『洞窟』




 確かに初代里長――ソウジとその仲間たちは英雄だった。

 彼らは【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を生み出した、世界に破滅を齎さんとした強大な力を持つ竜を討伐した竜殺しとして、その名を世界に知られている。


 しかし、竜との戦いが終わっているかと言えば、正確には間違っている。


 竜は執念深く、死に際に呪詛を撒き散らした。

 結果としてこの山と麓の森一帯に力の残滓が流れ込み、魔物が大量に増え、争い合い、強くなってしまったのだ。

 しかしそれは偶然起こった事故というものではなく、竜の思惑によって生み出されたものだった。

 事実初代里長のソウジとその仲間たちは邪竜を討伐後は町に戻っていたが、しかし数年後に邪竜が復活し、再びこの地に戻ってきて、復活した邪竜を討伐した。それと同時に、減少していたはずの【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】がその個体から広がったのだ。


 その光景を見て、初めてソウジ達は理解した。

 竜は【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】に耐えられる程の個体が生まれた時、その個体を依り代にして復活する。

 決してただの呪詛として【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を撒き散らしたのではなく、己が復活するための場――『蠱毒の壺』を生み出すためのものであり、【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】が消えない限り、竜は復活するだろう、と。


 【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】を完全に消す方法は、見つからなかった。


 対症療法的な対応となってしまったが、次善策としてソウジとその仲間たちは【拒絶の霧ダツィーオ・ニーヴ】の内側に拠点として『里』を築き、この山で生まれる魔物を狩って生きていく事にしたのだ。

 英雄的な行動によって祭り上げられ、政争に巻き込まれる日々に疲れていたそうで、『すろうらいふ』なるものに憧れていたらしく、外界と遮断された事に嘆く事もなかった、という言い伝えと共に伝わっている。


 故に、『呪詛避けの護符』があっても『里』の者達は『里』を捨てない。

 初代の意志を継いでいく事こそが、『里』の者達の矜持だから。

 もっとも、リヒトやクラースの両親が命を落としたあの戦いで、何名かは臆病風に吹かれて『里』抜けした者もいたという話も耳にしたが、それはさて置き。


「力に驕る事なかれ、固執する事なかれ、決して溺れる事なかれ、か。竜を殺すなんて力を持っていたのに、それでもそんな風に思えるなんて凄いよな」


「そうかな? 僕はあの掛け軸、もっとくだらない事を書いた気がするんだけど」


「いやいやいや、それはないだろ。初代様だぞ?」


 女衆の水汲みに使う川に現れた洞窟の調査をしろ。

 マーリトに言われた通り『里』を出た二人が、木の枝から枝へと飛び移るように移動しながら、先程の話に対する感想を口にし合う。


 真剣な面持ちで歴代の若者たちが、さも素晴らしい由緒ある掛け軸を見つめて胸に刻み込むという『里』の教え――ただし、掛け軸に書かれているのは『焼肉定食』――。

 そうした大人になるための心構えとも言えるものを説かれ、これから大人になる己自身の内側に、あの文字焼肉定食と共に誓いを刻み込む、『里』の歴史。


 その重みを改めて噛み締め、憧れと共に口にするクラース。

 そんな兄のような存在には気付かれないように、リヒトはどこか冷めた目でため息を零した。


 初代里長――ソウジとその仲間たちの話は言い伝えられてきた。

 それが『里』に生きる者として知るべき事であり、誇るべき事だから、と色々な話を伝えられてきたが、クラースと違ってリヒトは冷静にソウジという人物を分析していた。


 話の端々から感じられる、芯の弱さ。

 竜を殺せる程の力を持っていながらも、話を聞けば聞くほど、心の在り方と力のバランスがおかしく思えた。力に対する矜持も、力が及ぼす事への自負も持っていないように思える。

 故にリヒトには、偉大な初代里長の英雄ソウジという存在の話を聞く度に、どうしても胡散臭く思えてならなかった。


 本来、努力して技術を身に着けたのであれば、それを自慢に思い、相応の自信にも繋がる。結果として大なり小なり自尊心というものが芽生えるものだが、ソウジの話からはそういうものが感じられなかった。

