神との邂逅 Ⅰ




「待っていたよ、リヒト――おおぉぉぉっ!?」


「……チッ」


「舌打ち!? というか今我ながらすっごい身体後ろに反ったんだけど!? 日常生活においては有り得ないぐらいの反りっぷりだったよ!? ってちょっと待って! なんで新しい棒手裏剣抜いてんの!?」


「さっきまで全然喋らなかったくせに、ずいぶん喋るようになったね」


「あれは私のだからね! よく気付いた――って、ちょおい!? なんでまだ投げるの!? 待って! 話を聞いて! 戦う気なんてないって!」


 そこまで言われて攻撃を繰り返すつもりはなくなったのか、リヒトが僅かに腰を落として即座に戦える体勢から僅かに力を抜いて、上体を起こした。

 対する若い男性は、「あー、あぶな。マジ焦った。狂犬?」などとブツブツと呟きながらも身体を手で軽く払ってみせている。


 ――あんな態度を見せているけれど、あれはポーズ・・・だ。

 リヒトは男を観察しながら先程からの一通りの対応全体を含め、それらが男の本質を示したものではなく、そのように装っている見せかけのものだという事に、なんとなく気が付いていた。


 生き物から感じる息吹というべきか、あるいは動作を含めた呼吸というべきか、そういったものが『一切目の前の男から感じられない』という違和感が強すぎて、いくら親しげな態度を取られてもそれに同調してペラペラとお喋りに興じるような気分にはなれない。

 底知れない、得体の知れない相手を真っ向から受け入れられるほど、リヒトは――『里』に生きる者は、甘くない。


「まったく、いくら温厚でイケメンな私でもさすがに――ねえ待って? ほら、今のは場の空気を和らげるための、ほら、ゴッドジョークってヤツでね? うん、だからほら、その手に持った苦無、ホルダーに戻して?」


「自分で自分をイケメンとか言い出すヤツに碌な人間はいないよ」


「辛辣っ!? いや、でもほら、私人間じゃないし。神だし」


「…………へぇ」


「ねえ待って? なんでちょっと痛い人を見るような感じでこっちを見てるの? 神よ? ホントよ? 別に思春期特有の大人になるにつれて増長した万能感とか、自分が特別な存在だと自分で承認欲求を満たそうとしてるとか、そういう自称とかの痛いアレじゃなくて、本物だよ? ねえ、その目どうなの? ねえ!」


 自分で自画自賛するのも、何故か根拠のない万能感に酔い痴れるのも、己の上の世代――つまり、現在リクハルドに連れられてメレディスに出ている者達――の醜態を見てきたリヒトはよく知っている。

 どこから湧いて出て来たのかも分からない自信に溢れ、現実に直面してぽっきりと折れてしまい、逃げ場のない『里』での事であるだけに、年上連中に未だに揶揄されているまでのワンセットである。

 リヒトとクラースの生まれ育った『里』に、それを見逃してやろうという慈悲はなかった。


「うわぁ……。キミの『里』、えげつないね……。若気の至りが生涯背負い続ける重傷じゃん」


「……なんでそれを知ってるの?」


「なんでって、今キミが思い浮かべた情報から読み取って、だよ。言っただろう? 私は神だって。それぐらいは造作もないんだよ」


「……人のプライバシーを堂々と覗き見ておきながら、自慢げに語られても困るんだけど」


「そういう捉え方になるところぉ!? 違うよね!?」


「冗談だよ」


 軽い物言いで相対しているリヒトであったが、しかしリヒトもリヒトで目の前の青年が本当に神という存在である可能性を否定できずにいた。


 このような場所に突然飛ばされ、クラースの姿もない。

 こんな干渉を行えるとすれば、もしかしたら神という存在であってもおかしくはないのかもしれない。

 だが、もしも目の前の存在が本当に神であったとして、そんな彼に敵意があるのであれば、自分程度はあっという間に倒れ伏しているはず。

 どうやら向こうには無理やり言う事を聞かせたいというような意図はないようで、攻撃を仕掛けてなお気さくな様子で接してきている以上は、敵意はないと判断してもいいだろう。


