと笑う。
そんなアニタの頭をわしゃわしゃと撫でて、リヒトは続けた。
「アニタはもっとこうして欲しいとか、こうやって欲しいとか、いっぱいいっぱい言ってごらん。ダメなものはダメだって言われるかもしれないけど、だからってそれはアニタの事が嫌いだからそう言ってるんじゃないんだ。どうしてダメなのか、何がダメなのかを教えてほしいって言ってごらん」
「……でも、それはワガママだって言われる」
「変なところでワガママを気にするね、アニタは。普段はすっごいワガママなのに」
「ちょっと!」
「あはは、冗談だよ。いいかい、アニタ。当然、言っちゃいけないワガママもある。それは他人を困らせるようなワガママだね。でもね、言ってもいいワガママもあるんだよ」
「言ってもいい、ワガママ?」
「うん。時にはそういうワガママが必要だったりするんだ。どれが許されて、どれが許されないワガママなのかは、家族を相手に試して覚えていくといいよ。もちろん、僕もクラースもアニタの家族だ。だから、どうして欲しいとか、こうして欲しいっていっぱい言ってごらん。でも、無理なものを押し通そうとするのはダメだよ? ちゃんと無理なものは無理って納得しなくちゃいけない。で、ちゃんとその理由を教えてくれたり、ワガママに相手が応えてくれたら、ちゃんとありがとうって言わなくちゃね」
「……うん。でもね、前にクラースにね? お土産ほしいって言ったら、ちゃんと用意してくれたの。それでお礼言ったのに、ヘンな顔してるって笑われたの」
「あー……」
クラースも悪気はないのかもしれないが、それは女の子に対して失礼な、どちらかと言えばタブーな一言であった。
どうにかして少しお灸を据えてやらなきゃいけないと考えて、リヒトはアニタに告げる。
「いいかい、アニタ。もしも次クラースにそう言われたら、こう言い返してあげてごらん――」
――ここは致し方あるまい。
どこぞの老練の賢者よろしく一人覚悟を決めて、リヒトはアニタに魔法の言葉を授けたのであった。
「おう、リヒト、アニタ。帰ってきたんだな」
「うん、ただいま」
「……ただいま」
唇を尖らせながら、けれど声をかけられたからには返事をしようとするアニタが、気持ちを押し殺して言葉を返す。
それを素直に受け取ってあげればいいのに、とリヒトは思うのだが、しかしクラースには少々デリカシーというものが足りていなかったようで、そんなアニタの顔を覗き込んだ。
「なんだよ、アニタ。まーだむすっとしてんのか?」
「してないわよ!」
「はいはい。なら口を尖らせて変な顔してないで、さっさと手洗ってこい」
それだけ言ってクラースが余裕綽々な様子で顔をそっぽ向けた途端、アニタが「今よね!?」と言わんばかりにリヒトを見上げた。
そんなアニタに、リヒトが真剣な面持ちで重々しくこくりと頷いた。
そしてアニタが、言い返す。
「ヘンな顔なんてしてないわよ! クラースが母上の後ろ姿を見てる時の顔の方がヘンなんだからね!」
「ぶほっ!?」
「鼻の下伸ばしちゃって情けない顔だもの! それよりはマシだもの!」
「ぐは……っ!」
そのカウンターが見事にクラースをノックダウンに追い込んだ事に、アニタがすっきりしたと言いたげにリヒトへと嬉しそうに振り返り、リヒトもまた再び、老練の賢者よろしく重々しく頷いて返すのであった。
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