 まるで『里』の女衆で戦う力を持たない女性が、ある日突然力を手に入れて、その力をそれなりに扱えるようになっただけ、というように思える。


 果たしてそんな人物を、周囲の者が好ましいと思うだろうか。

 少なくとも、〝術〟を学ぶために必死になって魔物と戦い、傷だらけになって、時には死にかける事さえあったリヒトにとって、そのような存在が目の前にいたら気味が悪いと思うだろうな、と思う。どう転んでも好きにはなれないだろう、とも。


 力の使い所も学ばず、力の振るいどころも、力を得るための努力も知らない存在が、強大な力を突然持つなど有り得ない事ではあるが、実力に伴わない強大な力を持つ危険性を警戒するべきだ。

 赤子が周囲の者を殺せるだけの力を持っているのとは訳が違う。

 意思を持って他者を殺せる力を、その影響や覚悟もなく振るえる事が何よりも厄介なのだとリヒトは考える。

 だからこそ、そういった力を持った者が持つべきものを有しているようには思えない初代里長に対し、「力だけを持っていてその過程で得るべきものを持たない、なんだか酷く不安定で不気味な存在」という印象を抱かずにはいられなかった。


 そんなリヒトだからこそ、思うのだ。

 実はあの掛け軸に書かれた言葉も全然大した事もないもので、しかしそれを周囲が勘違いして囃し立てたものだから、周囲に本当の意味を告げる事ができなくなった――要するに引っ込みがつかなくなったからこそ、読み方も伝えなかったんじゃないか、と。




 ――――実に穿った見方であった。




 どうしようもない程に真実である。





「相変わらずリヒトは初代様があんまり好きじゃないんだな」


「うん、そうだね。別に好きではないかな――っと、あれだね」


 軽口を叩き合いながら進んだ二人が足を止める。


 緩やかな流れの透き通った水の流れる小川。

 白みがかった石がごろごろと転がっているその場所の、小川を挟んだ向こう側にぽっかりと空いた大穴は、まるで以前からここにあったかのように佇んでいた。


「あんなもん、確かにこの前まではなかったな」


「うん。というより、おかしいよね」


「おかしい? 洞窟が生み出されたのがってことか?」


「それもそうだけど、いくら洞窟が暗くても、光が漏れて中が多少は見えるはずだよ。なのにあれ、黒く塗り潰されているように見える」


「……ホントだな。まるで闇が蠢いているみたいだ」


 リヒトとクラースが言う通り、その場に佇む穴の中は何も見えず、ただただ真っ黒な水がゆらゆらと波打っている。

 ここまで来てただの洞窟と考えるのはどうにも無理がある。


「さすがにあれにいきなり触れたり近づいたりしたくはないな――っと!」


 そう言いながらクラースは川辺に落ちている手のひら大の石を投げてみる。

 もしもあれが新種の魔物であれば何かしらの動きを見せるだろうという判断ではあったのだが、しかし投げつけた石はぶつかって弾かれる事もなく、とぷん、と粘性のある液体に呑み込まれたかのように吸い込まれていった。

 その光景を警戒しながら見つめていたクラースが、ゆっくりと体から力を抜いて、同時に眉間に皺を寄せつつ小首を傾げた。


「……どうなってんだ?」


「僕がやるよ」


「おう」


 リヒトが装束の太ももに巻き付けていた両足のホルダーから苦無を取り出し、片手に持ち替えてから、今度は腰につけたポシェットから『術符』と呼ばれる白い紙に不思議な紋様の描かれた紙を取り出す。

 それらの『術符』の上部には紐が結ばれており、それを苦無へと括り付けてから洞窟の入り口、黒く揺蕩うその左右の岩壁へと右手で二本の苦無を一度に投擲する。

 岩場に突き立ったその瞬間、苦無を投げた右手とは反対の左手の指をリヒトが鳴らしてみせると、苦無に括られた札に書かれていた文字が強く輝き、爆発した。


「うおぉ……、相変わらず凄いな、リヒトの〝術〟は」


「さすがに〝術〟では負けないよ」


「そりゃそうだ。お前のその〝術〟、お前しか使えないんだからな」


 リヒトが放ったのは、確かに『里』に伝わる〝術〟と同じものだ。

 魔物の血と魔石と呼ばれる魔物の核を砕いて粉末状にしたもの、それに『クズラ』と呼ばれる花の花粉を混ぜて呪文を描き、発動させる。


 しかし、決定的に他とは違うところがある。


 もともと、〝術〟は体の一部に札を貼って使う補助系のものや、予め〝術〟の準備を済ませ、導術線と呼ばれる線を繋げて遠隔から起動するというものが一般的だ。

 しかし、身体も小柄で刀術の才能を持っていなかったリヒトは、どうにか〝術〟を使い勝手の良いものにできないかと工夫を重ねてきた。


 そうした結果、呪文を描く際に己の血を混ぜ込み、さらに〝術〟を発動させる際に扱う『術力』を込める事で、指定した『術力』を込めた一つの動作で離れていても〝術〟を発動させられるに至ったのだ。


