『理の系譜』




 クラースが叫ぶ声が耳に残る中、リヒトは『黒』に呑み込まれた。


 視界には何も映らない。

 目を開けているのか閉じているのか。

 重力の感じられないどこかで漂っているようで、どちらが上でどちらが下なのか。

 自分の意識は覚醒しているのか、はたまたこれは夢でも見ているのか。


 何もかもが曖昧で、リヒトにはどうにも自分の置かれた状況が判然としなかった。


 その暗い闇の中で、女性のような少々高めの声、しかし無感情に告げられる〝声〟だけが響き渡ってきた。


《未踏破迷宮『竜毒の壺』への挑戦者を確認――対象者情報取得……該当なし》


 ぐわん、と頭を揺らすように響き渡った大きな声。

 まるで頭の中に直接叩き込まれたようなその〝声〟に、リヒトは思わず顔を顰めた。


《解析完了、『ことわりの系譜』未所持者と判定。確認、『系譜』に名を連ねますか?》


 今度はずいぶんと聞き取りやすい大きさの〝声〟だった。

 リヒトの頭の中に直接響いている〝声〟の言葉は、内容こそは問いかけをしているような内容ではあったが、しかしその物言いはどうにも質問というより、すでに確定している内容に対する形だけの問いかけだった。

 もっとも、リヒトから見ればこの〝声〟が何をしたいのか、何を指して確認しているのかなんて事は理解できるはずもなく、当然ながら意味が判らない。


 何を言っているんだろう、と考えたところで〝声〟が再び語りかける。


《質問を受諾。回答、『系譜』に名を連ねる事により、『ことわりの系譜』の中にある術技、魔法系統の〝種〟を刻む事が可能。魔物との戦いを通して『位階』が上昇する事によって身体能力に補正がつき、〝種〟が萌芽し、術技、魔法の獲得が可能。戦いを好まずとも身を守るためにも入手を推奨》


 返ってきたのは、まるでリヒトの思考を読んだかのような回答だ。

 あまりにも自然に、会話でもしているかのように思考を読み取って回答してくれるという事にも驚いたが、しかしリヒトの感情はその事に対する驚愕よりも、その〝声〟が告げた内容を噛み砕くと同時に込み上がってきた嫌悪感・・・の方が大きかった。


 ――……絶対にお断りだ・・・・・・・


 頭の中で響く〝声〟に対して、リヒトは強く拒絶を示した。


《…………想定外。質問を要請》


 先程までの断定的な物言いとは異なり、驚愕しているであろう事が窺える声色で訊ねられた事に、この〝声〟にそんな節があったとは、とリヒトはついつい苦笑を浮かべた。

 しかし一方で、〝声〟はリヒトが否定をぶつけて来ない事を質問に対する承諾と受け取ったようで、少々早口になりながら問いかけてくる。


《承諾に感謝。ヒト種は強さを求めるものであると認識。しかし、挑戦者――あなた、は『系譜』に名を連ねず、力を求めないと回答。その根拠の開示を要請》


 ――……単純な話だよ。貰い物・・・の力なんていらない、それだけの話だから。


《否定。解説、『系譜』に名を連ねる事により、『ことわりの系譜』に存在する力を得る資格を付与。『位階』を上昇させなければ、〝種〟の萌芽は不可。よって、貰い物・・・には該当しないと回答》


