本格的な冬に向けて




「…………はあ」


「……」


 隣にいるクラースから聞こえてくる、重い溜息。

 今日だけで一体何度耳にしただろうかと思いながら、リヒトは嫌そうに顔を顰めてクラースへと顔を向けた。


「クラース」


「……おう」


「うざい」


「うざいっ!? お前っ、傷心の俺に向かってそれ言う!?」


 クラースにとってはショックな一言ではあるしれないが、何度も何度も虚空を眺めながら重苦しい溜息を吐く相手と行動を共にしている第三者にとってみれば、「うざい」という評価はあながち間違ってはいない。

 ましてやその理由が自分とは関係のない所にあるものであれば尚更だった。


「あのさ、クラース。トゥーラさんに『そういう風に見ていなかったから、急にいきなり男女としては考えられない』って言われただけで、断られたって訳じゃないでしょ?」


「なんで知ってんの!?」


「昨日の夜、トゥーラさんが夕飯を持ってきてくれた時についで相談してきたから」


「おうふ……」


 リヒトの住む家は、元々がリヒトの両親が生前に使っていた家であり、クラースの家もまた近くの家に住んでいる。

 基本的に『里』では引っ越すこと、或いは別居するという考えはなく、血族と共に同じ家を使い続けるのが一般的であり、リヒトやクラースのように親がいなくとも家はある。

 食事の時間などだけは世話役を買って出てくれているトゥーラの家に集まる、という暮らしをしていた。


 昨夜、『成人の儀』を無事に終え、マーリトに背中を押されるようにトゥーラに気持ちを伝えるように言われたクラースは、意気揚々と、とまでは言わないが、逸る気持ちをどうにか抑えつつトゥーラの元へと向かい、そして想いを告げたのだ。

 そうしてその結果、リヒトが言った通りの答えを口にされてしまい、そのまま夜が明けて今に至る、という状況であった。


 一方でリヒトは、昨夜は自分の家へと戻って早速とばかりに消耗した『術符』の補充と、それらを括り付けた棒手裏剣を『〝理外〟の術装具』に収納し、使い勝手を試したりとそれなりに忙しく過ごしていた。

 クラースのように武器一本あれば良いという訳ではないため、大物の狩りを行った日や、数をこなした日は、こうして次の戦いに備えて『術符』の用意をしなくてはならない。

 そういう夜はだいたい保存食代わりの干し肉を齧りながら作業をする事になるのだが、わざわざトゥーラは軽食を用意してリヒトの家にやってきたのである。


 もっとも、どちらかと言えば軽食を持っていくという口実を作り、リヒトに相談しにやってきた、というのが正確なところであり、リヒトもまたそれに気が付いていた。


「な、なあ、リヒト。トゥーラさん、その、他に何か言ってなかったか?」


「うーん……。まあ、困惑はしていたけれどね。実際、クラースの事をそういう相手・・・・・・としては見てなかったみたいだし、自分には子供もいるのだから、子のいない女性を優先した方が、とか色々言ってたよ」


 もじもじとしながら、どこか頬を赤らめながら困ったような表情を浮かべて気持ちを吐露するトゥーラ。その表情は、自分が女として見られていた事に困惑はしているものの、明らかに良い反応ではあったのだ。

 しかし、そんなトゥーラに目もくれずに『術符』を作りながら話を聞き流すというのがリヒトである。表情の変化に気付くどころか、「僕に話して何がしたいんだろう」ぐらいの感想しか抱いていない程度には恋愛相談に対して無関心な存在である。


 基本的に〝術〟の為の作業をしているリヒトは話を聞いていないという事ぐらい、トゥーラも理解しているため、ただただ話を聞いてほしい、誰かに吐露したいという気分であっただけなのだろう。

 そういう意味では、リヒトは答えを求めずに話しながら気持ちを整理するにはちょうどいい相手とも言えた。


「でもさ、これからなんじゃない?」


「これから?」


「トゥーラさんは一言も嫌だとか有り得ないとか、そういう言葉は言ってなかったよ。僕らにとってみれば母親代わりというか、姉代わりというか、まあそんな人ではあるけれどさ。クラースがこれからもしっかりとアピールしていけば、進展するんじゃないかな?」