 とは言え、敵意がないにしても、見知らぬ相手に完全に心を許すつもりはないのがリヒトという少年である。

 気持ちを切り替えるように小さくため息を吐き出して、改めて男を視界に収めつつも周囲へと視線を配る。


 夜空に浮かぶ満天の星空と、どこまでも広がる、何もない草原。

 本来ならばぼんやりと足元や周囲が見える程度の光量しかないはずなのに、しかしリヒトの目には、昼間のように草の一本一本をしっかりと目視できてしまう。


 結果として、不思議な空間であり、不思議な相手。

 それ以外に何か情報を得るという事はできないようだと判断して、改めて青年――神を名乗る青年へと意識を集中させると、青年がリヒトの思考を読み取ったかのように肩をすくめて見せた。


「私は紛れもなく神で、ここは私がキミとの語らいの為に創った空間だよ。草の一本ずつが陽の光もないのにしっかり見えるのも、私の姿やキミ自身の姿を視認できるのも、『そういう法則の場』だから、というのが正しい」


「……なるほど。本当に神様なんだね」


 素直に認めるリヒトに対し、男は僅かに目を丸くしたかと思えば、すぐに肩をすくめて苦笑を浮かべた。


「そう。もっとも、キミ達のような人間が思い描くほどの万能な存在なんかじゃあないんだ。そりゃあ人に比べれば色々な力は持っているけれど、全能ではない、とでも言うべきかな? ガッカリしたかい?」


「さあ?」


「さあ、ってなに!?」


「神様がいる、って事は『里』にも伝わってるから知ってるよ。でも、神様がなんでもできるかどうかなんて、知った事じゃないから」


 一般的には村であろうが町であろうが、創造神とその下にいるという神々を信仰し、崇拝する〝創聖神教会〟というものが広まっている。

 〝創聖神教会〟は決して政治には関与せず、権力を求めず、ただただ神の教えを広める教会として知られており、そんな教会からは村であろうが町であろうが神父、あるいはシスターが派遣されてきて、教えを説きながらも簡単な文字の読み書き等を行っているため、どこでも歓迎される。


 しかし、リヒトとクラースが生まれ育った『里』に教会から神官やシスターが派遣されるという事はない。そのため、神々がどれだけ素晴らしいかという教えなども存在していないのだ。

 この世界の人々が抱いているような、神に対する信仰心――否、なんでもできるであろうというような過度な期待とも言えるような代物も、そもそも存在していないのである。


「……なんだろう、それはそれでちょっとショック。え、無神論者……ではないよね、神っていう存在を知ってるなら」


「知ってるからって期待するかと言えば別の話でしょ?」


「おっふ……。この子、なかなかにドライだよ……」


 たとえば未開の地で暮らしている部族のような存在でさえも、狩猟を司る神であったり偉大な大地を神として称える事もあるというのに、『里』では「神様? あぁ、いるらしいね。すごいんだってさ。何が? しらんけど」程度の認識でしかなく、当然ながらに偉大な存在だの万能の存在だのというような理想は抱いていない。


 世界的に見ても、あまりにも少数派な考え方をしている一族であった。


「まあ、うん。それでこそ、とも言えるのかな?」


「それでこそ?」


「うん、そうだよ。『ことわりの系譜』を受け取らなかっただろう?」


 その一言に、リヒトの眉がぴくりと動いた。


「キミは確かに、自分の力で為したいと考えているし、キミがこれまでに積み上げてきたものに対する自負というものも、矜持というものもあるようだ。けれど、それだけじゃない・・・・・・・・だろう? キミが『ことわりの系譜』を受け入れなかった理由は、さ」


 神を名乗る青年はリヒトの顔色を確認するまでもなく、リヒトに背を向けると、両手を広げて高らかに満天の星空へと届けるように、さながら歌うように続けた。


「『ことわりの系譜』。その恩恵は戦いに身を置く者であれば誰もが欲するような代物と言えるだろう! 強さへの近道になるし、『位階』が上昇する事でそれらが〝術技スキル〟となって宿り、魔法として使えるようになる! 身体能力でさえも少しずつ上昇するんだ! あぁ、なんて素晴らしい恩恵なんだろうか! デメリットだってないんだから、受け入れて当然、そう思うのが当然だろう! そう、キミの相棒とも言える彼のように! ――なのに、キミは違った」