 ――いや、それでもいらないってば。


《…………困惑。再度の提案を要請》


 ――キミ、頑固だね。


《否定。その意見は挑戦者――あなた、を指したものと断定》


 頭の中で会話するとはこういう事なのだろうか、などとぼんやりと思いながらリヒトは〝声〟との会話を続けていく。

 どうしても受け取りたくないリヒトと、何故かそれを面白く思わないらしい〝声〟とのやり取りは、段々と押し問答に近い様相を呈してきた。


 一つ気持ちを切り替えてから、リヒトは改めて〝声〟へと伝える。


 ――うん、まあ僕もこれに対しては譲るつもりもないよ。

 ヒト種っていうのが僕らを指したものだというのはなんとなく分かるし、力を欲するというのも分かる。僕も両親を魔物に殺されたからね。

 貰える力に良し悪しはないし、その力をどう振るうかは人それぞれだろうとは思う。

 でも、僕がそういうのは好きじゃないんだ。だから受け取りたくない。

 それだけの話だよ。


 頭の中で〝声〟に対して諭すように告げつつも、リヒトはリヒトで我ながら頑固だと改めて思う。


 確かに、『里』で生きていく上で力はあるに越した事はない。

 負けられない戦いの中で、自分に力があったのならと悔やむぐらいなら、貰い物であっても力があるに越した事はないだろう、とも理解していた。

 しかしそんなものは言い出したらキリがなく、どれだけ力があったとして、しかし自分の腕が伸ばせる範囲なんて限られている。むしろ過剰な期待を寄せてしまうような力であれば、そんなものは願い下げだ、というのがリヒトの正直な感想であった。


 それと同時に、こうも思う。


 ――まるで、初代里長のような存在を生む力だ、と。

 力ばかりを持って、その力に似つかわしくない精神を有している、奇妙な存在を。


 先程の〝声〟の告げた『ことわりの系譜』の内容。

 その『系譜』に名を連ね、『位階』を上昇させる事によって術技や魔法というものが覚えられるようになり、強くもなれるという内容は確かに魅力的ではある。


 強くなる道筋とその方法が定められていて、決められた通りの『位階』をあげていくだけでそれが術技と魔法という形となって目に見える。

 わざわざ手探りで一つ一つ積み上げなくてもいい。

 ただ魔物と戦って『位階』を上昇させるだけで、本人の精神的な成熟を促す事もなく、ただただ力を得られる仕組み。


 あぁ、それはなんて甘美な話だ、とは思う。

 同時に、酷く滑稽な話だ、とも。


 上下も判らず、意識があるのかも定かではない真っ暗な世界で、それでもぐっと力を込めて、リヒトは己の口を開いた。


「……あなたを、『系譜』を否定するつもりはないよ。答えが見つかっていて、そこに向かって進むのはすごく楽だと思う。力を得られる道が分かっているのなら、それに越した事はないし効率もいいだろうね。だから、それを受け入れるのは賢いやり方なんだろうとも思うし、『系譜』で力を手に入れた人を蔑むつもりも、毛嫌いするつもりもない。――でも、やっぱり僕はそれを望まない」


《……困惑、疑問。根拠の開示を要請》


「それを受け取ってしまったら、僕が昨日までの僕自身を否定する事になるから、かな」


 小さい頃から、『里』の主流な戦闘技術となる刀術の才能がなく、身体も小柄。

 そんな自分がどうにか戦う術を見つける為に試行錯誤を繰り返し、その結果得られたのが、〝術〟の遠隔発動と待機状態からの即時発動技術だ。

 それを形にするために術を暴発させて怪我をしたり、魔物と戦っている最中に術符が破れて追い詰められたり、それこそ何度も死にかけながら、それでも力を磨いてきた。


 じゃなきゃ、兄のように親しいクラースの目も見れなくなってしまうから。

 そう思って、リヒトは身体的に劣っている己と向き合い、〝術〟を磨いて、手探りでどうにか形にしてきた。

 そうしてようやく、自分じゃ逆立ちしたって届かないと思っていた兄のような存在とだって、気後れせずに肩を並べられるようになった。


 そんな自分を否定するように、敷かれたレールを進むだけで力が手に入る『系譜』。

 それを手に入れるのは、リヒト自身が過去の自分を否定しろと言われているようなものだと、そう感じてしまったのだ。


「嬉しかったんだ」


 ――手探りで、初めて〝術〟の改良が成功した。

 ――必死で、初めて魔物を一人で討伐できた。


 今でも目を閉じれば鮮明に思い出せる、色鮮やかな当時の記憶を思い出しながら、リヒトは続ける。


「僕はきっと、あなたから見れば愚かなんだと思う。力を得られる機会を棒に振って、小さなものに固執して、目の前に伸ばされた手を振り払うなんて愚かなのかもしれない。それでも、僕は僕の道を進んでみたい」


 ――いつか霧の向こうで、旅をしてみたい。

 それがリヒトの夢だ。


 そこにどんな世界が広がっているのか、どんな人がいるのだろうかと想いを馳せながら、いつまで経っても晴れない【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を眺め、終わらない竜との戦いを続けてきた。


