『成人の儀』を迎えるということ
「まったく、あのおバカは根っこは素直なんだがね。妙なところで自信を持っちまってるのか、癇癪を起こす厄介さがある。アンタ達がバカな世代を真似ずにしっかりとしてくれたおかげで手がかからなかった皺寄せかねぇ」
しゃんと背を伸ばして座る細身の老婆、オババことマーリトがぼやくように告げながら、煙管を取り出し火を点け、紫煙を天井に向かって吐き出した。
マーリトの吸う煙管は決して身体に悪いものではなく、むしろあれは灰を患ったマーリトの治療薬として『里』の薬師が用意したものだ。だが、その姿は堂に入っており、手練手管を弄するやり手の老婆といった風情である。
そんな彼女の言う『バカな世代』とは、今現在山を降りて霧の向こう側にある町に買い出しに出ている者達を指している。
覗きに夜這い未遂、強引に関係を持とうとしたり、あるいは自分はどこぞの聞いた事もない神の生まれ変わりだの、悪魔の力が右腕に宿っているだのと騒ぎを引き起こしていた者達の事だ。
彼らはリヒトやクラースにとって非常に良い教材となった。主に反面教師という方向で。
身体を張って愚か者の末路や、女性集団を怒らせた時の怖さというものや、その失敗を思い出したかのように揶揄され肩身が狭い思いをしている姿というものを見せつけたのである。
そんな姿を見ていたクラースとリヒトが同じ轍を踏むような成長をするかと言えば、当然そうなるはずもなく。
おかげで「素直で聞き分けが良い」だの「男がバカなんじゃなくて、アイツらが途轍もないバカだっただけ」だのと言われるようになり、女性陣からも優しく接してもらえていたりもする。
「はいはい。愚痴りたくて俺らを呼んだ、という訳ではないんだろ?」
「当たり前さ。二人の『成人の儀』の内容が決まったんだよ」
「ホントか!?」
「かかっ、落ち着きな、青二才。お前がトゥーラに
「な……ッ!?」
想いを見透かされ、しかも『成人の儀』の後で想いを告げようとしているという事まで見透かされているという事に、クラースはもちろんだがリヒトも声こそあげなかったが驚愕し、目を瞠った。
そんな二人の表情が面白かったのか、マーリトはくつくつと肩を揺らしながら紫煙を揺らめかせつつクラースの目を真っ直ぐ見つめてニタリと笑う。
「トゥーラは迷うだろうけれどね、お前さんがその気だってんならあたしゃ応援するよ。あの娘だけじゃない。トゥーラと同じ境遇の娘っこたちには幸せになってもらいたいからねぇ。娶らなくてもいいから子種だけは与えてやんな」
「は……、はぁっ!?」
「かかっ、お前さんは初心だねぇ、クラース。リヒトなんて涼しい顔して聞いてるってのに」
「僕に振らないでよ。というか、当事者じゃないんだし涼しい顔もするよね、そりゃ」
「り、リヒト!? お前、裏切るのか!?」
「あはは、まさかそんな。クラースが頑張る分だけ僕が楽になったりするのかな、なんて思ってたりしないって」
「思ってるヤツじゃねぇか、それ!」
「そんな事あるよ」
「あるのかよ……!?」
顔を真っ赤にするクラースとは違って、リヒトは冷静に現状を鑑みていた。
この『里』は閉鎖的な環境で、魔物は突然出てくる上に外から人がやってくるようなところでもない。そんな中でも『里』を存続させるのであれば、当然子供が増える必要がある。
しかし男衆は女衆から軽蔑されていて、男衆もまた女衆に頭が上がらないような状態だ。
あの世代で嫁を娶る、子種を与えるなんて真似ができるような、生物的に言って雄として強い存在はいないだろうな、とリヒトは分析している。
その点、顔を真っ赤にはしているが、クラースならばトゥーラを初恋の対象としているのだから、身も蓋もない言い方をすれば他の大人の女衆も相手にできると見られる事になるだろう。
となれば、必然的にクラースに期待は集まり、クラースが
実のところリヒトは、クラースがトゥーラに想いを寄せていると知った頃から、そうなるだろうと漠然と理解していたのだ。