 打って変わって静かな言葉で区切り、青年がリヒトへと振り返る。

 その顔には柔らかな笑みが、喜びをじんわりと噛み締めているかのような温かさが湛えられていた。


「キミは気が付いていたんだ、リヒト。キミの『里』の初代里長。彼が持っていたアンバランスさに。力を持ちながらも、しかし力を持つ者に相応しくない言動から見えてくる本質に。まるで弱者が力だけを持ち、強さの性質と本人の本質が伴っていない奇妙さに。そんな存在が『どのようにして作り上げられたか』を、『ことわりの系譜』というシステムによって生み出された存在だと結びつけたんじゃないかい?」


 リヒトも薄々感じていた事だ。


 力があり、竜を討伐した。

 それは間違いなく、紛れもなく偉業だった。

 なのに、どうにも口癖が「目立ちたくない」だったり、「権力は面倒臭い」だのと、どこか他人事のような感想を抱いて表舞台に立とうともしない。

 己の力を自覚していれば否応なく目立つというのに、その自覚すら抱かずにただただどこか他人事のように振る舞っていた。

 他にも、仲間が傷付けられて本気になった際に怒りに駆られて見せた圧倒的な強さがどうのだのと英雄譚として語られている。

 傷も治り、大事には至らなかったのかもしれないが、元はと言えば本人が最初から本気で戦っていればどうにでもなったというのに、何故それが「仲間の為に怒って圧倒的な力で敵をあっさりと倒した」という話が英雄譚となるのか、リヒトには到底理解できなかった。


 どこか〝本気〟さ、あるいは真剣味とでも言うかもしれないが、そういったものが感じ取れない、と言うべきか。

 初代里長に対する奇妙な違和感、強者としての実力と強者らしからぬ思考とのアンバランスさや、まるで『理想』をなぞって・・・・体現しているだけのような、薄っぺらい存在。

 それが初代里長に対する、リヒトの正直な評価であった。


 そしてそんな初代里長という奇妙な存在が、どのようにして出来上がったのか。

 その理由を、リヒトは〝声〟を通して推察していた。


「……やっぱり初代里長は『ことわりの系譜』に関係していたんだね」


「関係、と言うのは少々違うね。彼こそが、この『ことわりの系譜』のモデルケース、とでも言うべきかな。そもそも『ことわり』とは即ち、法則、ルールとも言える代物でね。その在り方はそれぞれに異なる。『ダンジョン』で手に入れられる『ことわり』とは、ステータスやレベルシステム、スキルの習得というものだ。これは『とある神が彼の要望をことわりとして創造し、与えた代物』なのさ」


「初代里長のために、とある神が……?」


「おっと、私じゃないよ? まあそれは置いておくとして、だ。そんな彼が得たものと同じものを与える、故に『ことわりの系譜』なのさ。もっとも、彼に比べれば『系譜』の効果は幾分か落ち着いたものではあるけれどね」


「……あぁ、なるほど。『初代里長に施したもの』を『ことわり』として、その劣化版を与えているって訳だね」


「劣化版、ね。うん、確かにそうかな。身も蓋もない言い方をすればそうなるね」


「つまり、初代里長でもできなかった事は、『ことわりの系譜』を手にしたとしてもやっぱり届かない、という訳だね」


 それは落胆か、あるいは納得か。

 どこか腑に落ちたとでも言いたげなリヒトの言葉を受け止めた青年は、僅かに表情を引き締めて、まっすぐリヒトを見つめる。


「……聞かせてくれるかい、リヒト。キミが『ことわりの系譜』に名を連ねなかったのは、何故だい?」


「【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を完全に消滅させる。初代里長では届かなかったそれを成すには、同じ力じゃ届かない。そんな気がしたから」


 この『ダンジョン』に足を踏み入れ、〝声〟によって語られた『ことわりの系譜』の恩恵の数々を知り、初代里長というリヒトにとっては不気味で不可解な存在が結びついた。

 己の力以外のものであり、しかも初代里長という存在が持っていたであろう『ことわりの系譜』に名を連ねて強くなるなんて絶対にお断りだ、というのがリヒトの感想であったのは確かだ。


 しかし、それだけじゃない。


 いつか霧の向こうに広がる世界を、旅してみたい。

 そんな夢を掴み取るためには、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を越えられる力があるだけじゃダメなのだ。