 リヒトには『ことわりの系譜』というものがどういったものかまでは分からない。

 それを手に入れる事で力が入れば、もしかしたら竜との戦いだって終える事ができるかもしれない、とも思う。


 それでも、はたして『系譜』を受け入れてそれを為した時、それは自分だけの力で成し遂げたと誇れるだろうかと疑問に思ってしまう。


「僕の夢は、僕の力で叶える。そうして初めて心から喜べると思うんだ。自分の手で、自分の力で成し遂げたんだって言いたいんだ。だから、これは僕の我儘だよ。さっきも言った通り、受け取るべきなんだろうなって思う。でも、僕は我儘だから。だから、貰い物・・・の力は、いらない」


《……確認。『系譜』を受け取らなかったが故に、夢を諦める事になっても回答は不変である、と?》


「うーん、それは少し違うかな? ――だって、諦めるつもりはないから」


 夢は諦めなければ叶う、とはリヒトも思わない。

 無情に魔物に殺されるような世界であり、努力しても報われない事だってある。リヒトが『里』の主流となる戦闘技術――刀術の向上を諦めたように。

 しかし、やり方に固執さえしなければ、また違った方法で夢を叶える方法はいくらでもあると、リヒトは知っている。

 魔物を討伐するという『里』の仕事だって、刀術については半人前であっても〝術〟を改良する事で可能にしたように、やり方を変えて、考え方を変えて、そうやっていつか叶えると、リヒトは己に誓っている。


 もちろん、『里』を捨てて旅立ちたいという訳ではなく、その時には後顧の憂いもないよう、しっかりと竜を討伐し、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を晴らしてから、とも思っているが。


《…………興味。あなたの名を知りたい》


「リヒトだよ」


《リヒト……記憶完了。『系譜』の対象から除外。――あなたに、祝福を》


 ――最後の数言だけは、人らしい声色だったな。

 そんな事を思いつつ、リヒトは引き上げられるような不思議な感覚を味わいつつ、ぱちりと目を開けて……。






「――ッ、おわああぁぁぁッ!?」






 目の前に佇み、斧を振り下ろそうとしている豚のような顔をした人型のおかしな魔物に気が付き、咄嗟に転がったまま横に避け、距離を取って態勢を整える。

 リヒトの顔に向かって斧を振り下ろそうとしていた魔物は、お世辞にも動きも早くないようで、リヒトが避けて数瞬程で斧が地面に当たる。


 まずは試しとばかりにホルダーに仕込んだ棒手裏剣を投げつけると、あっさりと魔物の目に突き刺さり、後ろに倒れていく。


「……良かった、弱い魔物……――ッ!?」


 ぐらりと後ろに倒れていき、そのまま魔物が煙のように消えていくその光景に、リヒトは思わず目を剥いた。

 その場に遺されたのは、小さな紫色の半透明の欠片――魔石だった。


「……魔石だけ残して、消えた……?」


 一体何が起こっているのか、さっぱり分からない。

 しかしそんな状況であっても、リヒトは一度深呼吸して、即座に気持ちを落ち着かせた。


 洞窟にしては視界がしっかりと確保できる。

 岩肌に張り付いた苔のような何かが淡い光を放っているおかげで、己が洞窟のような不思議な場所にいるようであった。


 洞窟と言われていた、調査していたあの謎の黒い何か。

 あれに吸い込まれ、つい今しがたまで見ていたおかしな夢みたいなものから覚めたと思ったら、この謎の洞窟で、見たこともない魔物に襲われ、反撃して倒してみたら煙になって消えてしまった。


 困惑しながらも、今の状況を把握するべく即座に周囲に目を向け、冷静に状況を整理していく。混乱せずにいられるのは、ひとえにリヒトが『里』の外で何度も戦っており、その戦いの中で何度も危機的状況に陥った事があったという怪我の功名とも言えるものであった。


 何が起こっているのか、その真相までは辿り着くのは難しそうではあるが、振り返ってみても行き止まりで何もない。


「……進むしかない、かな。クラースももしかしたらどこかにいるかもしれないし」


 奥に進むしかなさそうだと考えて、リヒトは今しがた魔物に使った棒手裏剣と魔石を拾うと、奥に向かって歩き出した。







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