もっとも、そうなるであろう分析についてはクラースには黙っていたが。
「クラース、落ち着いてよ」
ぽん、とクラースの肩に手を置いて、リヒトが表情も変えずにクラースの胡乱げな視線を真っ直ぐ受け止めながら続ける。
「トゥーラさんといい関係になったら、当然村でお祝いされる。つまり、女衆にはバレるんだよ。そこで貞操を守る、なんて言ったらトゥーラさんが白い目を向けられるかもしれないじゃないか」
「そ、それは……」
「諦めなよ、クラース。こればっかりはどうしようもないって」
「お、お前だって受け持ってくれれば……――!」
「――あ、僕そういう想いとかないから無理。子供がいっぱい欲しいとか思ってないし」
「あっさりと裏切りやがる、コイツ!?」
「かかかっ、リヒトの言う通りさ、クラース。なぁに、複数の女を抱けるんだ、男の甲斐性ってモンを見せな。とは言っても、気の早い話だよ。そんなもんはその時になったら考えりゃいいさ。何よりまずは『成人の儀』について話そうじゃないか」
どうにも納得できていないと言いたげなクラースを他所に、マーリトは煙管の先で燃やしていた薬草の灰を灰吹きと呼ばれる筒の中へと落として机へと置いた。
「西の小川は分かるね? 女衆が水汲みに使っているあの場所さ」
「あぁ、分かるが……」
「あそこに今朝、奇妙な洞窟ができていたそうでね。けれど話を聞いた限りじゃ、隠れていたのを見落としてたって訳でもない。昨日までなかった場所に、昨日までなかった洞窟が生まれたって訳さ」
「……? 崖が崩れたとかじゃないんだな?」
「あぁ、ぽっかりと穴が空いていて、周りに崩れた形跡なんて見当たりゃしないってんだ。そんなもんが自然に生まれたと考えられるかい?」
「……ないな。リヒト、お前はどう思う?」
「崖が崩れたら近くに岩とか転がってるはず。痕跡がないなんて事はないんじゃないかな。考えられるとしたら、あの妙にデカいミミズみたいなヤツかな」
「いいや、あの辺りは岩だからね。あの魔物は通れないはずさ」
リヒトが言うのは、
そのせいでその魔物が地表に出てきた形跡は地面が耕されるような跡が残り、当然ながら周囲に破片を散らしているため、見ても痕跡すら分からないような状況は生まれない。マーリトの言う通り、岩を噛み砕いて進むような真似もできない以上、今回のケースにおいてその魔物は当て嵌まらなかった。
「ってことは、新種の魔物か……?」
「その可能性もあって楽観視できないのさ。男衆が町に行っちまってる今、頼めるのはアンタ達二人しかいない。バカタレ共がいればアイツらに行かせたんだけどねぇ。ま、新種の魔物がいる可能性もある以上、アイツらがいたってアイツらよりも腕の立つアンタ達を出すって決断しただろうけどね」
「へぇ、珍しいじゃん。村の有事に協力するのは大人がやる事だ、なんて言って、何もさせてくれなかったくせに」
「はっ、そりゃあそうさ。腕が立つから、強いからって早い内に責任なんてもんを持たせるなんざ、クソのやる事だからだよ」
クラースの言葉を一蹴するように言い放って、マーリトは再び煙管の先端に薬草の粉末を乗せて火を点け、紫煙をくゆらせた。
「『成人の儀』を済ますってのは、つまり大人たちが一方的に与える立場から、対等になって、やがて何かに期待をするようになるって事だよ。クラース、アンタのその天才的な刀術の腕も、リヒト、アンタの他の追随を許さない〝術〟と気配を操る才も、
今はまだいい、とマーリトは思う。
クラースもリヒトもまだ子供で、周りが守るべき相手で、面倒を見て助けてやらなきゃいけない相手なのだと心に折り合いをつけていられる。
しかし、クラースとリヒトが『成人の儀』を無事に乗り越えたその時、クラースとリヒトは大人の仲間入りを果たす事になる。
最初はいいだろう。
クラースとリヒトという可愛がっていた弟分が大人の仲間入りをしたとして、男衆は歓迎するに違いない。