「――っ、そ、そうか……!? そうだよな!?」


「知らないけど」


「ぬぐ、お、お前なぁ……!」


「少なくとも、入り口には立ったって事でしょ。頑張って」


「……お前、本当に応援してんのか、それ」


「他人の恋愛事情なんて割りとどうでもいいと思ってるけど?」


「おいこら」


「ただ、クラースとトゥーラさんが早めに決着してくれないと、空気がぎこちなくなるでしょ。僕はともかく、アニタまでそれに巻き込むつもり?」


「う……。確かに、それはそうだな……」


「でしょ? だからさっさとくっつくか諦めるか、答えを出せるように動いた方がいいよ。町に買い出しに行ってるみんなが帰ってきたら、成人祝いが行われて大変な事になるだろうし」


 成人祝いとは、『成人の儀』で大人の仲間入りをした者を『里』全体でお祝いする行事だ。その日はマーリトのいる屋敷に『里』の全員が集まり、それぞれに料理や酒、飲み物などを持ち寄っての宴会が開かれる。呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎになること間違いなしだ。


 しかし、リヒトが言う「大変な事」とはその宴会ではない。

 大人の仲間入り――つまり、女衆からも一人の男として見る事が認められる事になれば、これまで「子供相手におかしな真似をしてはいけない」という『里』の教えを守っていた女衆が、大人の男となったクラースを相手に堂々と積極的なアプローチを行う事が許されるようになる、という点を指したものだ。


 クラースは背が高く、当然ながら身体も引き締まっており、顔も中性的で整っていて切れ長の目を持っているため、非常にモテる・・・

 特に現在の若い男衆に対し、女衆からの評価が底辺にまで落ち込んでいる状況で、新たに大人の男としてクラースが加わればどうなるかなど、他人の恋愛事情に興味を持たないリヒトですら想像に難くない。


 リヒトの想像は決して言い過ぎ、あるいは考え過ぎというものではない。

 現在女衆の間ではクラースイケメン派とリヒトショタ派に分かれてどちらがいいかと裏で盛り上がっていた。若い女衆は大体がクラースイケメン派に名を連ねているが、一方で少々年上の女性陣ではリヒトショタ派の比率が多かったりもするが、総数で見れば圧倒的にクラースイケメンに軍配が上がっている。


 そんなクラースを堂々と女衆が狙える事となれば、どうなるか。

 いくらクラースとて、若い男子である。

 トゥーラに対する純情な想いをそれまでに成し遂げなければ、欲に傾いてしまい、純情な想いが明確に決着する事もなく、あれよあれよと言う間に美味しくいただかれかねない。


 それぐらい、相手がいないせいで子供もいない女衆は多く、そしてそんな女衆は肉食系・・・なのだ。


「あー、まあ、お祭り騒ぎになったり上の連中に連れ回されたりしたら、そりゃ大変だろうな……。って、なんだよ、その目は」


「うん、やっぱり早くしっかりアプローチした方がいいと思うよ」


 見当違いな事を口にするクラースにじとりとした目を向けた後で、リヒトは説明を放棄してそれだけを告げて、会話を打ち切った。


 この時、リヒトはクラースに対して「何も分かってないなぁ」などと呆れたように頭の中で考えていたのだが、しかし分かっていないのはリヒトも一緒だった。

 子供を欲しがる女衆はクラースイケメンを相手にするよりも、母性本能が強く、リヒトショタ派が多いのだという現実を、この時のリヒトは理解していなかったのである。


「……そうだな。分かった、リヒト。俺、頑張ってみるわ」


「うん、そうだね」


「ふう……、よっし! んじゃ、まずは肉集めだな。そろそろ本格的に雪も降り出す頃だ。薪も足りてるよな?」


「とりあえずはね。でも、今年は冬が長くなりそうだから備蓄分も回すって話だよ。今から伐採したってどうせ乾燥しないしね」


「ま、そりゃそうだな。んじゃ、毛皮持ち、肉多めって事で森の方まで行くか。試し斬りついでに〝術技スキル〟と魔法も試したいところだ。ある程度俺がやってもいいか?」


「うん。僕はまだ新しい〝術〟とか作れてないし、サポートに回るよ」


 本格的な冬が近づく中、二人は雪が降り出す前にと冬支度のために森へと向かった。








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