 結局のところ、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】が存在している限り、その夢を掴み取るには『里』を見捨てるしかなくなってしまう。


 いくら夢の為とは言え、それだけはしたくなかった。


 初代里長と同じ力を得たその先でどうにかできるのであれば、最初から初代里長だって【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】をどうにかする事はできたはずなのだ。

 だというのに、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】は未だに残り続けていて、『里』は今もなお戦い続けている――それは何故か。


 つまり、足りなかった・・・・・・のだろう。

 初代里長の強さがあったとしても、届かないものであったのだ。


「たとえ『ことわりの系譜』を受け入れて名を連ね、力を手に入れたとしても届かない。なら、『ことわりの系譜』に名を連ねて力を得てから方法を探るというのも決して悪くはない選択であったと言えるかもしれない。むしろそれをする事が唯一の道であった可能性がないとは言い切れない。でも……」


「でも?」


「受け入れちゃいけないと、何故かそう感じたんだ。それは直感とでも言うべき代物で、そこには具体的な根拠のようなものは一切存在していないけれど……。それでも、その直感は、『ことわりの系譜』を受け入れてしまった時点で、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】には手が届かなくなってしまうと叫んでいるような、そんな気がして仕方がなかった」


 結局、リヒトはそういった様々な要素から『ことわりの系譜』を受け入れないという選択をしてみせたのである。


「たとえ、『ことわりの系譜』に名を連ねなかったために、キミの相棒と大きく実力を突き放される事になったとしても、キミは後悔しないのかい?」


 クラースという名の相棒の強さは、青年もまた見ていた。

 リヒトとは〝対〟とも言えるような近接戦闘における圧倒的な戦闘センスと抜刀術の才能を持った彼とリヒトは、今はまだバランスが取れていると言える。

 しかし、今後クラースの『位階』が上がり、〝術技スキル〟が生まれ、魔法が使えるようになったら、その時はどうするのか、と青年は問うている。


 しかし、リヒトは苦笑するだけであった。


「結局、僕は僕の我儘で受け入れなかった。そして、僕と違って強さというものに貪欲なクラースが受け入れて強くなったなら、別にそれでいいよ。僕は僕で、また新しい〝術〟を作って、どうにかしてまた追いついてみせる。『ことわりの系譜』の有無でそこに辿り着くまでの道程は違う。でも、結局のところ追いついた先でまた肩を並べてみせればいい。それだけの話だよ」


 これまでそうであった通り、またそうすればいいだけだとリヒトは断言する。

 そこに諦念や嫉妬の感情は見られず、ただただ当たり前のものとして事実を泰然と受け入れてみせ、さらに追いついてみせると堂々と宣言してみせる。


 たとえその道が『ことわりの系譜』のように、分かりやすく示され、導いてくれるようなものでなくとも構わなかった。

 もともと厳しいと言われていた道だ。諦めていいのだと、無理に戦おうとしなくてもいいのだと周りに言われ続けるような日々もあったのだ。それでも諦めず、先も見えない状況の中で藻掻いてきたからこそ、今がある。


 それならば、また藻掻けばいいだけ。

 そう考えて、リヒトはふっと口角をあげて微笑んでみせた。


 そんなリヒトの笑みを見て目を丸くした青年は、しばし目を閉じ、そして改めて口を開いた。

 

「……なるほど。キミはどうやら、私が待ち望んだ存在・・・・・・・・・のようだ」


 青年は噛み締めるように目を閉じて、そしてそんな一言をぽつりと呟いて、胸元に手を置いて深く、ゆっくりと頭を下げてみせた。




「『ダンジョン』の裏に隠された、『本当の試練・・・・・』を打ち破ったキミに、改めて敬意を表そう。そして、キミこそが、僕が――〝戯神ぎしん〟の名を冠した〝欺神ぎしん〟である僕が待ち望んでいた、真なる踏破者であると認めよう」




 顔をあげてみせたそこには、先程までの戯けてみせたような空気も、どこか飄々とした空気も一切が消えていた。






 青年は――〝欺神〟は、真剣な面持ちでリヒトを見つめ、言い放つ。






「――真なる踏破者、リヒト。キミに、新たなる『ことわり』を与えよう」












「……え、結構です」


「なんで!?」









 

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