しかし時が経つにつれて、クラースとリヒトの圧倒的な才能は明確な優劣という結果を突き付ける事になる。
こうして笑って話してみせているものの、『里』の未来は確実に滅亡に向かっている。
そんな中で生まれた圧倒的な才能を――何かを変えてくれるかもしれないと盲目的に縋りたくなるような、暗闇の中の一筋の光のようなそれを表に出せば、どうなるか。
その時に二人を襲う重圧は如何程のものだろうか、とマーリトは考えてきた。
だからこそ、大人の男衆が三人掛かりで仕留める獲物をたった一人で、一息で仕留めてくるような才を持った二人が『成人の儀』を行う日を、マーリトはできる限り先延ばしにしてきた。
せめて若い男衆が嫁を取り、父親としての矜持を持つようになれば。
もしくはあと一年で男衆が精神的に成熟し、クラースやリヒトを支えてやろうと思えるようになれば、と思いながら。
先程、クラースには冗談めかして女衆に子種を渡してやれなどと言ってみせたが、しかしそれはマーリトが言わずとも、実のところすでに女衆がそれを望み、そんな話を女衆の間で交わしているのだ。
魔物に大事な家族を奪われたからこそ、優秀な才能を持った子を産みたい――生き延びる事のできる強い子に育って欲しいと思うトゥーラと同世代の女衆の気持ちを、マーリトは痛い程よく理解していた。
「……そんな重いモンを、まだまだアンタ達に背負わせたくはなかったのさ」
紫煙の向こうを見つめるように向けられたマーリトの目は、悔恨に満ちていた。
この時代でなければ、ただただ純粋に将来を期待され、多少派手になるかもしれないが大人達の歓迎を受けながら育てていけただろうに。
自分達がしっかりしていれば、あの魔物をここまで追い込まれずに倒す事さえできていたら。最初から全員で戦っていれば、と思わずにはいられなかった。
しかし、男衆がいないこのタイミングで変化が訪れたのは、ただの偶然とはどうしても思えなかった。
この二人の背を押してやれと、この『里』を築き上げた初代がそう言っているかのような、そんな気がしたのだ。
――――気持ちを切り替え、マーリトは一度強く目を閉じてから、二人に目を向けた。
「……二人とも、『成人の儀』に赴く前に、後ろのあの掛け軸をごらん」
マーリトが指を向けた先。
そこにはクラースにもリヒトにも読めない文字が書かれた掛け軸が飾られている。
「あれは初代様が書いたものであったらしい。書かれている文字の意味を訊ねたところ、『これだけの圧倒的な力を持っていたとしても、どうしても手に入らないもの。しかし俺は、どうしたって手に入らないと知りながらもなお諦められずに、今もまだこれに焦がれている』と、寂しげな目をして教えてくださったそうだよ。読み方はついぞ教えてくれなかったそうだけど、ね……――」
クラースとリヒトが、それを見上げながら話を聞く。
「――『成人の儀』を受ける若き者達全員、あの掛け軸を見ながらこの話を聞いて、胸に刻み込むのさ。『成人の儀』ってのは、確かに大人になるための儀式だ。でもね、忘れちゃいけない。どれだけ力があったって手に入らないものはある。どれだけ願ったって、手が届かないものはある。大人になったからって、万能になれる訳じゃあないんだ。力に驕る事なかれ、固執する事なかれ、決して溺れる事なかれ、とね。初代様はそれを理解して、それをあの掛け軸にしたんだろうって話だよ。憶えておきな」
それはこの『里』の者たちが『成人の儀』を受ける時に聞かされ、受け継がれる言葉として古くから伝わっているものだった。
クラースとリヒト。
マーリトが知る限りでも類を見ない程の圧倒的な才能を持った二人もまた、例外なくその言葉を受け取り、胸に刻む。
――――『焼肉定食』とこの世界にはない
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