 この方法は『里』の者にも公表されたのだが、どういう訳かリヒト以外の者が真似ても発動しなかった。それどころか〝術〟を発動させるための『術符』を作成している段階で爆発を引き起こしてしまったりと事故まで起こる始末だ。

 その原因は解明されておらず、リヒトだけが『指を鳴らすだけで遠隔で〝術〟を発動させる』という技術を扱えるようになった。


 苦無を投げる際に『術力』を込めて『術符』を発動待機状態にし、その状態になってから指を鳴らさなければ何も起こらないが、傍から見ていればポシェットの中の『術符』がいきなり爆発するのではないかと周りに心配され、それと同時に『里』の面々がリヒトと物理的に離れたがっていたものである。


「さて……どうしたもんかな、ありゃあ」


「うん、無傷・・だし、動かないね」


 爆発し、轟轟と燃え上がった炎が晴れたその先には、先程とは寸分違わず佇む洞窟の姿がそこにはあった。

 よくよく見れば周辺の岩壁はともかく、足元の地面などは爆発によって削れた形跡が見て取れるが、洞窟の入り口とも言えるような黒い何かは何も変化していないようであった。


「魔物じゃないのか……? つっても、分かりませんでした、なんて言って帰る訳にもいかないか。動く気配もないし、ちょっと近寄ってみるか?」


「大丈夫なの?」


「あぁ、俺が先に行く。リヒトは〝術〟を待機しながらついてきてくれ」


「分かった」


 先んじて小川の中で顔を出している岩へと跳び、少しばかり洞窟から離れた場所で渡っていくクラースを追いかけて、リヒトもそれに倣って移動を開始する。

 腰に下げた鞘に修められた刀の柄をいつでも握れるように腰を落としつつ、クラースが洞窟へと近づいていく中、リヒトもいつでも動き出せるようにと身構えつつ追いかけていく。


 そうして洞窟まで手を伸ばせば届くというところまでやってきてもなお、それはぴくりとも変化を見せずにただその場で佇んでいた。


「……襲ってこないな」


「うん。それに、遠くから見たら洞窟っぽかったけど、これ……洞窟じゃないね。岩に同化して張り付いた真っ黒な水、って感じに見える」


「……そりゃっ」


 冷静に状況を見ていようと考えるリヒトとは違い、クラースは「とりあえずやってみよう」という考えでもあったのか、落ちていた長い流木を拾い上げて洞窟――黒い液体状の何かに突っ込んでみせる。

 沈み込むように中へと入っていった流木をそのままにして数秒、クラースがそれを引き抜いてみせると、特に何か変化があった訳でもなく流木の先は出てきた。


「うーん、生き物や魔物なんかなら、変なものを突っ込まれたら吐き出したり攻撃したりしてくると思うんだが……生き物って訳でもないのか、これ」


「魔物じゃないなら急いで対処する必要もないし、いいんじゃないかな? まあ、余計にコレが何か分からなくなった気がしなくもないけど」


「だなぁ。あぁ、そうだ。獣を捕まえて投げ込んでみるか?」


「この辺りじゃ小さい獣はいないし、時間もないから明日かな」


「あぁ、そうだな……――ッ、リヒト!」


「――あ」


 洞窟が魔物のような存在ではないと判明して、気が緩んでいたのだろう。

 リヒトが踵を返そうとしたその場所には、ちょうどクラースが今しがた使ったばかりの流木が転がっていて、リヒトの足がそれを踏んでしまい、ずるりと滑ったのだ。


 咄嗟に手をつこうと伸ばした手はクラースの横を抜けてしまい、そのまま黒い何かへと触れて――その瞬間、身体が引きずり込まれた。


 咄嗟に手を伸ばしたクラースの手がリヒトの手を掴んだ次の瞬間、とぽん、と小さな音を立ててリヒトの視界は真っ黒に塗り潰された。







《――挑戦者を確認。上級闘技場型迷宮、『竜毒の壺』、起動します》








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